のびたとブレイク

生き生きと第三の人生を歩んでいます
うたごえ ウォーキング 川柳 ベランダ栽培など楽しんでいます

想い出は文学的に馬篭宿

2017年01月26日 09時54分22秒 | 旅行

文豪 島崎藤村のふるさと馬篭宿 ここは木曾十一宿の最南端の宿場 緩やかな坂道600m余りにある

木曾は檜でも有名だが 文学としては島崎藤村が果たした役割は大きく誰でもが知っている作家でもある

大概の観光バスは 斜面の上の方でお客を降ろし 下ったところにある駐車場で待つ

 

 

その途中に宿もあれば 民芸品を売る店 建物を生かした飲食店もある

そして藤村記念館は ふるさとの誇り 大きな構えで存在を示していた

私が訪れた日は休館日であり中に入ることは出来なかったが 個人的には何度も行った地で内部も見た

 

 

夜明け前 破戒 千曲川スケッチなどを読んだ方は多いと思う 

不思議なもので ここを歩くと藤村の文学の香りのようなものを感じてしまう

そんな思いがする中で わずかな時間を歩いて下った

 

 

 

飛騨では大雪の影響があって 全て雪景色 ここは斜面の中の街道 凍っているか心配だった

しかし この辺は雪も少なく そんなに足元を心配しないで歩けたから良かった

ここでは 五平餅を食べた 丸い饅頭型で クルミ 味噌 など付けて焼いたものだ

 

私の中では 五平餅は 御幣の形をした板に 半殺しのご飯を伸ばし焼いたものが正統派?だ

ところが ここは岐阜の中津川市に近く この辺では丸いものが主流である

行政でも もともとは ここは信州の地域だったが あの田中康夫県知事の時代に中津川に併合された

 

馬篭は信州だろう! 外野はみんなそう思うし 私も同じ思いだった

しかし住んでいる住民は違う 何と言っても役所をはじめ妻籠やその他 遥か山の向こうにある

対して岐阜の中津川は 馬篭をだらたらと下って行けば地理的に近い 住民投票で選択したのである

 

 

長々と綴ってきた飛騨バスツアーの紀行文 お付き合い頂いて有難うございました

最後に ツアーで寄った施設も紹介します

まず 明治座の少し手前 舞台峠 ここは昔 飛騨と美濃の境にあった峠でもあった

 

 

源頼家の時代 将軍が各地の武将を慰めるために ここに舞台を設け 白拍子など舞わせた

現在は大きなドライブイン ここでの昼食は 当地の誇る 新ブランド米「銀の朏(みかづき)」

日本一の評価を得た米である 山々から始めて見える月が三日月 これの別名が朏である

 

 

普通のコメの1.5倍 さすがに美味しい 卵かけごはんでも十分にいける味だ

この店の隣には 関の刃物が売られている あの 美濃の関は刀や刃物の生産地だ

立派な包丁などが売られているが 料理苦手の私には手も足も出せない

 

 

信州との県境に名峰 恵那山がある 中央道は一気にここをトンネルで抜ける

そこは天竜川川下りがあったり 南アルプスや駒ヶ岳が遠望出来る地だ

そして ここは水引きの産地でもある 祝儀の袋や相撲の力士の髷にも使われているものだ

 

  

 

 

店に小さな神社があるが 全員におみくじを渡された

わたしのを見ると 小吉 まずまず私にはちょうど良い運でもあろう

ここでは 自分用にりんごバターを買ってきた これがすこぶる美味しい もっと買えば良かった

 

 

     最後までお読みくだ-さいまして有難うございました m(_ _)m

 

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明治期に地元総出で芝居小屋

2017年01月25日 07時27分00秒 | 旅行

飛騨は森林資源に恵まれた土地である ヒノキやブナ 杉など山々に囲まれた土地でもある

江戸幕府が天領にしてしまう理由もここに有った 木造建築には欠かせない材木 加工する匠も居る

特に檜は最高の高級木材だ これを無断で切ったら首をはねられるどころか 一族郎党処分されるのだ

 

そんな環境の中に江戸から続く飛騨の片隅に 加子母(かしも)と言う集落がある

この地域の誇りは 伊勢神宮の式年遷宮で 新しい宮建築には ここから厳選された檜が運ばれた

出雲大社 姫路城 法隆寺金堂 銀閣寺などもこの木曾檜である 年輪が均等で真円に近く美しい

 

この地域は昔から 地芝居が盛んであり 明治27年(1894年)村の人たちが総出で 劇場 を作った

全てが手造り しかし これは歌舞伎を演じることが出来る本格的な建物で 修復を重ね現存するのである

その名は 『明治座』 あの歌舞伎の名優も公演する 今年も予定が組まれ観劇料は2万円と言っていた

 

 

地元の方の案内で 客席 舞台 奈落 すっぽんと呼ぶせり上がり 舞台裏 など 見て回った

今週 NHKの ぶらタモリ で 四国の金毘羅歌舞伎の金丸座が紹介されていた

金丸座は金毘羅歌舞伎観劇ツアーがあって 東京からご案内したこともある

 

これが ぶらタモリの案内した 金丸座 私も一度 金毘羅歌舞伎で案内した

以下 小さい写真で 金丸座 大きい写真で加子母の明治座を対比させます

  

 

その金丸座と 加子母の明治座 豪華さには劣るが 殆ど同一仕様である

但し 明治座には豊富な資源 木曾檜は使われていない 江戸時代から檜伐採は死罪と言われて来た

そのため 明治になっても 伐採は畏れ多いことが 身についていたのだと 案内の方が笑う

 

 

客席の仕切り ここは売り子が歩いたり お客が移動するときにこの上を歩く

舞台は奥行きも広く 回り舞台装置もある もちろん奈落で手回しである

立派な花道は舞台に向かって左右に二つある 案内人が立つ位置は花道の七三にあたる

控え暖簾から舞台まで7分の位置 歌舞伎役者は ここでどどーんと見栄を切る

娘引き幕 村の娘たちの名前が網羅されている 屋号との併記である

これが すっぽん お化けなどがせりあがる

  

役者の控室

明治期の出演者の落書きが見られる 今は勿論禁止である

奈落通路に 大道具 小道具類が保管されている

ぴんボケになってしまったが 回り舞台の手回し装置

 

山間に連綿と息づく 芝居文化と 修復を重ねて維持していく地元の熱意がある

観光客へも修復保全の協力を求める短冊形のヒノキ板に名前を書いて500円支払う

これは全て明治座の補修に素材として使用される 但し 20年後だ

 

 

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乗り鉄は雪見列車で胸躍る

2017年01月24日 07時29分54秒 | うたごえ

学生時代から無類の鉄道好き それも ただひたすら乗るだけで楽しかった

ついでに観光地を廻りまた列車に乗る 貧乏旅行は宿泊はなるべく夜行列車 泊るなら旅館の素泊まり

食べるものは 餡パン一袋 これを齧りながら乗る 当時は学生料金は子どもと同じ半額だった

 

国鉄料金は距離逓減性で遠くへ行くほど その距離に対する料金が安くなる仕組みだ

だから なるべく一筆書きに乗る どうしてもダブる区間はそこだけ往復で別に買うのだ

たとえば東京から北陸へ出て山陰廻り下関まで 山陽から東海道で東京から東京行の切符を買う

 

これで全線乗って 当時の料金で1000円だった 切符は途中下車の駅の印を押すので真っ黒になった

北海道と四国 九州は均一周遊券があり その地域に入れば急行も乗れた そこまでは鈍行で行く

東京から門司行きの各駅列車があった 14時ごろ東京発 門司は翌日24時頃である

 

蒸気機関車がだんだん消えて行く 時刻表を眺め それに合わせて時間調整もして乗る

添乗員になる前 以前の会社で良く地方の会議に出張があった 仕事が終われば鉄道を乗り回す

中国に視察旅行があった 蘇州から上海まで列車に乗れた これは軟座と呼ばれるグリーン車である

 

全国最優秀添乗員の表彰の副賞?にカナダの7泊8日無料招待があって ここでも列車の部分があった

モントリオールからケベックまで 特急列車だ わくわく乗っていたら 私の席の窓ガラスが突然割れた

沿線の小学生の悪戯と後で報告があった 私は外にカメラを向けていたが 一寸放した瞬間で助かった

 

 

列車に乗るのは大好きだが 添乗員を辞めてから 殆ど乗らない バスか遠出をしても飛行機だけだ

今度のツアーに雪見列車に乗る行程があった あとは全部四季を通じて何度も行った地である

乗るのは高山本線 それも2駅先の久々野駅まで わずか16分の乗車である このツアーに私は決めた

 

行く前から そうだ 高山駅では駅弁を買おう それを当日の夕食にしようと決めていた

だが これは失敗した 大事なことを忘れていた 駅へ着けば添乗員のあとに付いて行き改札を抜ける

大きな駅では無いから自由行動の時間も無く ホームには売店も無かったのだ

 

 

それでも列車の姿を見ると わくわくしてくる 電化されていないからディーゼル列車だ

以前 出張の折 この路線を乗って ワイドビューの特急 それも一番前の展望席に座ったことがある

運転台は高いところにあるから 目の前はすぐ最前部のガラス 自分が運転しているようで楽しかった

 

しかしずっと乗っていると いささか疲れる これは踏切などがあると自分でも安全かどうか見てしまうのだ

観光バスの2階建ての一番前にも座ったことがあるが これはもっと疲れる 安全確認など常時してしまう

陽射しが強くてもブラインドも下ろせない 後ろの席からの展望を遮ることになるのだ

 

 

高山本線も何度も乗ったが それは以前のこと やはり嬉しい 座席もお客様 全員が座れた

車窓からは 大雪のあとの山や町の風景が流れて行く ずっと乗車なら珈琲でも欲しいところだ

16分 あっという間に下車駅で 降りれば そこにツアーバスが待っていた

 

 

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天領の街と朝市しばし酔う

2017年01月23日 09時12分09秒 | 旅行

飛騨・高山 そう聞いただけで旅情を誘われる方も多いだろう

小京都 江戸時代の街並みも保存され 役所でもあった陣屋もそのまま残っているのも珍しい

ここへ来れば しばし タイムスリップして その時代の賑わいも重なって見える

 

戦国時代は この地方は 戦いの連続で周辺各地の城は攻防に明け暮れていた

秀吉の命によって それまで越前・大野城を治めていた 金森長近 が出陣した

戦いに勝利し 以後 ここに本格的な城を築く いわば 現在の都市計画でもある

 

城の周囲の高台に武士を住まわせ その下に町人の街を作り 寺は外れに置いた

現在の 三町と呼ばれる 一之町 二之町 三之町 その町を上・下に道を挟んで分ける

これが 今見る町並みで 町名もそのままである 江戸時代から変わらないのだ

 

 

金森長近の政治は この地方を発展させた

特にふんだんにある檜などの森 そして それを細工する飛騨の匠などを育てて来た

しかし 幕府は繁栄するこの飛騨を天領として取り上げ 金森公は山形の上ノ山に移封される

 

なんだか 現在にも通用するような天下でもある

努力して繁栄刺せた力を怖れ 転地させてしまい 眼の届く直轄下にしてしまうことが 天領政策だ

日本の各地にも天領があり 佐渡の金山などもその代表的な例である

 

原田酒造の甘酒を頂いた こうじの甘酒は美味しい!

 

あとは城主を置かず 飛騨を実質的に治める役所として 陣屋 が置かれた

再現された陣屋は各地にあるが ここは 当時から残された貴重な建物でもある

三町通りから赤い橋の宮川を渡ったところにあり 現在はその前に朝市が立つ

 

 

町をそぞろ歩くと 低い町屋造りの建物が宮川に並行して続く

家々は 玄関幅はそう大きくないが 小京都の特色で奥行きは深い 玄関幅で税金が決まるからだ

酒造会社も多く 冬の季節は 蔵めぐりもアッピールしているほどだ

 

 

宮川沿いには 名物の 朝市が立ち 午前6時ごろから12時近くまで露店が並ぶ

主に赤カブの漬物などが売られれるが 工芸品 自然の植物の飾りなどもある

おばあちゃんと話をしながら 何がしかの土産を買って行くのも思い出に残る

 

ここはトイレ 街並みに合わせた建物でもある

散歩している おばぁちゃんに有った 犬にもコンドロイチンを飲ませているのよと笑った

 

今日は近くの介護施設 ディサービスへの音楽訪問だ

全員 車いす生活だが 元気な方が多く歌うのが楽しみだと言う

そして いつも入浴介護も受けて さっぱりした顔で集まる

 

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幻想の光に浮かぶ飛騨の里

2017年01月22日 08時16分57秒 | 旅行

まだ続くよ~旅紀行 いっぱい紹介したくて・・・(笑)

白川郷のライトアップは 2月の土日 その幻想的な風景に憧れ 多くの観光客が集まる

もう一つ 飛騨高山の郊外に 飛騨の里 がある 民俗村のサブタイトルもある観光スポットだ

 

ここも飛騨の各地から移築されてきた合掌造りがあり 普段は土地の風習や器具 遊びも伝える

冬季はライトアップされ それは見事な幻想的な風景が浮かび上がり息を詰めるほどだ

ここにも台湾や中国の観光客が多く 賑やかである 

 

因みに台湾の方たちは 私は好意をもって見守る 雪の無い国 大いに味わって欲しい

過去のことは憎まず むしろ日本人に対して友情を持つ方が大半だ 

あの東日本大震災でも 何かの災害でも いち早く人もお金も援助してくれたことを忘れない

 

中国人に対しても 政治は問題があるが 観光客の及ぼす効果は大きい

そして 正しい日本の風景や人々の暮らしや考え方を 肌で感じて帰って欲しいのだ

これがやがて 国としてのわだかまりの氷塊につながって行ってほしいと思う

 

 

駐車場から 緩い坂を登って 飛騨の里の門をくぐると 一気に幻想の世界に入る

今はライトアップの技術も進歩して さまざまな色合いが 昼間見るのと違う異世界だ

あの建物の間で 私も観光のひと時 竹馬に挑んだり ベーゴマ けん玉を遊んだことがある

 

 

宿泊したホテルは この近く リゾートホテルアソシア

朝 ホテルの窓からカメラを向けた

クラツーのバスは 大阪 群馬 石川から同じツアー内容で来ていた

 

 

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