いやはや、第1次安陪政権とそっくり…。松島法相、小渕経済産業相、西川農林水産相の辞任に続き、下村文科相、望月環境相、上川法相にも「政治とカネ疑惑」が浮上、このカネまみれ体質に唖然とするばかり。安倍首相は西川氏辞任の時に「任命責任は私にある」と言ったが、どう責任をとるのか、無責任な発言に何の意味もない。
大臣に任命するときには「身体検査」をするという。第1次安陪政権で懲りたはずなのに、政治家たちは、いかに「政治とカネ」問題を軽く考えているかということだ。賢い政治家なら「政治とカネ疑惑」が浮上したらもう政治家は終わり。賢い国民なら、そんな政治家に1票を投じたりはしない。そういう覚悟が必要だろう。何はともあれ、まず国民が賢くならなければ、この問題は永久になくならないと思う。
政治の役割とは極論すれば、第1に国民を飢えさせないこと。第2に国民の安全を保障すること。第3に次世代を担う国民に適切な教育を施すこと――であるという。今、この3つの役割がしっかりなされていると言えるだろうか。国の中央がこの体たらくでは、地方政治だって期待できるものではなかろう。
先日、わが購読紙の投書欄『幼少時から徳育に力を入れよ』という医師の投書に考えさせられた。【「命はね 捨ててはいけない 宝物」。小学2年生の孫が授業で書いた言葉。驚いた。なぜこう書いたのかは言わなかったが、考えさせられた。日本は平和と思っていたが、次々起こる殺人事件、いじめによる自殺など命が数字で報じられる。なぜこうなったのか。
以前、教育の柱には知育、体育、徳育があった。しかし戦後、猛烈社員が増え、知育や体育での競争心をあおる教育が行われ、数字で評価しづらい徳育は置き去りにされた。物質的な高度成長は果たしたが、貧富の差が拡大する中、他人の痛みを感じる心は成長せず、むしろ退化したとも思われる。
格差社会が一因で、世界ではテロが頻発している。少なくとも日本では幼少時からもっと教育現場(教師、当人、その家族)で話し合い(討論)の仕方を教え、相手の気持ち、考えを知る徳育の充実を図ってもらいたい。戦争回避には思いやりが最も重要と考える。】
本当にそうだ。少年たちに他人の痛み、相手の気持ちを思いやるという優しさがあれば、あの川崎市立中学1年の上村遼太くんのような残忍な殺人事件は起こらなかったのではないかと思う。いや、昨今は、人の事に無関心で自分さえよければという風潮は、子供たちだけでなく大人の方がひどいかもしれない。今回の事件は、考えれば考えるほど疑問に思うことが多すぎる。なぜ、こんなむごたらしい結末になったのか、誰かがひと言声をあげれば救える命だったように思えてならない。
上村少年の行動に異変が起きたのは昨年7月頃からだそうだ。部活に出てこなくなった時点で部活の責任者はなぜ放置していたのか。目の周りに黒いあざを作って帰った子供の顔をみて母親は何も感じなかったのか。顔が腫れ上がったことが判明した時点で、警察に通報すべきだった。
1月から学校へ行かなくなったことに教師は、親は、どう対処していたのか。家庭訪問して、「寝ているから」と言われ会えなかったという。が、寝ている子を起こそうとしなかった母親、また「起こしてください」と言わず引き下がった教師、この危機感のなさはどういうことか。ここでもっと踏み込んでいたら、あるいは…。
「殺されるかもしれない」なんて、13歳の少年が感じることだろうか。大人でも平然としていられないはずだ。その恐怖心を抱えたまま、日々をどう過ごしていただろうか。なぜ、大きな声で「助けて」と叫ばなかったのか。みんなに好かれるいい子だったと聞けば、本当にかわいそうでやりきれなくなる。少年法なんてクソッ食らえだ。
徳育に力を注ぐ学校に、偏った子供が育つはずなし。
政治家先生にお手本となって貰いたいですね。せめて献金疑惑のお騒がせ大臣方!
徳を知るものは鮮なしと云うけれど、淋しすぎますね、この世の中。
18歳の少年が徐々に口を開き始めたとか。裸にして冷たい川で泳ぐよう指示。それからナイフで切り刻み殺したようです。どんなに恐かったことか。
「人を殺してみたかった」という少年少女、異常な人格はどこから生まれたのか、やはり幼少時の家庭環境にあるように思います。
道徳が授業に取り入れられることになりましたが、学校にすべてを委ねるより親が、そして子どもの手本になる大人がしっかりしなければダメだと思います。
日本はこれからどうなるのか、そんな絶望的な気持ちにさせられる昨今の世情です。
人間のこころを持たない犯人が生き延びて
いるのは許せないです。
近頃TVの「刑事もの」でもすごい映像があります。孫が見ていてあわてて消す時もあり
ます。なにからやり直そうか、では遅いです。暴力団撲滅運動と連動しよう。
最近の少年犯罪は大人以上の残忍な事件が多いように思います。
ひと息に刺し殺すというのではなくカッターナイフであちこち切りつけ、相手の苦痛や恐怖心を楽しむかのような、少年の異常な性格に背筋が凍りつくようです。
いつものことながら、事件後にあれこれマイクに向かってしゃべる人間が腹立たしく思います。自分が見てみぬふりをしていたということなのに…。
どんなに悲惨で残酷で、無慈悲な事件にも必ずアレコレ批評する、知識人と呼ばれる人の存在。防げなかったご自分はどうなの?と反対に聞き返したい!
起こらなければ見えない最悪の事態を防ぐ手立てばかり目くじら立てて議論する前に、しっかり大人が責任ある態度を取る事が肝心だと思いませんか?
真っ直ぐな社会の一員として恥じない大人社会なら、若人の成長も輝かしいものとなるでしょう。理想論でなく我々老人から声を大にして「他を思いやる心」をと叫びたいです。
子どもの状態に気付くのは一番に教師と親でなければなりません。学校側はもっと危機感を持ってもらいたいと思います。
1人では何もできないけれど、みんなで立ち向かえば不良少年もそれほど恐れることはないのでは? 物事に無関心な大人にだけはなりたくないですね。