
信長を問う~時必ず≪好き派≫&≪嫌い派≫に分かれる。それ程
他人から見れば両方が在る人物
その信長は近江につに館を構えて居た
≪安土・佐和山・坂本≫と。。。それぞれ意味の在る山城を持って居た
これは本拠地・岐阜と政治の京都を結ぶ要所に繋がる拠点だった
非常に計算付くの信長はムダを嫌い、徹底した管理社会を作ろうと試みたらしい
それ故に管理社会から逸脱した家来集は≪嫌い派≫に属するのだろう。。。
本日は元奈良大学の下坂氏による標記タイトルの講演だった(会場が満員御礼状態)
びわ湖は周囲を全て山で囲まれた地域 よって
この地域を通過するルート探しは至難の業だった
その辺りを見込んで政略的に築城を試みる。要は勝手に通れない状態にしておきたかった
佐和山城は彦根城当りか 陸路と海路を双方使い乍ら~ルート確保に努める信長軍団
隙を作らない主義でも在った(この時点)しかし一瞬の油断が本能寺の変で在る。
戦国時代のストーリ~を史実を交え面白く語って下さった
それにしても戦国時代の寺院が≪城≫の形成をなし 城内では武芸を遣って居たなんて。。。驚きの話しも在った
聞けば聞く程興味の在る話しにのめり込んだ
やっぱり信長の顔を観ると怖い感じもするなぁ~ (戦国の武将だぁ。。
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