言霊信仰とは、声に出した言葉は現実に実現してしまうと信じられていることをいう。
言葉の呪術性の現れであり、それが信仰までに高められている。
例えば、明日、山岳会で登山が計画されているとしよう。
みんなが晴れるといいねと話していたところ、ある人が「明日は雨が降るかもしれないよ」と言った。
そうすると、みんなが「止めてくれ、縁起でもない」という。
なぜなら、不吉なことを言うとそれが実現してしまうからである。
言霊信仰が信じられている日本の社会では、うかつなことは言えない。
つまり、いまこの場で適切な言葉はどういったものなのかを判断し発言することが求められる。
このことが、いわゆる「空気を読む」ということである。
さっきの例で言えば、「雨が降るかもしれない」と言った人が気象予報士の資格をもっていて、それが科学的根拠に基づいた発言だったとしたとしよう。
そうであるなら、雨が降る可能性は否定できない。だから、雨のときどうすべきか検討し、その時の行動を決めておくべきである。
そのプロセスが、いわゆるリスク管理である。
それにもかかわらず、縁起でもないと言われ、発言が否定されれば、おおよそリスク管理はできないことになる。
なぜなら、リスク管理は、ありとあらゆる縁起でもないことを想像し検討することに他ならないからである。
安定し変化が少ない社会では言霊信仰が信じられる傾向がある。このような社会ではその共同体の安定が重要だからである。
しかし、変化の激しい社会では、リスク管理が必要で、そのためには想定外の出来事も検討しなければならない。