前々回、「【8】介護を受ける側の自助努力」ということで書きました。
では、介護をする側はどうなのでしょうか。
「介護をしてあげている」という考えもあると思いますが、「介護をさせてもらっている」という考え方もあると思います。
それは、介護を通して、介護をする側の成長、向上につながる部分があると思いからです。
例えば、介護を通じて、優しくなれる、他を利する、愛を与えるといったことの実践ができるということです。
また、そのような思い、行いをするようになれるということです。
もうひとつ、介護をする側の成長、向上として、智慧の獲得ということがあるのではないかと思います。
この智慧には、大きく2つの意味があります。
ひとつは、介護や家事をうまくこなすための知恵を得たり、工夫ができるようになったりするという意味です。
もうひとつは、魂と肉体の両面において介護を受ける側の成長につながるようなことができるようになるという意味です。
私ができているかどうかは分かりませんが、少なくとも介護や家事の知恵や工夫はいろいろとできているように思います。
また、自分では、怒らなくなった、つまり、少し優しくなれたような気がします。
(叱ることは、あります。最近は、優しく叱るようにしているつもりです。)
このような考えを一応持って介護をしています。
でも、私はまだいい方だと思います。
それでも、がっくりきたり、もう嫌だと思ったり、理由もなくやる気がなくなったり、空しくなったりもします。
私より過酷な環境で介護をされている方は多いと思いますので、上記のようなことを言っても理解されない方も多いかと思います。
でも、人の思いは、いつも同じではありません。
もし、少し余裕ができたら、このような考えで介護をしているオッサンがいることを思い出していただければ、と思います。
我が家の柿の木に柿がなっていました。
今年は、割とたくさん食べれそうです。
母は柿が大好物なのですが、昨年は食べ過ぎて下痢をしてしまいました。
柿は水溶性食物繊維が豊富で、食べ過ぎると下痢をするようです。
今年は、気を付けようっと・・・。
たくさん実ってくれて、ありがとう。
介護をしている方、介護について迷われている方、将来、介護の不安のある方等など、何かの参考になれば幸いです。
たいへんな時代に、介護をするのも大変です。
皆様に、神さま仏さまのご加護がありますように。
61歳のオッサン公認会計士でした。
では、また。