相澤農園の野菜たちが、僕自身も、十年近く畑をやっている人達もびっくりさせるほどの成果を見せてくれるようになってきたところで(なっているうちに?)、僕の実践している栽培法『自然農法』について簡単に解説してみようと思います。
<自然農法は地球農法>
僕のやっている栽培法は『自然農法』と呼ばれているもので、「耕さず、肥料もやらず」自然のしくみ、自然の力をできるだけ人の手で邪魔をしないようにダイレクトに野菜に伝え、育てる方法です。
そのお手本は自然界の草木であり、庭に勝手になる柿の実です。
だから『自然農法』というのは便宜上の呼び方で、実際には農法ですらありません。
『自然農法』の提唱者は人間ですが、作ったのは地球です。
地球自然界には46億年の遥かなる月日をかけて築き上げられた、奇跡のような完璧なしくみがあります。だからそこにはもともと人間が手を加える余地などなく、人間の開発、提唱する他のどんな農法も、実はその不完全な真似ごとにしかすぎないのです。
<自然と不自然>
ところで「自然」とは何のことを言うのでしょうか?
人の手が少しでも加わるなら自然ではないのではないか?
いやいや、自然とは人間も含む宇宙全体そのもののことなのだから、どんな人為だって自然と言えるのではないか?
辞書で「自然」を調べてみると、実は言葉の定義としてはどちらも正解。
どうやら自然という言葉には「人間以外」を指す場合と、「人間を含む」場合の両方の意味が含まれているようです。
「自然を守ろう!」という団体同士が同じ場所ではち合わせると、どこまでが自然でどこからが不自然なのかの認識の違いで小競り合いになってしまうのはよく見かける光景ですが、僕はこの「自然」「不自然」というのを「人の手がどのくらい入るか」ということでなく「効率の良さ」で考えれば良い事に気が付きました。
たとえば平面をビー玉が転がる時、ビー玉はまっすぐ進みます。
凸面ではビー玉は曲がります。
凹面でも曲がります。
なぜ曲がるのかといえば、ビー玉が余分なエネルギーと時間を使わないようにしているからです。
この動きのこと。つまり一番エネルギー効率の良い状態のことを僕らは「自然」と呼んでいるようです。
逆に「不自然」とは、穴ぼこがあるのに真っ直ぐ進もうとしたり、平らな道をわざわざ遠回りして通りすぎたりする、効率の悪い状態のことなのです。
自然界の一番シンプルな決まりごと、それは「楽」をしようとすることです。
そうして宇宙じゅうのあらゆるものが「楽」をしようと動いている中で、なまじ「知恵」を得たばっかりに、効率の悪い「不自然」な生き方をして、それが「万物の霊長たる高等生物の証」と勘違いしてしまっているのがホモ・サピエンス(知恵のある人)=人類と呼ばれる人たちのようです。
<自然は楽園>
自然界は基本的には「余計なこと」をしません。後は人間がどこまで「余計なこと」をしないで、かつ自分たちに都合のよい収穫に結び付けられるか、ということを日々考えるのが『自然農法』です。
そして、野菜にとっても土にとっても、そして人間にとっても一番「楽」な状態を目指すのが『自然農法』です。
楽で楽しい自然農法の世界へようこそ!
次回:なぜ耕さずに野菜が育つのか?「不耕起栽培法」の解説へ続く…