最近、東野圭吾にはまっていて、かなりの冊数を読んでいる。昨日は「白夜行」を読み終わった。
以前は、さらっとして読みやすい小説だなぁくらいにしか思っていなかった。しかし、自分が文章を書き、その読みやすさを学ぼうという観点から読み始めたら、この人の文章はちょっとすごいなぁと思うようになった。ワンパラグラフのみならずワンセンテンスの中にも、人の興味を引くような工夫がされている。
さらっと読めるというのは、「読める」のではなく、作家の技術によって読まされているのだ。
ただ、作品が全体的に暗い感じもする。それはミステリーの特徴なのだろう。というのも、人物の謎は、善よりも悪に起因する場合が多いからだ。
私たちは、自分をできるだけ良い人間に見せたいと思っている。だから、良い部分は全面に出てくる。
しかし、悪い部分は隠される。隠された部分は謎になる。その謎を追うのがミステリーの本質だからだ。
私は、昔から人の謎の部分をあまり知りたいと思わないタイプだった。それは人の悪い部分を知るのが怖いのだろう。それは自分の心の弱さだと思っている。
本当の愛とは、善悪を超えてその人を愛せるかという問題である。
正しいこと悪いことをついついジャッジしてしまう人間には、なかなか難しい道である。
たとえ、そいつが反吐が出るような人間だとしても、それでもその人を深く愛してしまった、そのことを皆に共感できるように描き切れたら、その小説は大成功だろう。愛を描くとは、肥溜めの中から綺麗な真水を取り出すような作業なのだ。
そして、現実に人を愛することは、もっと難しい。