九鬼周造の「情緒の系図」をパラパラとめくる。人の情緒を哲学的に考えている。
とくに、愛に関する情緒に目が止まる。愛は、基本的に嬉しさと関係してる。
しかし、愛するものの背後に、その消滅を予見するかぎり、愛は純粋にうれしい感情ではなく、悲しみも加わってくる。
例えば、「恋しい」という感情だ。「恋しい」という感情の裏には常に「寂しい」という感情が控えている。
「恋しい」とは、一つの片割れが、他の片割れを求めて、完全なものになろうとする感情であり、「寂しい」とは、片割れが片割れとして自覚する感情である。
人を深く愛すれば愛するほど、相手を求め、完全になりたいという気持ちが強くなる。しかし、いろんな事情でそうなれない場合がある。
そうなれない場合は、ハートのペンダントの片割れになってしまう。そして、ずーっと片割れのままだ。
寂しいとはそういうことだ。
二十歳くらいのときに、ハートの片割れになった経験がある。たぶん、相手のハートの片割れとくっつけたら、完全なものになったかもしれない。まあ、それは誰にもわからないが。
ただ、たまに、そのことを考えることがある。そして、完全なものになりたかったが、いつも片割れなんだなと自覚してしまう。
それがここでいう、「恋しい」と「寂しい」なのだろう。