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1946年9月1日から始まった三重県の民族教育。75年もの間、ウリトンポを一つにしてくれたウリハッキョ。

2021-09-15 16:46:22 | 日朝韓友好親善のため

四日市朝鮮初中級学校 創立75周年記念事業 ホームページより

우리 지역,우리 아이들의 미래를 우리가 담보하자!! ウリ(我が)地域、ウリ(我が)子どもたちの未来をウリ(我々)が切り開こう!

1946年9月1日から始まった三重県の民族教育。
四日市朝鮮初中級学校75年の歴史。

幾多の困難を乗り越え、受け継がれ、守り続けた75年の歴史は、
いつどんな時も人と人とがつながりあうことで築いてきました。

75年もの間、ウリトンポを一つにしてくれたウリハッキョ。

子どもたちの輝かしい未来のため、ウリトンポの未来のため、
過去と未来をつなぐウリハッキョとともに、これからも歩んでいきましょう。

 

事業内容

基金財政事業

01基金財政事業

75周年記念事業を通じて学校運営を正常化する為の契機を作ると共に、学校設備を改修し安全で機能的な教育環境を作る為の契機を作る基金事業を行います。

学生園児募集事業

02学生園児募集事業

ニーズに沿った教育環境を整備、構築し、広範な対象へご案内、募集し学生・園児数を増加させます。

卒業生との連携活性化

03卒業生との連携活性化

75周年記念事業に関する卒業生へのご案内と、様々な取り組みを通じて学校を中心とした連携を強化します。 75周年記念写真集『추억 모이』へ掲載する懐かしい写真の募集、教育環境の整備や学校運営の為の『卒業生基金事業』を行います。 詳しくはこちら

卒業生との連携活性化

04記念祝典

記念祝典延期のお知らせ

民族教育と学校発展の為、日頃より多大なるご支援,ご協力を賜り、心より御礼申し上げます。
来る10月3日(日)に本校にて行う予定でありました、四日市朝鮮初中級学校創立75周年記念祝典は、昨今の新型コロナウィルスの感染拡大状況を考慮し、当面延期と致しました。
75周年記念祝典につきましては、開催方式や内容を再検し、今年度中に行う予定で調整した上、改めてみなさまへご案内申し上げます。
また、創立75周年に際し取り組んでおります、様々な事業に一層拍車をかけてまいりますので、引き続きのご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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「目の前に海があれば、身一つでできる生業。海を越えて(海外で)もできる。現代社会での自立を目指す女性にとって、特筆すべき生き方だと思います」

2021-09-15 16:32:26 | 日韓友好親善

日本と韓国が共有する「海女の歴史・文化」を

ユネスコ世界無形遺産に!

(2012年12月25日)

投稿日 : 2012年12月25日

【ウォッチ・ジャパン・なう vol.35/FPCJ】より転載


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世界経済フォーラム(ダボス会議)が発表した2012年の「グローバル・ジェンダー・ギャップ・レポート(世界男女格差年次報告書)」によると、世界135カ国の中で、日本は経済的男女格差が101位、昨年の98位から3位下がりました。男女雇用機会均等法が施行されて四半世紀が過ぎたにも拘らず、日本の女性の地位向上はいまだ進んでいません。その均等法施行後の1990年、 バブル景気を背景に経済的・精神的に自立して生きようとする20~30代の女性のリアルな生態を描いたノンフィクション「結婚しないかもしれない症候群」がベストセラーとなりました。その著者である作家の谷村志穂さんは、現在、三重県志摩半島を舞台に「海女」を主人公とする連載小説「いそぶえ」を執筆中です。「目の前に海があれば、身一つでできる生業。海を越えて(海外で)もできる。現代社会での自立を目指す女性にとって、特筆すべき生き方だと思います」

 

からだ一つで海に潜り、魚介類や海藻を採取する女性の職業「海女」は、日本列島と済州島を中心とする韓国のみに存在し、少なくとも5000年の歴史をもつと言われています。しかし、高齢化と若い後継者不足により、海女の職に従事する人の数が年々減っており、その存続が危ぶまれるようになってきました。現在、日本では、三重県、石川県(輪島)、千葉県、静岡県をはじめとする18県に2174人(2010年 海の博物館調査)、40年前と比べて6分の1に減少しました。韓国は、済州島、釜山、泰安(テアン)などに4881人(2011年)、やはり約40年で5分の1となりました。

 

三重県では今、973人が海女として働いています。その中の一人、鳥羽答志島出身の濱口ちづるさんは21歳の娘さんをもつお母さん、海女として16年のキャリアを持ちます。海に潜るのは一年のうち6月末から9月中旬の間の20日程度、主にアワビを採ります。「子どもの頃から遊んでいた海で、自分のペースで働き、自然のままに生きることを学んでいます」と語る濱口さんは7名いる地域の海女グループでは最年少、仕事の手練手管を教えてくれる82歳を筆頭とする先輩たちとのおしゃべりが「日々の成長の糧」となっています。東京でデザイン関係の仕事をしていた鈴木直美さんは4年前に転身、漁業権など外部の人間にとっての複雑な問題をクリアして千葉県白浜で海女として働き始めました。

 

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写真:左から、
濱口さん(鳥羽の海女さん)、
海の博物館 石原館長、
鈴木さん(千葉白浜の海女さん)
(11月30日 多くのひとに「海女文化」を伝えるためのフォーラムにて)

 

2007年から、韓国済州島の「海女博物館」と三重県鳥羽市の「海の博物館」が連携し、日韓両国に脈々と続いてきた海女漁とその文化を東アジアの価値ある資源と位置づけて、ユネスコ無形文化遺産への登録を目指す取り組みが始まりました。今年6月には三重県、鳥羽市、志摩市、漁業協同組合などの関係団体により「海女振興協議会」が設立され、日本側の中心的存在となっています。同会会長の「海の博物館」石原義剛 館長はその旗振り役、「海女文化は日韓が共有する海洋文化、しかもごく普通に働き暮らす人々の文化を存続、継承していかねばならない」との決意の下、精力的に活動しています。海女は、古来から自立した女性の職業であり、漁獲資源を獲り過ぎないよう守ってきた自然保護の実践者であり、更には漁村共同体の要=絆である、と訴えています。

 

韓国の海女「潜女(ジャンニョ、済州の方言)」の海洋文化を研究する韓国海洋大学の安美貞(アン ミジョン)教授は、済州島「海女博物館」での韓日国際学術会議の開催が、済州と鳥羽市の国境を越えた地域ネットワーク形成の端緒となったとし、海女のような潜水漁法に基づいた海洋文化は国境に閉じ込められていない海洋文化であると言います。実際に、昔から、済州の潜女は韓国各地や日本の対馬や静岡に出稼ぎに、日本からは明治維新後、対外進出を図る国策に乗って志摩の海女が出稼ぎに赴いた(三重大学 塚本明教授)とされています。「海女文化」の世界遺産登録に向けた活動を通じて、安教授は、海女文化を各国の伝統・民族文化としてだけでなく、グローバル化の中の潜水漁業の観点から東アジアの「海洋文化」として捉え、そこに人類の普遍的な価値を見出し共有していきたいとしています。

 

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今年夏以降、日韓関係は領土問題を巡って何度か緊張した局面を迎えましたが、7月の韓国ヨス万博、9月の済州島での第5回海女祝祭、10月の三重県志摩での海女さん大交流会などの催事は両国の関係者間の往来も途絶えることなく無事に開催されました。来年は、石川県輪島で海女サミット、10月には済州島で海女祝祭が開かれる予定です。日本と韓国の海女さんの交流は、彼女らの職場である海での紛争にも動じず、穏やかに着実に続いています。2002年サッカーワールドカップの日韓共催が実現してから、両国の交流は若者文化を中心に新たな方向に展開してきました。そして今「海女文化」の世界無形登録に向けた活動を通じて、古来より自然と共生し、環境と地域共同体を守る海女という「普通の人々の文化」を東アジアの海洋文化として、絶やすことなく未来につないで行くことは、日韓両国の多様で多重な歴史・文化の交流を世界で共有することにつながると思われます。

日本全国の海女さんと韓国済州の海女さん

 

*写真提供: 志摩市役所 商工観光部 観光戦略室

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三重県に伝わる朝鮮文化:その時代に朝鮮人を唐人と呼んだのは、異国の中でも親しい国の人と思っていたからでしょう。津をはじめ、唐人行列は江戸時代を通して続けられ、

2021-09-15 08:07:12 | 歴史に照らして整合性を!

津の祭りに残る唐人行列

 お正月を海外で過ごされる方も随分多くなったそうです。最近は海外旅行が手軽なレジャーの一つになってきましたが、日本には外国に行くことが禁じられていた時代がありました。1600年代の中ごろから1800年代の終わりにかけての約250年間がそうです。徳川幕府が日本人の海外渡航を禁止したのが寛永12年(1635 )ですが、ちょうど、そのころ、津では八幡宮の祭りが始まりました。祭りの中に分部町の唐人行列(踊り)があることは皆さんも御存知のことでしょう。唐人行列とは朝鮮通信使―朝鮮の使節の一行をまねた行列です。朝鮮使節の一行は500人近い人数で、同行する日本人を合せると何千人にも及ぶ大行列をなし、絵巻物や浮世絵に描かれたり、双六(すごろく)などに登場したり、と大きな反響を呼びました。
 朝鮮使節の一行をまねた行列が祭りに取り入れられているのは、津だけでなく、岐阜の大垣でも津と同じころに始められています。豊臣秀吉の朝鮮出兵以来、朝鮮とは国交が途絶えていました。対馬の人々をはじめ、朝鮮との通交を願う人々の努力によって国交回復が実現したのですが、その証(あかし)が朝鮮通信使の来日だったのです。国交回復まもなく唐人行列が各地で生まれたことは、国交回復を人々がどんなに喜んだかをあらわしていると言えるでしょう。
 ところで、朝鮮人のことを唐人と言うのはなぜでしょうか。唐というのは中国の古い王朝の名ですが、唐が滅んだあとも日本では中国を中心とする世界を唐という言葉で呼んできました。ですから、唐人とは現代の外国人とほぼ同じ意味を持っていたのです。16世紀になると、中国を中心とする世界以外の国々、ヨーロッパ諸国と出会い、ヨーロッパを含めた世界を異国と呼ぶようになりました。そして、唐人という言葉は次第に中国人だけを指すようになりますが、その時代に朝鮮人を唐人と呼んだのは、異国の中でも親しい国の人と思っていたからでしょう。津をはじめ、唐人行列は江戸時代を通して続けられ、どんどん立派なものになっていきました。海外渡航を禁じられた日本人が世界への憧れを捨てきれず、異国とのわずかなつながりを大切にしてきたからかもしれません。また、唐人行列を含む八幡宮祭礼の絵巻が現在ニューヨークに渡っているというのも何かの縁を感じます。
 なお、津の唐人行列(踊り)については、昭和31年(1956)分部町に保存会が組織され、翌年、翌々年には行列に使う大幟と唐人踊が津市指定文化財に、さらに平成3年(1991)には県指定の民俗文化財となり、その保存と継承が図られています。

(平成4年12月 鈴木えりも)

唐人行列

唐人行列

参考文献

映像文化協会編『江戸時代の朝鮮通信使』昭和54年
津市教育委員会『津市の文化財』平成元年
樋田清砂「伝統と創意にみちた津大祭」『津市民文化』17 津市教育委員会 平成2年

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研究陣は、免疫療法が施されるとともに、治療ワクチンを投与されたマウスのがん細胞の大きさは、わずか36日で82%小さくなったと明らかにした。そのため、マウスの生存確率も17%から36%へと高まった。

2021-09-15 06:37:21 | 真の解決目指して

「コロナワクチン」技術でがん細胞も殺す

登録:2021-09-14 05:35 修正:2021-09-14 10:35
 
ファイザーとモデルナで用いられたメッセンジャーRNAを利用した治療法 
マウスの95%でがん細胞を完全撲滅…人に対して試験中 
AZと同様のウイルスベクターワクチンも生存率を高める
 
 
新型コロナウイルスワクチンに用いられたRNA技術を利用したがん治療ワクチンが開発され、臨床試験が開始された/ロイター

 新型コロナウイルス感染症の克服の最前線にあるワクチン技術が、がん治療でも新たな希望となっている。

 ファイザーとモデルナのワクチンに用いられたメッセンジャーRNA(mRNA)を利用したがん治療薬が、動物実験で大きな成果を収めた。メッセンジャーRNAとは、細胞に特定のたんぱく質を作るための指針を伝える遺伝物質だ。

 ファイザーのワクチンを開発したドイツの生命工学企業ビオンテックは、この技術を用いたがん治療法がマウスを使った実験で腫瘍をほぼ完全に無くし、現在は人を対象とした臨床試験を行っていることを先日、科学ジャーナル「Science Translational Medicine(サイエンス仲介医学)」で明らかにした。

 研究チームはまず、がん細胞を攻撃するために、免疫細胞が作り出すサイトカインと呼ばれるたんぱく質を4種作るよう細胞に指示するmRNA混合物を作った。サイトカインは免疫調節に関与するたんぱく質で、種類は数百にのぼる。研究陣が作ったmRNAには、がんと戦う免疫システムを支援するとされているインターロイキンやインターフェロンアルファを含む4種類のサイトカインを作る指針が記されている。

 研究陣は、このmRNAを20匹のマウスの黒色腫の細胞に注入した。すると、腫瘍内の免疫細胞がサイトカインを大量生産しはじめ、免疫反応が活発に起きた。40日も経たないうちに、20匹中19匹からがん細胞が完全に消えた。

 
 
    ファイザーのコロナワクチンを開発したビオンテックの実験室=ビオンテック提供//ハンギョレ新聞社

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RNA治療薬、安全性は検証済み…効果を見る試験を予定

 今回の研究の協力企業であるフランスの製薬会社サノフィが行ったもう一つの実験では、黒色腫と肺がんに両方かかっているマウスに対してこの治療法を用いた。ただし、mRNAは黒色腫細胞にのみ投与した。ところが、この実験でも黒色腫だけでなく、肺がん細胞も抑制された。サノフィのティモシー・バゲナール博士は「メッセンジャーRNAによって活性化した免疫細胞が、遠く離れている腫瘍まで移動したためとみられる」と述べた。マウス実験でこの治療法の副作用は現われておらず、治療期間中にマウスの体重が減ってもいないと研究陣は付け加えた。

 ビオンテックとサノフィは現在、黒色種、乳がん、その他の固形がんを患っている231人の患者に対して試験を行っており、mRNA混合物の安全性を検証している。初の発表となる17人の患者の試験の中間結果によると、深刻な副作用は見られなかった。研究陣は今後、この治療法がどれほど効能を発揮するかを試験で確認する計画だ。

 この治療法の弱点は、mRNAを腫瘍に直に注入しなければならないというところだ。したがって現在のところは、皮膚に近いところにある腫瘍にのみ、この治療法を用いることができる。しかし今後は、超音波をはじめとする他の技術を使えば、より奥深いところにあるがん細胞にも用いることができると研究陣は期待している。

 
 
オックスフォード大学ジェンナー研究所が開発したアストラゼネカ社のコロナワクチン=オックスフォード大学提供//ハンギョレ新聞社

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アストラゼネカのワクチン技術を用いた治療ワクチン

 アストラゼネカ(AZ)のコロナワクチンに使われた技術も、動物実験で良好ながん治療効果を示している。

 アストラゼネカのワクチンの開発機関である英オックスフォード大学ジェンナー研究所とルードヴィヒがん研究所が、最近、国際学術誌「がん免疫治療ジャーナル」に発表した研究によると、研究陣はアストラゼネカのワクチンの製造に用いられたウイルスベクター技術を利用して、がん治療ワクチンを設計した。

 疾病に感染する前に投与する予防ワクチンとは異なり、治療ワクチンは疾病の発生後に投与するワクチンだ。治療ワクチンは患者の免疫システムを活性化するかたちで作用する。今回開発された治療ワクチンは、がんの免疫治療の補助薬だ。

 研究に用いられた免疫治療は、患者の免疫システムの一つで、腫瘍に浸透する「CD8+T細胞」でがん細胞を殺すというもの。ところが、この療法は一部の患者では大きな効果を示すものの、大多数の患者にはあまり効かない。患者のT細胞数が少ないことが理由の一つだ。

 研究陣はこれを補うため、T細胞の数を増やす2回投与用のがん治療ワクチンを開発した。このうちの一つが、まさにアストラゼネカ社のワクチンの運び屋(ベクター)を用いたワクチンだ。

 
 
          がん細胞(中央)を攻撃する3つのキラーT細胞=ウィキメディア・コモンズ//ハンギョレ新聞社

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がんのたんぱく質遺伝子注入…免疫細胞の数値上昇

 アストラゼネカのコロナワクチンの運び屋は、チンパンジーの風邪ウイルスであるアデノウイルスだ。研究陣は、がん治療ワクチンでもこのウイルスを遺伝情報の運び屋として使用した。ただし、コロナのスパイクたんぱく質の遺伝子の代わりに、MAGEたんぱく質の遺伝子を挿入したというところが異なる。MAGEたんぱく質は、様々なタイプのがん細胞の表面に存在するため、ワクチンの標的とするのに適した物質だ。研究陣は、MAGEたんぱく質は腫瘍を破壊する免疫細胞をがん細胞の表面へと誘引する「赤い旗」の役割を果たすと述べた。このたんぱく質は正常な細胞の表面には存在しないため、免疫系が健康な細胞を攻撃することで生じる副作用を減らすことができる。

 研究陣は、免疫療法が施されるとともに、治療ワクチンを投与されたマウスのがん細胞の大きさは、わずか36日で82%小さくなったと明らかにした。そのため、マウスの生存確率も17%から36%へと高まった。

 研究チームは、非小細胞肺がんの80人の患者に対して、免疫療法と併用する治療ワクチンの臨床試験を年末に開始する計画だ。

 ジェンナー研究所のエイドリアン・ヒル所長は「この新しいワクチン・プラットフォームは、がん治療に革命をもたらす潜在力を持っている」と述べた。

クァク・ノピル先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
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