御代田の一里塚と浅間山
江戸日本橋より41里目
千ケ滝湯川用水温水路
1965年、柏木小右衛門が開削した農業用水路です。
浅間山の雪解け水や湧水は冷たいので、そのままでは稲作には適しません。
そこで、浅くて幅広く長い用水路(全長934m、幅20m、深さ0.2m)を作り、太陽熱で水温の上昇を図るという、先人の知恵による農業土木遺産です。
「コロンブスの卵」的発想ですね。
素晴らしい
-----柏木小右衛門義利-----小諸フィルムコミッションより
慶長13年(1608)~貞享3年(1686)柏木小右衛門義利は、御影用水の開発を時の小諸城主青山因幡守宗俊に申し出、新田開発を許可され浅間山麓奥の千ヶ滝を源とする上堰延長28km、さらに白糸の滝を源とし湯川より分水する下堰延長35kmの開発に従事。
難所では金堀をもって岩石などを掘割、多数の人夫と多額の資金を投入して御影新田830石を開発した。
今日では想像も出来ない程の苦労を重ね完成した。
用水の水量は豊富で、近隣の村々へも分水するほどで現在も利用されている。
この開発の功績により領主より苗字・帯刀を許された。
以後柏木小右衛門家は用水管理の絶対的権利をもち、その権利は代々子孫に引き継がれた。
柏木家は武田家家臣で、柏木城を与えられこの地を統治していた。
しかし武田家滅亡により武士をすて、新田開発人として代々この地を守り現当主易之氏は十一代に当る。
柏木家の屋敷は江戸時代御影陣屋として、幕府役人の宿所や役所にあてられた。
そのため柏木家には当時の貴重な資料や武田家につながる貴重な資料が保存されている。
尚、市内四ツ谷に功績を称えた石碑がある。
御影には「小諸市立天領の里・御影用水資料館」がある。
----------
この辺りに奇祭があるようです。
毎年1月7日におこなわれる道祖神祭です。
小学校高学年ぐらいの子供達だけを載せた2基の道祖神屋台が陣屋跡の前で、激しくぶつかり合うという凄い祭りです。
子供がむち打ちになるんじゃないでしょうか?
いやはや、凄すぎる!
畑と森と浅間山
なんていう事もない景色ですが、癒されます。
なんでしょうか、この草は?
ほぼ原形をとどめる御代田(みよた)の一里塚と浅間山
中仙道から、ちょっとばかり引っ込んだところの畑の中に枝垂れ桜の一里塚がありました。
浅間山をバックに美しいです。
昔の人も
「ああ、まだ41里なのか。」
と浅間山とこの一里塚を眺めながら、一息ついたんでしょうね。
マラソン大会の距離表示をみて、「まだまだか」とため息つくのと同じです。
(江戸から京都まで135里)
欲を言えば、もうちょっと一里塚の手入れをしてもらいたいですね。
春の時期に枝垂れ桜が咲くとこうなるようです。
写真は「日本隅々の旅 全国観光名所巡り&グルメ日記」よりお借りしました。
しなの鉄道の御代田駅のアンダーパスをくぐりました。
もう、小田井(おたい)宿は近くになります。
甲賀三郎伝説に由来する龍神祭りに使われる龍
御代田駅のそばに龍神の杜公園がありました。
(旅ランナー情報:駅前に八百屋があり、新鮮な野菜や果物を売ってました。
ここで、購入してエネルギー補給するというのも良い手だと思いました。
ただ、自分のザックにはオニギリやお菓子がたくさん入っているので買いませんでした。)
公園でお昼休憩をとりながら、展示してある祭り用の龍神を見学しました。
甲賀三郎と聞くと忍者かな?と思いましたが、そうじゃないようです。
甲賀三郎伝説についてはいくつかあり、たいへん詳しく説明されているページがありました。
そちらを参考にしてください。
⇒信濃の鉄ものがたり(週刊上田)
そのお祭りはコレ
休んでいたら眠くなりましたが、販売機でコーラを購入し、目を覚まし走り出しました。
石仏石塔群
おはる地蔵
明治の頃、高価な肥料が買えない農民に安い肥料を提供したいと艱難辛苦の末、200万東京市民から無料で得たゴミと人糞から燻炭肥料を作る「安川式肥料燻炭炉」を発明した、ここ小田井生まれの安川はるを称えた地蔵様です。
説明版には
「女傑 安川はる」
と書かれてありました。
しっかりした気性とすぐれた知恵をもち、実行力に富んだ女性だったようです。
生涯独身で、一生人々のために献身的な活動をして平成3年89才で永眠したとのことです。
つい最近ですね。
なんか、小説の主人公にでもなりそうです。
どんな装置なのか見たくて調べたんですが、わかりませんでした。
そこで、燻炭肥料で調べるとモミガラくん炭(もみがらくんたん)なるものがありました。
-----ルーラル電子図書館より抜粋-----
モミガラを炭にやいたもの。モミガラ同様、いろいろに使える農家の基本資材。保水性・通気性の確保に役立ち、微生物の棲みかとなって、土の微生物相を豊かにする。ケイ酸分などのミネラルが豊富で、作物の耐病性を高める効果もある。くん炭を毎年入れてきた田んぼでは、イネの葉先を握るとバリバリと感じるほど丈夫になるという。
イネや野菜の育苗培土によく使われ、くん炭を覆土したレタス苗は生育が明らかに促進されるという研究もある。炭に光が当たると微生物が交信しあって殖えることも明らかになっており、くん炭覆土の下で肥料を分解する微生物が活発化したのでは?とも考えられている。また、くん炭を使った培土は軽くて、苗の移動・運搬がラクになるのも魅力だ(くん炭育苗)。
----------
なお、安川式の場合は、精製時にメチルアルコール・アンモニアなどの7種類の薬品副産物があり、優れた発明だったそうです。
小田井は柏木小右衛門といい、安川はるといい、創意工夫に優れた人物が出ている土地柄なんですね。
安川本陣跡
本陣も安川という名前でした。
たぶん、この辺りは安川姓が多いのでしょう。
小田井宿は、飯盛りがなく、旅籠も少なく、大変ひなびた宿であったようです。
ですが、それだけに婦女子の人気があり「姫の宿」とよばれたそうです。
大名は追分で宿をとり、姫君は小田井宿で泊まったらしく、また、皇女和宮がご降嫁の際に休憩された宿です。
当時の旅籠らしき建物がいくつかありました。
街道のすぐ近く東の崖上に小田井城跡があります。
行ってはないです。
G-マップで見てみました。
今は田畑で何もないみたいですが、堀跡だけはあるようです。
(つづく)
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江戸日本橋より41里目
千ケ滝湯川用水温水路
1965年、柏木小右衛門が開削した農業用水路です。
浅間山の雪解け水や湧水は冷たいので、そのままでは稲作には適しません。
そこで、浅くて幅広く長い用水路(全長934m、幅20m、深さ0.2m)を作り、太陽熱で水温の上昇を図るという、先人の知恵による農業土木遺産です。
「コロンブスの卵」的発想ですね。
素晴らしい
-----柏木小右衛門義利-----小諸フィルムコミッションより
慶長13年(1608)~貞享3年(1686)柏木小右衛門義利は、御影用水の開発を時の小諸城主青山因幡守宗俊に申し出、新田開発を許可され浅間山麓奥の千ヶ滝を源とする上堰延長28km、さらに白糸の滝を源とし湯川より分水する下堰延長35kmの開発に従事。
難所では金堀をもって岩石などを掘割、多数の人夫と多額の資金を投入して御影新田830石を開発した。
今日では想像も出来ない程の苦労を重ね完成した。
用水の水量は豊富で、近隣の村々へも分水するほどで現在も利用されている。
この開発の功績により領主より苗字・帯刀を許された。
以後柏木小右衛門家は用水管理の絶対的権利をもち、その権利は代々子孫に引き継がれた。
柏木家は武田家家臣で、柏木城を与えられこの地を統治していた。
しかし武田家滅亡により武士をすて、新田開発人として代々この地を守り現当主易之氏は十一代に当る。
柏木家の屋敷は江戸時代御影陣屋として、幕府役人の宿所や役所にあてられた。
そのため柏木家には当時の貴重な資料や武田家につながる貴重な資料が保存されている。
尚、市内四ツ谷に功績を称えた石碑がある。
御影には「小諸市立天領の里・御影用水資料館」がある。
----------
この辺りに奇祭があるようです。
毎年1月7日におこなわれる道祖神祭です。
小学校高学年ぐらいの子供達だけを載せた2基の道祖神屋台が陣屋跡の前で、激しくぶつかり合うという凄い祭りです。
子供がむち打ちになるんじゃないでしょうか?
いやはや、凄すぎる!
畑と森と浅間山
なんていう事もない景色ですが、癒されます。
なんでしょうか、この草は?
ほぼ原形をとどめる御代田(みよた)の一里塚と浅間山
中仙道から、ちょっとばかり引っ込んだところの畑の中に枝垂れ桜の一里塚がありました。
浅間山をバックに美しいです。
昔の人も
「ああ、まだ41里なのか。」
と浅間山とこの一里塚を眺めながら、一息ついたんでしょうね。
マラソン大会の距離表示をみて、「まだまだか」とため息つくのと同じです。
(江戸から京都まで135里)
欲を言えば、もうちょっと一里塚の手入れをしてもらいたいですね。
春の時期に枝垂れ桜が咲くとこうなるようです。
写真は「日本隅々の旅 全国観光名所巡り&グルメ日記」よりお借りしました。
しなの鉄道の御代田駅のアンダーパスをくぐりました。
もう、小田井(おたい)宿は近くになります。
甲賀三郎伝説に由来する龍神祭りに使われる龍
御代田駅のそばに龍神の杜公園がありました。
(旅ランナー情報:駅前に八百屋があり、新鮮な野菜や果物を売ってました。
ここで、購入してエネルギー補給するというのも良い手だと思いました。
ただ、自分のザックにはオニギリやお菓子がたくさん入っているので買いませんでした。)
公園でお昼休憩をとりながら、展示してある祭り用の龍神を見学しました。
甲賀三郎と聞くと忍者かな?と思いましたが、そうじゃないようです。
甲賀三郎伝説についてはいくつかあり、たいへん詳しく説明されているページがありました。
そちらを参考にしてください。
⇒信濃の鉄ものがたり(週刊上田)
そのお祭りはコレ
休んでいたら眠くなりましたが、販売機でコーラを購入し、目を覚まし走り出しました。
石仏石塔群
おはる地蔵
明治の頃、高価な肥料が買えない農民に安い肥料を提供したいと艱難辛苦の末、200万東京市民から無料で得たゴミと人糞から燻炭肥料を作る「安川式肥料燻炭炉」を発明した、ここ小田井生まれの安川はるを称えた地蔵様です。
説明版には
「女傑 安川はる」
と書かれてありました。
しっかりした気性とすぐれた知恵をもち、実行力に富んだ女性だったようです。
生涯独身で、一生人々のために献身的な活動をして平成3年89才で永眠したとのことです。
つい最近ですね。
なんか、小説の主人公にでもなりそうです。
どんな装置なのか見たくて調べたんですが、わかりませんでした。
そこで、燻炭肥料で調べるとモミガラくん炭(もみがらくんたん)なるものがありました。
-----ルーラル電子図書館より抜粋-----
モミガラを炭にやいたもの。モミガラ同様、いろいろに使える農家の基本資材。保水性・通気性の確保に役立ち、微生物の棲みかとなって、土の微生物相を豊かにする。ケイ酸分などのミネラルが豊富で、作物の耐病性を高める効果もある。くん炭を毎年入れてきた田んぼでは、イネの葉先を握るとバリバリと感じるほど丈夫になるという。
イネや野菜の育苗培土によく使われ、くん炭を覆土したレタス苗は生育が明らかに促進されるという研究もある。炭に光が当たると微生物が交信しあって殖えることも明らかになっており、くん炭覆土の下で肥料を分解する微生物が活発化したのでは?とも考えられている。また、くん炭を使った培土は軽くて、苗の移動・運搬がラクになるのも魅力だ(くん炭育苗)。
----------
なお、安川式の場合は、精製時にメチルアルコール・アンモニアなどの7種類の薬品副産物があり、優れた発明だったそうです。
小田井は柏木小右衛門といい、安川はるといい、創意工夫に優れた人物が出ている土地柄なんですね。
安川本陣跡
本陣も安川という名前でした。
たぶん、この辺りは安川姓が多いのでしょう。
小田井宿は、飯盛りがなく、旅籠も少なく、大変ひなびた宿であったようです。
ですが、それだけに婦女子の人気があり「姫の宿」とよばれたそうです。
大名は追分で宿をとり、姫君は小田井宿で泊まったらしく、また、皇女和宮がご降嫁の際に休憩された宿です。
当時の旅籠らしき建物がいくつかありました。
街道のすぐ近く東の崖上に小田井城跡があります。
行ってはないです。
G-マップで見てみました。
今は田畑で何もないみたいですが、堀跡だけはあるようです。
(つづく)
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NPO法人ネイチャーズは、走Run会名誉会長、ウィンドサーフィンの師匠の山下光哉さんが運営する若者のためのNPO。
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