童謡唱歌から 昭和歌謡まで 休憩挟んで歌った曲は 計34曲
殆ど3番まで歌詞があっても 2番まで 時には一番のみ 時には3番まで
曲の長短はあっても これだけ歌い まだ歌い足りない様子に伴奏する私がいつも感銘!
平均年齢80代 いや もしかすると80年代後半かも知れない
何回か ここに記載しているが グランドピアノに向かって楽譜を頼りに弾く私
皆さんの歌声を聴いていると ものすごく若い声である 活気もある 笑い声も楽しそう
歌を歌えば 幸せホルモンが分泌され 表情も若くなり 周りの方をも明るくする
私でさえピアノ伴奏なら 更に続けられるが 実際歌うとなれば何曲かで喉がダウン
ある場所でカラオケ1曲歌ってみた 以前はコーラスに居たが12年ぶりだった
低音部と 高音部が発声できない 喉が詰まっているように 声帯が劣化してしている
脳も車のバッテリーも 併せて 歌う声帯も使わねば必ず衰えていく 特に高齢者は・・
歌は若さを保つ 必須ビタミンなのだ 歌っていれば また少しは復活して来る
30人から100人くらいまで 練習も無しに一発でピアノ伴奏 プロでも厳しいと思う
歌の進行をする人も 司会も居ない MCもピアノ伴奏も一人でこなす あまり見たことは無い
ピアノ技巧については 素人である 誰かが息継ぎで早くなる 遅れる 高さが合わない
30曲位は楽しくズレ完璧に歌いこなしてくれる 気持ちが良い疲れは少し残る位
みんなのズレを弾きながら合わすのには少し苦労 時には巻き込まれてしまい失敗してしまう
リクエストを受け 楽譜を見て弾きだすのに10秒は掛けず弾き出すが 私が早さを間違える
曲のスピード 遅くなりすぎは滅多に無い 大概は早めになってしまい 相棒に怒られる
こんなことを相容れながら 終わりには 楽しかったわぁと帰られていく
終わった後の手伝い 女子会メンバーが自主的に動いてくれる 幸せな私よと感謝でもある
歌った曲
ひよこのかくれんぼ 灯台守 春よ来い 春の歌(ラララ赤い) 浜千鳥 若葉
久しき昔 おもちゃのチャチャチャ 花(滝廉太郎) 国境の町 お富さん
旅の夜風 青い山脈 高原列車は行く 宗谷岬 素敵なランデブー どこかで春が
愛の讃歌 アカシアの雨がやむとき おかあさん(森昌子) すずかけの径
惜別の歌 山のけむり 奥飛騨慕情 青春時代 神田川 あゝ上野駅 悲しき口笛
この広い野原いっぱい 旅の終わりに 遠くへ行きたい 長崎の鐘 千の風になって
ブロ友 りらさんの歌声で聴いて下さい そして 一緒に歌いましょう
灯台守 cover rira77 + オカリナ べる
長崎の鐘(昭和24年 藤山一郎) cover rira77
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今になり、歌に籠められた祈りが胸に迫ります。
原発の恐ろしさを、第五福竜丸・東海村臨界事故・福島第一原発事故と聞いていても、現実からは遠いものです。
況してや、原爆への心情は既に何十年余りですから・・・
中学生の多感な年齢には、想像が尽きませんでした。
浦和天主堂前に立った時、異様な光景が視え、震えが止まりませんでした。
阿鼻叫喚。
戦争は、地球を壊し、命を絶やしていきます。
人類の未来の為と云いながら、快適で便利な生活も、地球を破滅させる手立てに他なりません。
ひとり・一人が心して暮らせることを祈ります。
liraさんの声に、涙が溢れてしまいます。
妹より
ピアノを弾くのが楽しいですね。大好きです。頑張って下さい。
下町のうたごえ、平均年齢が80代、もしかしたら80代後半というのにいつも驚きます。皆さんは会場まで徒歩で来られるのかしら。それとも電車やバスでかしら。それだけでも凄いのにそのあと30曲以上も歌われるなんて本当にすばらしいですね。
いつもりらさんの歌声がすてきで何度も聞いてしまいます。2曲とも知りませんが、最初の曲はどこかでメロディーだけは聞いたことがあるような気もしました。
歌を録音するときにりらさんはどんなところで歌われているのかしら。ご自分のスタジオを持っていられるのかな?とてもエコーが聞いていて音がとても美しいのでマイクロフォンなどの機材もきっと本格的なものを使われているのかななどと色々と想像して楽しんでいます。ありがとうございました。
浦上天主堂に立たれた時 阿鼻叫喚の光景が視え立ちすくんだとのこと・・
私も10代の終わりころひとり旅で 広島原爆資料館に入ったとき 似たような体験がありました
逃げるように外へ出てしまったのです
以来 仕事で 添乗員で ご案内しても入ることは出来ませんでした
一瞬にして何十万の命が失われ がれきの街になる核兵器 それでなくても 東京大空襲では 一晩に10数万人が焼け死ぬ
ウクライナもガザも 無残な命の戦争 平和がいかに大切か見せつけられています
人類の歴史で戦争が無かった時代は無いでしょうね
広島と長崎
広島は恨みの広島 長崎は祈りの長崎
この長崎の鐘の歌によって 僅かに光を見ることが出来ます
風吹けば消え入る光ですが・・・
りらさんの歌 いつ聴いても清々しいですね
頑張ってください
下町のうたごえ 実際に集いをお見せしたいです
もう 年齢なんて関係ない若さ 病気を抱えていても明るい方たち 歌う姿さえ若く感じます
毎週 どちらかの会場でうたごえ 私も衰えないエネルギーをここでチャージしている感じですね(笑)
参加者は 地元で歩ける範囲内が多く あとはバスを乗り継いで来られ方も居て感謝ですね
うたごえを愛されている所以です
りらさんの歌 聴き惚れますね
癒しの周波数と私は名付けています
お住まいは 大分県 若い頃は県内の湯布院に育ったと書いてありました
今は亡きお母さまの施設に オカリナのお
友だちと 歌のボランティア訪問もされていました
録音は良い条件の中 まさか 自宅にスタジオ? いえ もしかしたらホントにあるかも知れませんね
灯台守の歌 これはアメリカでは牧師の方が作曲 賛美歌として歌われている様子 詳しくは解説されている方のブログへいつかご案内します
そんな意味で 聴かれている曲かも知れません
また アメリカの方の作曲説と イギリスの民謡説とあり 音楽の本ではイギリス民謡と書かれています
長崎の鐘は原爆投下の日 永井博士が病院の放射線科も受け持って 命は助かったが 悲惨な原爆症状で訪れる 担ぎ込まれる人々を不眠不休で診察治療を続け ある日
ふとご自身の妻のことをが浮かび 家のあった場所には十字架だけが残っていたと言います
瞬時でも妻を忘れて人の命にあたっていたとはいえ これを悔い 自ら庵を建て妻の供養鎮魂を祈っていたと言われます
作詞家のサトウハチローさんが この話を聞き作詞 作曲は有名な古関裕而(こせきゆうじ)さんで完成
メロディの前半は哀しい短調 後半は祈りと平和へ明るく長調に変換させています
お元気で過ごしていらっしゃる様子、素晴らしいです♡
暫くブログ休んでましたーー
離れると寂しくて、、又ちょこっとupしました。
フォロー有難うございます(__)
また、お邪魔しま~す
それも歌ってくれる人が居る お税の方が待っていてくれる それがピアノ冥利に尽きます
リクエストは何が来るのか分からない すぐ伴奏に入る ある意味 スリリングもあるかな
自分で歌うと 一曲でダメ でも高齢でもある皆さん 慣れてしまって30曲歌っても元気そのもの 感心してしまいます
たいぴろさんの素晴らしい所は シンガーソングライター ライブでもご自身の歌で活動していることですね
そして お帰りなさい
何だか最近のGOOブログ 調子がおかしい時もあります
以前からの フォローが消えて 改めて気が付くとフォローが消えていることも有ります
のんびりとマイペースで ブログアップをしてくださいね