越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

第1回 幻のキューバ  サンティアゴのブルへリア(18)

2011年11月23日 | キューバ紀行

 

 ホルヘは私の言葉に肯いて言った。 

 僕の爺さんはババラオ、アフロ信仰の司祭だよ。

 スペイン語とハイチアーノ語(ハイチ風のフランス語、一種のパトワ)を喋るんだ。 

 じゃ、祖先は、ハイチ経由でキューバにきたんだね? 

 おふくろの苗字がフランス風のモリエールで、

   ホセ爺さんはおふくろの父なんだ。

 私たちはいっとき翌年の山登りの話で盛りあがった。

 やがてホルヘが申し訳なさそうな顔をしてこう言った。

 明日、僕の娘に会いに行くんだ。娘の誕生日でさ・・・。

 私が黙って聞いていると、ホルヘは言葉をつづけた。

 離婚した女性との間に六歳の娘がいて、いま娘は元妻と一緒に住んでいる。

 明日、誕生日のプレゼントを何か持って行ってやりたい。

 今度小学校に入るから、運動靴とか・・・。私は事情を察して、少し援助してあげることにした。

 (つづく)

 


第1回 幻のキューバ  サンティアゴのブルへリア(17)

2011年11月23日 | キューバ紀行

 

    そう言われてみると、確かに、乗り合いバスを降りた町の中心地あたりは家々が並び、

    道路にはトラックやオートバイや馬車が頻繁に通り、埃っぽい。

    高原の清涼な空気に慣れた人には、汚れた環境に映るのだろう。 

 まるで現代の「シマロン」みたいだね。私は褒め言葉としてそう言った。 

 奴隷制時代に凶暴な農場監督のムチや獰猛な猟犬に屈せず

   命がけで山奥に逃げた逃亡奴隷(シマロン)の強い意思と矜持に敬意を表したのだ。

   彼らは単に山のなかに逃げたのではなく、

   パレンケと呼ばれる「聖地」においてカリスマ的な宗教指導者のもとで共同体生活を営んだ。

  アフリカと同じように、木の精霊や川の精霊、先祖の霊などと共に生きることで、自然を畏怖する心を維持していた。

(つづく)

 


 


第1回 幻のキューバ  サンティアゴのブルへリア(16)

2011年11月23日 | キューバ紀行

 

 あるとき、ホルヘがさりげなくこう言った。 

 ホセっていう僕のお爺さんが山奥に住んでいるんだ。来年、一緒に会いに行ってみない? 

 私は木の枝に鳥の卵を見つけた大蛇ボアみたいに、その言葉に飛びついた。 

 それって、どこの山?

 ホルヘは、嬉しそうな顔をして言った。

 ちょっと遠いけど。椰子の葉を葺いた屋根だけの小屋にひとりで住んでいるんだ。

 どうして?

 ホルヘはいっそう嬉しそうな顔をして言った。

 この町、ごみごみしすぎてるって。

 私たちは、腹を抱えて笑った。エル・コブレには、そこかしこにプラタノと呼ばれる、料理に使う大型のバナナをはじめ、熱帯の木々が生い茂り、これ以上ないくらいに緑豊かなところだからだ。

 ホルヘが思い出したように付け加えた。

 爺さんに言わせると、アフリカみたいに空気がよいところに住みたいって。

(つづく) 


 


第1回 幻のキューバ  サンティアゴのブルへリア(15)

2011年11月23日 | キューバ紀行

 

 ホルヘサンテロとしてアフロ信仰の儀式の手伝いをしているが、

 儀式はそう多くないので、カトリック教会の前で、

 カチータと呼ばれる木製の聖母人形を売っている露店の手伝いをしていた。

 私はエル・コブレに行くと、その辺の露店でホルヘを探すか、彼の名前を出して居場所を聞くのだった。 

(つづく)