のびたとブレイク

生き生きと第三の人生を歩んでいます
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瞼の母聴けばお前が浮かぶのだ

2017年01月15日 08時38分23秒 | うたごえ

録画したテレビから 瞼の母 が聴こえてくる 島津亜矢さんの迫力ある歌だ

セリフも入る 浪曲調の芝居のように 映像も浮かんでくる

妹がカラオケ大会で歌っていた光景と 私にはダブる ああ あの時歌っていたっけ

 

この時もグランドチャンビォンになった 発表までは私は残っていないで帰る

翌日 朝 勢いよく妹が電話してきた 優勝したよ~ 声が弾んでいた

私も自分のことのように 嬉しくなって 一緒に気分が盛り上がったものだ

 

 

妹は カラオケ大会で数々の優勝をして 家にはトロフィーや盾がいっぱい飾られていた

中でもセリフ入りの演歌が得意で 堂々と 高らかに このセリフを歌いこなす

大忠臣蔵 岸壁の母 など 時には切々と訴えるような歌いまわしが 私にも心地良い

 

中でも島津亜矢さんの歌は 歌唱力もあって素晴らしいと言っていた

私たちの世代 誰でも知っている 瞼の母 これを歌うと一幕の芝居を観ているようだ

 

 

瞼の母

作曲:沢しげと
作詞:坂口ふみ緒


軒下三寸 借りうけまして
申し上げます おっ母さん
たった一言 忠太郎と
呼んでくだせぇ 呼んでくだせぇ たのみやす

(セリフ)おかみさん、今何とか言いなすったね
親子の名のりが したかったら
堅気の姿で尋ねて来いと言いなすったが
笑わしちゃいけねぇぜ 親にはぐれた子雀が
ぐれたを叱るは 無理な話しよ
愚痴じゃねぇ 未練じゃねぇ
おかみさん 俺の言うことを よく聞きなせぇ
尋ね 尋ねた母親に 倅と呼んで もらえぬような
こんなやくざに 誰がしたんでぇ

 

 

妹と私は 青春の抒情歌などが好きで 時には二人でハモったりしたこともある

だが ある時から 妹はカラオケ教室に通い出した 

演歌の伴奏はするが 妹が行くなんて考えもしないし 好ましくないと思った

 

良く妹の家には車で行ったが この時には あまり行くのをやめてしまったほどである

ところが1年ほどして その歌を聴いた かなりのものである

その後は 大会があれば私も応援に行くようになった そして 殆ど優勝などもする実力に感銘した

 

 

亡くなったのは一昨年の9月 昼間は元気だったのに 夕方 突然亡くなったと悲報が入る

駆けつけて見たら 眠っているように その顔は穏やかだった

あまりにも突然なことであった 二人でピンコロリが良いねと言って笑ったものだ

 

私が亡くなった時は お前が面倒見てくれよ 

いろいろのことを話していた 何でも話し合えた 昔のことも・・・お前が先に逝くなんて・・・

今は そこまで話せる相手が居ない

 

車にキーボードが載せてあった 枕もとで 私が演奏をした 真白き富士の根

まるで ハミングでもするように そんな顔に見えた

告別式では 人目をはばからず私は号泣してしまった 娘がハンカチを渡してくれた

 

 

うたごえのリクエストのリストにも 岸壁の母 を入れてある

この曲を弾くと どうしても 涙が出そうで楽譜が滲んで見えずらくなる

もう亡くなって1年余が過ぎているのに テレビでセリフ入りの演歌を聴くと 涙が溢れてたまらない

 

スーパーで買ってきたボケ

 

     最後までお読みくだ-さいまして有難うございました m(_ _)m

 

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コメント (30)
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