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旅ラン「甲州道走膝痛シ」…千歳烏山~立川(その4)製鉄=権力を司る男子たれ

2019年07月08日 | 甲州道走膝痛シ(旧甲州街道ランニング)
調布の旅ランで知りました。
「ひょっとこ」は「火男」からきたらしく、すなわち製鉄の竈(かまど)の火を竹筒で吹く男であり、昔の鍛冶と関係あり、そして子孫繁栄と関係があるようです。


つづきの始まり

さて、

ゲゲゲの鬼太郎が住んでいる森のある布多天神社の参道にきました。

鬼太郎が住んでいるだけあって、創建時期があまりに古いくて、はっきりと分かっていないほど 歴史の深い神社だそうです。
まあ、見にはいきませんでしたが。





映画のまち調布」と書かれた門がありました。
調布は映画の町だそうです。
調布市のHPには以下のことが書かれていました。



東洋のハリウッド(調布市のHPより)
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調布市内には、日活調布撮影所、角川大映スタジオと、2ヶ所の大型撮影所があるほか、高津装飾美術株式会社、東映ラボ・テック株式会社、東京現像所など現在も数多くの映画・映像関連企業が集まっています。

そのきっかけとなったのは、昭和8年に多摩川撮影所が作られたことから始まります。撮影所がこの地に作られた理由は、後に調布市長となり、「カツドウヤ市長」と呼ばれた本多嘉一郎の回想によると、「時代劇・現代劇どちらの撮影にもふさわしい自然環境やフィルムの現像に欠かせない良質な地下水があった。」とのことです。
昭和30年代の日本映画全盛期には、大映、日活に加えて独立プロダクション系の株式会社調布映画撮影所(現多摩川2丁目あたり)の3ヶ所で映画が作成されるという活況を呈し、調布は「東洋のハリウッド」にたとえられました。
 
これを記念して、かつて大映撮影所の敷地内だった多摩川5丁目児童遊園の一画には、「映画俳優之碑」と「調布映画発祥の碑」が建てられています。

また、「高校生フィルムコンテスト in 調布」、市民による実行委員会が企画・運営している「調布映画祭」など、映画に関連するイベントも多く開催されています。
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私の友人も武蔵野市で町おこしの為、
映像制作競技会「ムービンピック」
という催しを毎年開いています。

幸せな花子 予告


私も応援しています!




面白い壁の居酒屋 WADACHI


凄い歴史があるような建物がありました。
中央の半円アーチの出入口が立派です。
その時は、何の建物だかわかりません。

帰ってから調べたら自動車整備販売の会社(豊自動車株式会社)のようでした。

地元の大地主のようで、煙草や醤油の商売をしていたようです。



天台宗 常演寺の入り口にある「多摩川三十三所第十七番天台宗常演寺」の石標

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多摩川三十三ヶ所観音霊場(猫の足あとより)
多摩川三十三ヶ所観音霊場は、多摩川沿いにある三十四ヶ寺の観音像を巡拝する札所です。多摩川三十三ヶ所観音霊場は、常演寺観音講の人々が中心となり、昭和8年に制定されたといいます。
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その赤い本堂



街道沿いになんか書いてある???



民家の脇の細い道を入ると、家の庭のようなところに・・・


金山彦神社

小さな神社がありました。
この辺りに江戸時代初期より鍛冶屋を生業していた集団がいたらしいです。

同じ調布市内ですが、ここからちょっと北上した場所(国領)の矢ヶ崎という場所は江戸時代に鋸鍛冶で有名な地域でした。

-------以下、武蔵野・多摩MTB散歩より
矢ヶ崎村

東京都調布市国領町7-52-9(二見屋工業)

二見屋甚八の碑

京王線国領駅から南へ延びる世田谷通り(狛江通)と品川通りの交差点の南側は、かつては矢ヶ崎村と呼ばれ、代々二見屋を名乗る鋸鍛治が住んでいた。

今でも残る二見屋工業の前に、この地に鍛治の技術を伝えた開祖二見屋甚八の碑が建っている。

地蔵・庚申塔

二見屋工業の沿革に寄れば、矢ヶ崎甚八は伊勢の国二見に住む紀州徳川家ご用の鍛冶屋であったが、享保二年(1717)吉宗が八代将軍として江戸入府した際に同行して上京し、故郷を忘れないよう二見屋を名乗ったという。村内を通る筏道(品川道)を帰る筏乗りたちが、国領に良い鋸屋があるといって買い求め評判であったらしい。

二見屋で徒弟修行した職人は、多摩地区にとどまらず近県にも進出し各地で活躍したようだ。
各地で開かれる市で販売され、地域の生業を支えていた。
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この二見屋と関係ある刀鍛冶かもしれません。
気がつかない場所にあるマニアックな神社でした。

ちなみに金山彦神とは鉱山の神、鉱業・鍛冶の守護神らしいのですが、ウィキペディアによるとこう書かれてありました。
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『古事記』では金山毘古神、『日本書紀』では金山彦神と表記する。金山毘売神(かなやまびめのかみ、金山姫神)と対になるともされる。

神産みにおいて、イザナミが火の神カグツチを産んで火傷をし病み苦しんでいるときに、その嘔吐物(たぐり)から化生した神である。『古事記』では金山毘古神・金山毘売神の二神、『日本書紀』の第三の一書では金山彦神のみが化生している。

岐阜県垂井町の南宮大社(金山彦神のみ)、南宮御旅神社(金山姫神のみ)、島根県安来市の金屋子神社、宮城県石巻市金華山の黄金山神社、京都府京都市の御金神社及び幡枝八幡宮末社の針神社を始め、全国の金山神社で祀られている。


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しかし、日本の神々とは生々しい誕生をするものですね。

なんとなく、インドのヒンドゥー教シバ神の信仰を思い出しました。

リンガlinga(男根)と,それに配して崇拝されるヨニyoni(女陰)です。

ですが、上の図をみると、日本の方がもっと生々しいです。

また、「妖怪考 ~製鉄神と日本人~」というブログの中で金山神社に関し、面白い発見がありました。

以下、面白い箇所を抜粋してみました。

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(前略)
刀鍛冶が神と崇める「金屋子さん」という金屋子神は別名「天目一箇神(あめ
のまひとつのかみ)」と呼ばれ、日本神話においては製鉄・鍛冶の祖神とされて
いる。
この天目一箇神は妖怪のダイダラボッチ(国土を造った大巨人の妖怪。柳田國男
はダイダラボッチは巨人を表す「大太郎」と「法師」が合体した語としている)とも
密接な関係にあるといわれている。
(中略)
神話時代の古代において、アマテラスが岩戸に隠れた時に鍛冶をしていたという
『古事記』(いにしえのことのふみ)に出てくる天津麻羅(あまつまら)は天目一箇神と
同神であるとされる。
マラとは男性器のことでもあり、丸や麻呂の語源でもある。火床(ほど)は女性器の語源であるホトを表している。
古来、日本において男根は卑猥な物ではなく、鍛冶職と密接な「神々しい物」として祀られる風習があった。
男根を形どった物を象徴として祀る祭りは全国各地に残っている。
それらは「かなまらさま」と呼ばれている。

かなまら祭り(Utamaro Festival)2015/神奈川新聞(カナロコ)


川崎の金山神社では毎年「かなまら祭り」が行なわれる。
男根を模した御神体を神輿に担いで川崎大師近辺を練り歩く大きな祭りだ。
巨大なポコちゃんが練り歩くだけの卑猥な奇祭であるとか考えてはならない。
これは「国譲り」と「産鉄」と「安産」いういずれも「産み」の歴史を崇める国家国土安寧を願う古来からの祭りなのである。
昔の男子の名の「丸」や「麻呂」は「マラ」から発生しており、製鉄=権力を司る男子たれとの思念を託した名であった。
(後略)
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あのリンガヨーニと全く同じですね。
インドも日本もやはり同じアジアです。

金山彦神社のことから、日本神話、そしてインド、かなまら祭りと調べていくに面白い方向に話が展開しました。

また、調べていたら面白い金山彦の神楽がありました。
是非ご覧ください。

足利雷電神社大和流神代神楽「金山彦の舞」


(つづく)



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