今回は、ちょっと厳しい話になってます。
自分でも面倒くさい文章だと思うので、適当に無視するなり、読み飛ばすなりしてください。
暫く前から “エコ” とか “地球に優しい” という言葉が巷にあふれている。
最近、この言葉にちょっと反感を感じている。 何せ、天の邪鬼だから…。
と言うのも、 “ECO“ が企業の宣伝文句にしかなってない気がするのだ。
しかも、それを伝家の宝刀のように振りかざし、自社の都合の良いように世論を誘導しようとさえしているように見える。
某社の ”エコ替え” という宣伝文句は何なんだろう。
彼らは新しい物の製造時や古い物の廃棄による環境への付加には全く触れていない。
ましてや、電力会社の 「原子力発電はCO2を出さない。」との宣伝に至っては…。
もっと質の悪い放射能を持つ物質を量産していると言うのに。
俺は、長崎で生まれ育ったので、放射線の恐ろしさは小さい頃から様々に見聞きをしてきた。
電力会社は、 「自然に浴びる放射線より少量なので大丈夫。」 という。
が、裏を返せば、 「自然に浴びる放射線に加えて、原子炉から出る放射線を浴びています。」 と言っているのと同じ事だ。
仮に、原子炉から出る放射線が、自然放射線と同量だと仮定すれば、周囲の人は、自然放射線の二倍の放射線を浴びている事になる。
放射線は、遺伝子に直接傷を付けてしまう。
つまり、その影響は子々孫々続いてしまうのである。
こんな物は、浴びる量が少ないに超した事はない。
また、CO2は、いざとなれば化学的に吸着、固定化出来るが、放射線は長い時間をかけて自然に弱まっていくのを待つしか無い。
しかもその “半減期 (放射能が半分になるのに掛かる時間。消えてしまう時間では無い。) ” は、とてつもなく長いのである。
ついでに言えば、電力会社は、原子炉の寿命が来た場合の “廃炉” にかかる費用と環境負荷を表に出してはいない。
これは。原子炉を作る時とは比較にならないほど大きな物なのに。
強い放射能を持つ炉心部は、そう簡単には解体出来るものではない。
チェルノブイリの原子炉が未だに解体処分されていないのが何よりの査証である。
しかも、燃料となる濃縮ウランを作り出す為の環境負荷には全く触れていない。
その他にも、 「本気で環境を保護する気があるのか。」 って感じる事はたくさんある。
身近な所では、 “環境に優しい” 事を宣伝している会社のトラックが、真っ黒な排気ガスを振りまきながら走り回っていたり…。
更に言わせてもらえば、 “地球に優しい” という言葉に意味は無い。
地球には、そんな事はまるで関係無いからだ。
そもそも、今の大気環境は “シアノバクテリア” による “環境破壊” の産物である。
ストロマトライトと言う化石にその痕跡が残っているが、彼らが大量に作り出した “酸素” は、当時の生物にとっては猛毒でしかなかった。
その酸素による環境破壊で、当時の原始生命体はほぼ絶滅していった。
今、特殊な環境に見られる “嫌気性細菌” がその時生き延びた生命体の末裔であろう。
その猛毒の酸素に対応、利用出来た種の末裔が、今地球上に広がっているだけだ。
また、 “種の多様性” の維持が必要と訴えるのも間違いだと思う。
なぜなら、大量の種の絶滅は、過去何度も起こっているからだ。
恐竜の絶滅もその一つである。
それを生き抜いた種が分化繁栄して、今の哺乳類になっている。
つまり、今の環境が破壊されようが、それを生き抜いた種が繁栄するだけの事である。
とは言っても、環境の維持 (つまり、エコ) に反対をしている訳では無い。
その目的を 「言葉で飾るな!」 と言いたいだけである。
また、 「利益を得る為に利用するな!」 と。
環境の維持は、人類と言う種の存続の為に必要だと言う事だ。
「我々人類が生き残る為、今の環境を維持しなければならない。」 とハッキリ言わず、オブラートにくるんで、他の生命を守る為のような言い方をするから真剣に取り組む事が出来ないのだと思う。
本気で環境の維持を行う為には、色々と大胆な手を打たなければならないだろうし、それによってかなりの負担と不自由を強いられよう。
また、現在得ている利益を失う者も出るだろうし、彼らの反対は激しい物になると思う。
彼らは現在、力と金を持っているだけに、やっかいな存在になるだろう。
だが、それをやらなければ、近い将来人類は自滅する道を進むしか無くなる可能性が高い。
そこをきちんと伝えなければ、環境問題を先に進める事は難しいと思う。
今のままでは、早晩手遅れになる事は目に見えている。
俺は、田舎育ちだから、自然の中にいるのは大好きだし、それを写真に撮るのもまた大好きだからね。
って、ECOと正反対な生活をしている俺が言っても説得力はないよなぁ。