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強烈な赤の鳥居の神社がありました。
ココは江戸日本橋から18番18里に当たる上野原市の塚場一里塚の跡地です。
実際には神社裏手の小高くなった竹やぶの中辺りにある直径9m高さ2mの円丘がそうらしいです。
さらには、その円丘は、この辺りの古墳群の一部らしいです。
塚場という地名は、その辺りからきているのでしょうね。
そして、この一里塚が疱瘡神社になっていました。
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疱瘡の話は調べてみたら、ちょっと面白いので掲載します。
以下、ウィキペディアの疱瘡神より抜粋しました。
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風習
疱瘡神は犬や赤色を苦手とするという伝承があるため、「疱瘡神除け」として張子の犬人形を飾ったり、赤い御幣や赤一色で描いた鍾馗の絵をお守りにしたりするなどの風習を持つ地域も存在した。疱瘡を患った患者の周りには赤い品物を置き、未患の子供には赤い玩具、下着、置物を与えて疱瘡除けのまじないとする風習もあった。赤い物として、鯛に車を付けた「鯛車」という玩具や、猩々の人形も疱瘡神よけとして用いられた。疱瘡神除けに赤い物を用いるのは、疱瘡のときの赤い発疹は予後が良いということや、健康のシンボルである赤が病魔を払うという俗信に由来するほか、生き血を捧げて悪魔の怒りを解くという意味もあると考えられている。江戸時代には赤色だけで描いた「赤絵」と呼ばれるお守りもあり、絵柄には源為朝、鍾馗、金太郎、獅子舞、達磨など、子供の成育にかかわるものが多く描かれた。為朝が描かれたのは、かつて八丈島に配流された為朝が疱瘡神を抑えたことで島に疱瘡が流行しなかったという伝説にも由来する。「もて遊ぶ犬や達磨に荷も軽く湯の尾峠を楽に越えけり」といった和歌もが赤絵に書かれることもあったが、これは前述のように疱瘡神が犬を苦手とするという伝承に由来する。
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江戸時代の読本『椿説弓張月』においては、源為朝が八丈島から痘鬼(疱瘡神)を追い払った際、「二度とこの地には入らない、為朝の名を記した家にも入らない」という証書に痘鬼の手形を押させたという話があるため、この手形の貼り紙も疱瘡除けとして家の門口に貼られた。浮世絵師・月岡芳年による『新形三十六怪撰』に「為朝の武威痘鬼神を退く図」と題し、為朝が疱瘡神を追い払っている画があるが、これは疱瘡を患った子を持つ親たちの、強い為朝に疱瘡神を倒してほしいという願望を表現したものと見られている(冒頭画像参照)。貼り紙の事例としては「子供不在」と書かれた紙の例もあるが、これは子供が疱瘡を患いやすかったことから「ここには子供はいないので他の家へ行ってくれ」と疱瘡神へアピールしていたものとされる。
疱瘡は伝染病であり、発病すれば個人のみならず周囲にも蔓延する恐れがあるため、単に物を飾るだけでなく、土地の人々が総出で疱瘡神を鎮めて外へ送り出す「疱瘡神送り」と呼ばれる行事も、各地で盛んに行われた。鐘や太鼓や笛を奏でながら村中を練り歩く「疱瘡囃子」「疱瘡踊り」を行う土地も多かった。
また、地方によっては疱瘡神を悪神と見なさず、疱瘡のことを人間の悪い要素を体外に追い出す通過儀礼とし、疱瘡神はそれを助ける神とする信仰もあった。この例として新潟県中頚城郡では、子供が疱瘡にかかると藁や笹でサンバイシというものを作り、発病の1週間後にそれを子供の頭に乗せ、母親が「疱瘡の神さんご苦労さんでした」と唱えながらお湯をかける「ハライ」という風習があった。
医学の発達していない時代においては、人々は病気の原因とされる疫病神や悪を祀り上げることで、病状が軽く済むように祈ることも多く、疱瘡神に対しても同様の信仰があった。疱瘡神には特定の祭神はなく、自然石や石の祠に「疱瘡神」と刻んで疱瘡神塔とすることが多かった。疫病神は異境から入り込むと考えられたため、これらの塔は村の入口、神社の境内などに祀られた。これらは前述のような疱瘡神送りを行う場所ともなった。
昔の沖縄では痘瘡のことをチュラガサ(清ら瘡)といい、痘瘡神のご機嫌をとることに専念した。病人には赤い着物を着せ、男たちは夜中、歌・三線を奏で痘瘡神をほめたたえ、その怒りをやわらげようと夜伽をした。地域によっては蘭の花を飾ったり、加羅を焚いたり、獅子舞を繰り出した。また、琉歌の分類の中に疱瘡歌があり、これは疱瘡神を賛美し、祈願することで天然痘が軽くすむこと、治癒を歌った歌である。形式的には琉歌形式であるが、その発想は呪術的心性といえよう。
幕末期に種痘が実施された際には、外来による新たな予防医療を人々に認知させるため、「牛痘児」と呼ばれる子供が牛の背に乗って疱瘡神を退治する様が引札に描かれ、牛痘による種痘の効果のアピールが行われた。
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種痘による疱瘡の予防が一般化した後も、地方によっては民間伝承における疱瘡神除けの習俗が継承されていた。例として兵庫県多紀郡篠山町(現・丹波篠山市)では、予防接種から1週間ほど後、御幣を立てた桟俵に笹の葉、赤飯、水引などを備え、道端に送る風習があった。大阪府豊能郡能勢町でも「湯がけ」といって、同様に種痘から12日目に紐を通した桟俵に赤い紙と赤飯を備えて疱瘡神を送った]。千葉県印旛郡では疱瘡流行時、子女が万灯を肩に鼓を打ちながら村を囃して歩くことが明治10年頃まで続けられていた。接種の際に赤い御幣、赤飯、食紅の印を付けた饅頭などが供えられることも多かった。
21世紀に入っても、赤い御幣などの疱瘡神を家庭で祀っている例があり、疱瘡神の加護によって疱瘡を患うことのなかったことの感謝の念が今なお残っているものと見られている。前述の疱瘡囃子や疱瘡踊りが伝統行事として行われている土地も多く、茨城県では土浦市田宮地区の疱瘡囃子が、鹿児島県では薩摩郡入来町(現・薩摩川内市)や大浦町(現・南さつま市)などで行われていた疱瘡踊りが、それぞれ県の無形民俗文化財に指定されている。
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天然痘の治療は、実はジェンナーの種痘の発見以前のかなり昔からあったのだ、という話を聞いたことがあります。
(紀元前1000年頃にはすでにインドや中国では天然痘に罹患した子供は天然痘に2度罹患しないことが経験的に分かっていた。)
例えば、
① インドでは天然痘患者の着物で子供を包んだ。
② エジプトでは天然痘から回復した者に天然痘の看護に当たらせた
③ 中国ではかさぶたの粉末を鼻孔から吸い込ませたり、また、かさぶたの乾燥末を注射することも行われていた
(AC1710年の初めに英国のウエールズの王子達がこの東方の手法であるかさぶたの粉末の接種を受けた)
といった、天然痘に罹った人間の体の一部から人工的に免疫を得る方法があったようです。
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この八百屋の隣の店蔵は何でしたか?
忘れてしまいました。
説明書きもなかったです。
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上野原市というと酒饅頭が有名なようですので、一つ食べてみようとこの店に入りました。
あんまん、みそまん、魚(とと)まん、塩まん、というのがありました。
そのうち、想像の付かない魚まんをチョイス
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中身は塩気の付いたマスの身が入ってました。
味は、塩気が欲しいころでしたので、美味しく感じたのですが、正直なところを言えば、出来立ての冷えていない熱々のものを食べたかったのでした。
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駐車場らしきところにポツンとある上野原宿本陣跡
この屋敷門だけが寂しく残されていました。
街道からちょっと脇道にはいらないと見れない場所でした。
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「三井屋」屋号のかかている建物
これも歴史的建物なのだが、説明書きはありませんでした。
上野原市はあまり、こういったものの保存には力は入れてないようですね。
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たこ焼きやですが、懐かしい感じもあり、そしてアートだなとも思い、写真に撮りました。
自分の育った昭和30年代の足立区では、こんな感じの平屋のお店(特に子供相手)が結構ありました。
駄菓子屋、スマートボールなどの遊技場、もんじゃやお好み焼きなどの粉物屋、・・・
懐かしいです。
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路傍の石仏
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鶴川入口歩道橋を渡り20号線を横断しました。
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鶴川にかかる鶴川橋を渡り、鶴川宿に入りました。
昔は橋ではなく、渡しがあったようです。
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橋の下では釣りをしていました。
この時の季節は7月ですから若鮎ですかね。
食べたいです!
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ものすごく立派な家を発見!
建物の材料から見て新しい建物だとは思いますが、造りはゆとりを感じる古風なものですね!
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さらに行くと森の中に古くはないが、とても立派な蔵を発見!
この蔵も新しいものだと思いますが、とても立派!
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左手の方から坂を登って、右手の方に走ってます。
こんな感じの道が続きます。
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この道は中に入れませんが、おそらくこの道が本当の街道かと思います。
個人の敷地内なのでしょう。
私が走ったのはこの道を迂回してます。
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中央高速に出ました。
この広くて緩い坂の景色がなかなか良いです。
街道は、先にある横断橋を渡り、高速道の反対側を再び沿って走ります。
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山梨県上野原市大椚地区あたりの坂道
事前に地名の由来になったオオクヌギがあると知っていたので。この辺りかと思い探したのですが見つかりません。
ボーっと走って、過ぎ去ってしまったのかと思いました。
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大椚の一里塚跡(おおくぬぎのいちりつかあと)
江戸日本橋から19番19里の一里塚
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一里塚からすぐのところに二十三夜塔
特定の月齢の夜(この場合二十三夜)に集まり、月待行事を行った講中で、供養の記念として造立した塔です。
月が満ち欠けすることへの驚きと畏れから神様を感じて生まれた自然信仰です。
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大椚宿発祥の地と書かれてます?
大椚宿って宿は甲州街道中四十四次にはありませんが・・・?
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手入れされずに石仏が点々と立ってました。
せめて雑草ぐらいは刈って欲しいです。
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どうもこの巨木が大椚なんでしょうか?
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ところが、椚ではなく杉だった?
だったら大椚村ではなく、大杉村ではないでしょうか?
調べてみると、
---------以下、人里の巨木たちより抜粋してお借りしました。
大椚(おおくぬぎ)とは珍しい名である。たまたまボランティアで公衆トイレの清掃をしておられた男性に由来を伺うことが出来た。
祖父から聞いた話だがと前置きのあと、昔、富士講の行者が富士山に向かう際、町内の富士浅間神社の末社に詣でた。その際に突きさした杖が大きくなったと伝える大クヌギが実際にあったからとのこと。
大クヌギは「さかさクヌギ」と呼ばれていたのだろうか。各所にある「さかさ某」についての講釈もしてくださった。
杖は本来、太い方を手に持ち、細い方を地面に突く。木は根に近い方が太いわけだから、そのまま地に挿せば、天地さかさまになるのが当たり前だ、というのである。なるほど、一理ある。
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なるほど納得です。
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この大杉のそばには石仏群と大椚観音堂があり、一段高いところに吾妻神社がありました。
上野原市大椚村(甲州街道ラン)
(youtubeの公開設定の仕方が変わりましたね。 限定公開になってました。すみませんでした)
(つづく)
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当ブログは若者の自立を支援する団体、NPO法人ネイチャーズを応援しています。
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