越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

死者のいる風景(第4話)キューバ/エル・コブレ(11)

2011年11月27日 | キューバ紀行

 

 私はホルヘに写真を撮る許可をもらって、

 この最後の儀式のところだけはビデオに撮った。ホルヘは最初から写真を

 撮っても構わないと言ってくれていたのだが、

 それまでは観察だけして、カメラはバッグの中にしまっておいたのだった。 

 神がかりというのは、まさしくオリチャ(守護神)が

 人間に乗り移ったわけだから、

 すでに人間でない神聖な存在になっている。

 それを映像に撮ることは許されない。

 私は、強烈な目の輝きを見せる老婆に、

 なぜ撮ったのだ! と恫喝された。

 「ホルヘが・・・」と、私は言い淀んだ。

 ホルヘがすぐに気づき、間を取り持ってくれた。

(つづく)


 


 


死者のいる風景(第4話)キューバ/エル・コブレ(10)

2011年11月27日 | キューバ紀行

 

 パティオの一角に穴が掘ってあり、

 そこに人々が集まり、

 生贄(いけにえ)に使った雄鶏の内臓や羽根を長老の司祭の指示で、

 順序よく埋めていく。

 その間も、太鼓と人々の歌はつづく。

 すると、一人の男が身体を震わせて、明らかに何かが乗り移った様子だ。

 身体がずりずりと穴の下に降りていき、

 まるで生贄と一緒にあの世に戻っていきたがっているかのようだ。

 若い男が後ろから羽交い締めにして、それを必死に防ぐ。

 大声でこの世に連れ戻そうとする。

 と、もう一人の男にも何かが乗り移り、近くにある木の幹を右手で叩く。

 何か呪文のような言葉をつぶやいている。 

(つづく) 

 

 


死者のいる風景(第4話)キューバ/エル・コブレ(9)

2011年11月27日 | キューバ紀行

 

 

 「見るかい?」と、青年は誘った。

 「見る見る。グラシアス」と、私は答えた。

 「おれ、ホルヘだよ」

 「ロベルトだよ。何やってるの?」

 「ベンベイさ」と、ホルヘと名乗る男は、人のよい笑顔を見せて言った。

 家の垣根を通り、脇にある細い道を通って奥のパティオに出る。

 そこに、タンボールと呼ばれる太鼓三台が並び、太鼓のリズムに合わせて、

 大勢の人が歌いながら踊っていた。

 聞けば、きのうの夜十時頃からずっとこんな感じで歌って踊っているという。

 そろそろクライマックスらしい。

(つづく) 


 

 


死者のいる風景(第4話)キューバ/エル・コブレ(8)

2011年11月27日 | キューバ紀行

 

 私は教会の門の前のコンクリートに腰をおろし、

 道を挟んだ向こうの家の中から聞こえてくる歌声と

 太鼓と鉦の音に耳を傾けていた。

 音だけでも収録したくなり、バッグからデジカメを取りだし、

 ヴィデオモードにして茶色いトタン屋根の家を撮った。

 ふと気づいた。

 音楽は家の中からではなく、その向こうから聞こえてくるのではないか、と。

 私はそちらを目指して、手前の道を迂回するように歩いていく。

 角をまがると、音はますます大きくなる。

 と、一人の大きな黒人の青年がぬっと私の前に現われた。

(つづく)

 

 

 


死者のいる風景(第4話)キューバ/エル・コブレ(7)

2011年11月27日 | キューバ紀行

 

 十分ほど、蛇行する坂道を歩いてゆくと、丘の頂上に教会と門が見えてくる。

 白塗りの立派な教会だ。

 さすがキューバの守護神が祀られているだけのことはある。

 ふと右手のトタン屋根の家の中から、太鼓と鉦のリズムに合わせて、

 アフリカの歌声が聞こえてくる。

 何かの集会、お祈りか厄除けをやっているにちがいない。

(つづく) 

 

 


死者のいる風景(第4話)キューバ/エル・コブレ(6)

2011年11月27日 | キューバ紀行

 

 エル・コブレのセントロ地区に着くと、大勢の人がそこで降りた。

 ロウソクやひまわりの花飾りを売りつけようとする地元の若者が寄ってくる。

 いらないと言うと、簡単に引き下がった。

 モロッコなどで経験したアラブ人の物売りに比べると、

 あっけないほどしつこくない。

 ついでに、教会の方角を訊くと、手でそっちだと示す。

(つづく) 

 

 


死者のいる風景(第4話)キューバ/エル・コブレ(5)

2011年11月27日 | キューバ紀行

 

 トラックの進行方向と逆向きに立っているので、

 急ブレーキを掛けられたら荷台から投げだされかねない。

 後方に飛び去る田園の緑が目に痛い。

 こちらではプラタノと呼ばれる料理に使われる大きなバナナの房や、

  フルータ・ボンバと呼ばれる緑色のパパイアいった果物以外にも、

 名前を知らない熱帯の木々や雑草が鬱蒼と繁っている。

 やがて後方から太陽が出てくる。これほど美しい夜明けは見たことがない。

(つづく) 

 

 


死者のいる風景(第4話)キューバ/エル・コブレ(4)

2011年11月27日 | キューバ紀行

 

   革命広場よりずっと手前のバスターミナルの脇で、

  カミオン(大型トラック)か、カミオネッタ(小型トラック)

 を改造した乗り物を待ちなさい。

 公共のバスは、一日に数本しかないから。

 そう前夜、カサ・パルティクラルを呼ばれる民宿

 のおばさんに指示された。

 その日、私が乗ったのは、大型のカミオンだった。

 乗客はまるで家畜みたいに荷台にぎっしり詰め込まれ、

 私は最後尾に立つ。

 左右の端に細長い木製のベンチが二列並んでいるが、

 中央は立つしかない。

 車掌の男に五ペソ払う。

 片手に水の入った大きなペットボトルをもち、

 もう片方の手で手長猿みたいに頭上の鉄棒をつかむ。

 屋根のビニールシートを張るための鉄棒だ。

 大型トラックは、カーヴの多い田舎道を猛スピードで飛ばし

 右に左に大きく揺れる。

(つづく)