スリランカ 南インドの旅から聖地リシケシへ戻ると雨季になっていた
あまり綺麗だとは言えないが アシュラムのれっきとした料理人だ
腹をこわしたことなど一度もない
2週間ぐらいでインドのカレー食に対して嫌悪症状がでた 全く食べられない
それを乗り越えないとインドの旅は続けられない
アシュラムから急な小道を下り本通りを渡るとチャイ屋がある
ぼくもババたちも常連客だ チャイはガンガで汲んだ水で沸かす だから美味しいのだろう
チャイを飲んだついでにタバコ ビリ マッチなどを買うとおばちゃんの頭はてんぱってくる
10ルピー札をだすと計算が難しくなるようだ 100パイサが1ルピーになる
インド人はタバコ1本だけ買い火のついた縄から火をつけ50パイサコインを置いていく
ケトナパイサ(おばちゃん なんぼや)指を折り勘定しているが落ち着きがない
ジャルディ ジャルディ(急いでくれ)と言うと 心底困ったおばちゃんの顔があった
昼食の準備をするババ 石のまな板 燃料はガンガに流れる小枝など
ぼくにはアシュラムの学習スケジュールが決まっている。午前中は早朝の瞑想が終ってから第2瞑想が始まる10時までの2時間くらいが空いている。第2瞑想は11時に終るがすぐ昼食になり、毎朝4時起きだから昼食後は当然1時頃まで昼寝をする。それはババ達も同じで昼寝をしている。午後の空き時間は3時30分から始まるハタ・ヨガまでの約2時間だ。ババ達の写真撮りは2~3日かかるだろうが何も急ぐことはない、ぼくがリシケシを出発するまで後3週間ぐらいは残っている。写真撮りはどうせすんなりとは進まないだろう。ああしろ、こうしろと注文をつけてくるに違いない。もう一つ問題がある。写真撮りが数日かかると小さい村だ、噂が広がるかもしれない。別館下へ行けばお金がなくてもカラー写真を撮ってもらえると、インド人達が集まりだしたらたまったものではない。この件についてはサフランババに釘を刺しておかなければならない。
サフラン・ババ 最上段 彼の寝床
スリランカ1ヶ月、南インド1ヶ月の旅をして雨季のリシケシへ戻ってきた。朝の瞑想が終わってチャイ屋で朝食を済ませ別館下のババ達の寝床へ行く。何をしているのか、みんな集まって何やら相談している。そこへぼくが突然に現れたという風であった。
「ババお前は日本人だろう、だったらカメラを持っているな」
といきなりわけの分からないことをサフランババが言いだした。どうしたんだ、このババは何が言いたいのか
「俺は日本人だ、それがどうした。俺に何の用があるんだ?」
ぼくはズーム付きのバカチョン・カメラと数本のカラー・フィルムを日本から持ってきていた。が寺院や風景を撮る趣味は持っていない、カメラはバックパックの中に放り込んだままだ。
「カメラがどうした」
「写真を撮ってくれ、頼む」
ぼくに皆の写真を撮らせようと相談をしていたのか、やっとこの雰囲気の意味がつかめた。
「だめだ、カラー写真1枚で2ルピーもするんだぞ、だめだ」
「そう言うな、皆が写真を欲しがっている。撮ってくれ」
「ババ~お前2ルピーが払えるのか?」
「金はない、そこのところを何とかしてくれ、頼む」
こんな問答をいつまでやっても埒があかない、と周りを見るとババ達の視線がぼくに向けられていた。ババ達は真剣な顔をしてジャパニーババ、ジャパニーババと情けなくも追いすがるような声をだしやがる。何なんだ、たかが写真1枚じゃないか、いくらぼくでもここまで言われたら断わる事は出来ない。
「分かった、撮ってやる」
と約束してしまった。だが相手はババといえども海千山千のインド人だ、ぼくがちよっとでも甘い顔をすると痛い目に会う。
「いいか、1人2枚だ。顔のアップと全身の2枚だけだ、分かったか」
「アッチャー」(分かった)だがこのアッチャーをどのように理解して言っているのだろうか、ぼくに不安が残った。
釣れんなぁ 暇つぶしやから 湾のおやじ達の無駄話
朝 新聞を読んでいるとお茶が出てくる そのあと朝食だ
よっこらしょと仕事に出かける それがある日から出かけない 定年退職だ
居間でごろごろ 1週間 10日 粗大ゴミとなり かぁ~ちゃんのきつい視線が飛ぶ
うぅ もう耐えられん 釣り道具を持って湾へいくしかない 暇つぶしやから
ようぅ降るなぁ やる事がない 暇つぶしやから ブログを書く
ユーザーサマリー・アナリティクスを時々見ていた
市区町村をクリックするとhong kong や puneも表示される
地元だからやはり福岡 北九州が多い 次は pune hong kongとなっていた
毎日変動するので あぁそうかとしか思わない
継続しているのが Bunkyoだが よおぉ分からん 国をクリックしてもそれらしい国はない
日本にそんな地名があるのか アクセス数が10だったりする 益々分からんようになっていた
Bunkyo バァンキョウ バァンキョウ バァンキョウ しばらくほっておいていた 分からんから
英和辞典で調べた ない 何故ないのか 語幹はBunkだろう 名詞の語尾変化にyoはない
じゃ何語なのか 検索入れてみるか
なぁ なぁ なぁ なぁ~んとでた 文京区 と
オ~~マィガァ~~~
閲覧者代表
あのねぇ そんなつまらん事でブログ投稿しないでよ みんな忙しいんだから
すんまへぇ~ん これから暇つぶしも考えてみます
2018 年 1月 24日の文章 再掲示です
コテージに籠っていたアメリカ人、1ヶ月は滞在すると言っていたが朝、下山した。
2日程で人の出入りが続き残っているのはドイツ人とぼくの2人だけになってしまった。
ビザの残りが1ヶ月を切るとなんとなく落ち着かない。最短でデリーへ向かうにしても3日は必要だ。
カトマンズへ行くといってもビザや夜行列車の予約で数日はかかるし
土、日の祝日をはさむと移動日数を含め最低でも10日は必要だ。
順調にいったとしての事だ、何が起こるか分からないインド、余裕を持つべきだ。
南下しスリランカ入国を考えているが最低20日は考えておくべきだろう。
そんな事を思いつつ3日が過ぎてしまった。明日、下山しなければならない。
ゴームク、ガンゴトリ小さな旅であった。
下山の朝、ぼくが住んだコテージとブルーのバックパックを記念に撮った。
2日程で人の出入りが続き残っているのはドイツ人とぼくの2人だけになってしまった。
ビザの残りが1ヶ月を切るとなんとなく落ち着かない。最短でデリーへ向かうにしても3日は必要だ。
カトマンズへ行くといってもビザや夜行列車の予約で数日はかかるし
土、日の祝日をはさむと移動日数を含め最低でも10日は必要だ。
順調にいったとしての事だ、何が起こるか分からないインド、余裕を持つべきだ。
南下しスリランカ入国を考えているが最低20日は考えておくべきだろう。
そんな事を思いつつ3日が過ぎてしまった。明日、下山しなければならない。
ゴームク、ガンゴトリ小さな旅であった。
下山の朝、ぼくが住んだコテージとブルーのバックパックを記念に撮った。
ゴームクで沐浴の修業を行えば生にまつわる過ち、罪が全て清められる・・・
・・・とサドゥーから教えられた。
人間は過ちを冒す。アシュラムで瞑想をして、そのことを知った。
ゴームクの前方に広がる河原に大小の岩が荒々しい。
ガンガへ歩くぼくの足元の水溜まりには薄氷が張っていた。
沐浴し過ちの全てを思い描かなければ、ぼくは清められない。
ヒェ~~~~~~~~
当然のことである。ガンガは凍るような聖水であった。
がんじがらめの世間のしがらみを背負ったまま
ぼくは河岸の現世へもどった。それで良い。
ヒンズー教徒でもない、サドゥでもない、俗人のぼくが
一度の沐浴によって聖人になれるなんてありえない。
ゴームクへ行きたい、そこで沐浴をする。
そんなぼくの夢は達成された。満足した旅であった。
いざ出発
こんな格好で、てれてれと歩いていた。
あの白い山の山麓あたりがゴームクだろう。
ヒマラヤ氷河の末端にぽっかりと空いた聖なる牛の口があるはずだ。
永い歳月、巡礼者が歩いた道だ。
ボージバーサーから高度約200m程のだらだら道を登ると
標高約4000mのゴームクに着く。
聖なる河ガンジスの源流ゴームク(聖なる牛の口)標高約4000m
後ろに見えるのがヒマラヤ氷河の先端 黒いのがゴームク
奥で氷河が融ける ガンガはその一滴が源流となる
こんな格好で、てれてれと歩いていた。
あの白い山の山麓あたりがゴームクだろう。
ヒマラヤ氷河の末端にぽっかりと空いた聖なる牛の口があるはずだ。
永い歳月、巡礼者が歩いた道だ。
ボージバーサーから高度約200m程のだらだら道を登ると
標高約4000mのゴームクに着く。
聖なる河ガンジスの源流ゴームク(聖なる牛の口)標高約4000m
後ろに見えるのがヒマラヤ氷河の先端 黒いのがゴームク
奥で氷河が融ける ガンガはその一滴が源流となる