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・<放射能、食糧難対策>玄米一粒の革命~白米は粕~(まとめ)
先日、ず~っと読みたかった本、分子生物学者、福岡伸一さんの「動的平衡」を読みました。
僕たちの身体を構成している分子=細胞は約三カ月でそっくり入れ替わってしまうと言われています。
これはつまり、分子の集まりとしての「自分」は、三か月前にそこに居た「自分」とは全くの別人だということ。
この、「物」としては絶えず移り変わり、決して留まることのない「自分」と、そこに常に留まり「私」を構成する、本当の意味の「自分」、そこに宿る「生命」とは何か?というのが、この本のテーマです。
<汝は「汝の食べたもの」である>
生命とは何か?その問いかけに対して、まず僕たちの生命活動の基盤である「身体」が何でできているのかについて考えてみることにしましょう。
タイトルは西洋のことわざらしいのですが、このことが比喩でなく、現実に生物学的にもそうであることを初めて「見た」のが、ルドルフ・シェーンハイマー(1898-1941)さんだそうです。
「彼は、当時ちょうど手に入れることが出来たアイソトープ(同位体)を使って、アミノ酸に標識をつけた。
そしてこれをマウスに三日間、食べさせてみた。アイソトープ標識は分子の行方をトレースするのに好都合な目印となるのである。
アミノ酸はマウスの体内で燃やされてエネルギーとなり、燃えカスは呼気や尿となって速やかに排泄されるだろうと彼は予想した。結果は予想を鮮やかに裏切っていた。
標識アミノ酸は瞬く間にマウスの全身に散らばり、その半分以上が、脳、筋肉、消化管、肝臓、膵臓、脾臓、血液などありとあらゆる臓器や組織を構成するタンパク質の一部となっていたのである。そして三日間の間、マウスの体重は増えていなかった。
これは一体何を意味しているのか。マウスの身体を構成していたタンパク質は、三日間のうちに、食事由来のアミノ酸に置き換えられ、その分、身体を構成していたたんぱく質は捨てられたということである。
標識アミノ酸は、ちょうどインクを川に垂らしたように、「流れ」の存在とその速さを目に見えるものにしてくれたのである。つまり、私たちを構成している分子は、プラモデルのような静的なパーツではなく、例外なく絶え間ない分解と再構成のダイナミズムの中にあるという画期的な大発見がこの時なされたのだった。
まったく比喩ではなく、生命は行く川のごとく流れの中にあり、私たちが食べ続けなければならない理由は、この流れを止めないためだったのだ。そしてさらに重要なのは、この分子の流れが、流れながらも全体として秩序を維持するため、相互に関係性を保っているということだった。
個体は感覚としては外界と隔たれた実体として存在するように思える。しかし、ミクロのレベルでは、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み」でしかないのである。」
(福岡伸一著「動的平衡~生命はなぜそこに宿るのか」(木楽舎)p、230~231より引用)
僕らが容れ物だと思っている「身体」は、環境からやってきた分子がちょっと一息、寄り道をしているだけの「状態」で、生命とはその「流れそのもの」、その「効果」である?
なんとも雲を掴むような話ですが、ここに、ぼくらの身体が「食べたもの」の別の形であり、生命が環境の一部である、という「食物至上」「身土不二」が生物学的にも証明されたわけです。
<人間は考える管である>
次に、取り込んだ食べ物が分解されていく様子を、もう少し詳しくみてみることにしましょう。
ところでみなさんは、食べたものがどこに達すれば「体内」に入ったことになると思いますか?
口の中に含み、喉を通り、胃の中なら体内?小腸、大腸を経て、肛門を抜ければ体外?
実は生物学的にいえば、それらの食べ物の通り道は、全部「体外」なのだそうです!
そのことは受精卵が細胞分裂を繰り返し。胎児に成長していく過程をたどっていくと良くわかります。
「いくつもの細胞の塊となった胚はしだいに中空のボール状に形を変えていく。その後、ボールの皮が陥入し、反対側に達する。皮と皮が融合して穴をつくる。するとボールの中にトンネル様の筒が貫通したことになる。その筒の中が消化管の中になる。」(同著p69~70より)
つまり、口、食道、胃、小腸、大腸、肛門と連なった消化管は空間的には外部とつながっている、チクワの穴のようなものであり、ミミズやナメクジのような生物が、僕たちの原型、遠い祖先なのだそうです。
では、いつからが食べ物が「体内に入った」ことになるのかというと、それは消化器官で消化(低分子化)された栄養素が消化管壁を透過して血液中に入ったとき、なのだそうです。
さて、この「消化」とは何であるかというと、この本では「情報の解体」として表現されています。
食べ物(=生き物)は無数のタンパク質で構成されています。そしてタンパク質とはいくつものアミノ酸が組み合わさってできています。
この、別の生き物のタンパク質情報を、そのまま取り込んでしまうと拒絶反応が起きて大変なことになってしまいますので、一度情報をバラバラに解体します。
例えば人参(NINJIN)という情報を持った状態がタンパク質、で、それを一文字一文字バラバラに、情報を解体した状態(N,I,N,J,I,N)がアミノ酸(実際アミノ酸にはそれぞれ種類に応じたアルファベットがあてられている)で、この一文字になった状態ではじめて「体内」への通行が許可されるのです。(*このタンパク質が、何かの不都合で消化されないまま取り込まれて起きるのがアレルギー反応だそうです。)
そうして一文字にまで分解されたアミノ酸は血液にのって全身の細胞に運ばれ、そこでまた文字を組み直して新たなタンパク質へと再合成されます。
ここで面白いのは、取り込んだ食べ物の情報は他の食べ物から来た、別のアミノ酸(文字)と組み合わされて、ある時は細胞になり、ある時は分泌液になり、自由自在に姿形を変えて、全く別のタンパク質として再合成されるということです!
つまり、肉をつくるために肉を食べる、コラーゲンを得るためにコラーゲンを食べる、というのは生物学的には全く無意味なわけで、牛や象などが穀草食だけでたくましい肉体を維持できる理由がここにあるわけなのです。
それにしても、そんな複雑なことが行われているとはつゆ知らず、毎日のほほんと生きているこんな「僕」を形成するためのこの不思議な連携プレーは、一体ぜんたいどのようにして成り立っているというのでしょうか!!?
<動的平衡~生命という錬金術>
かくして僕たちは、「生命とは何か?」という問いかけに対して、「生命とは、秩序ある分解と再構成の流れそのもの(=動的な平衡)である」という、ひとつの解りやすい解答を得ることができました。
そして、この分解と再構築の仕組みがあるおかげで、僕たちは体を構成する分子を絶え間なく「更新」することができ、それによって環境の変化に適応し、外部から侵入する異物を分解、あるいは排出(デトックス)し、バランスを整える(=病気を防ぐ)ことができるのです。
つまり生命とは、それ自体が本来「治癒の力」そのものなのです。
「間断なく流れながら、精妙なバランスを保つもの。絶え間なく壊すこと以外に、そして作り直すこと以外に、損なわれないようにする方法はない。生命は、そのようなありかたとふるまいかたを選びとった。それが動的平衡である。」(同著、あとがきより)
福岡伸一さんの「動的平衡」は、科学書としては異例のロングセールスを記録しているらしいのですが、実際僕がここ最近読んだ本の中でも断っ突に面白かったです!!
「生命とは何か?」という深淵になりがちな人類永遠のテーマを、一般的な言葉で、非常に軽やかに、解りやすく解説してくれて、何より夢とロマンと希望、明るさにあふれた超オススメ本です。
このブログで取り上げたことは、その中のほんの一部ですので、是非本編をお手にとって読んでみてくださいませ!
福岡伸一オフィシャルブログ「福岡ハカセのささやかな言葉」
http://fukuoka-hakase.cocolog-nifty.com/blog/
(続く…)