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テートモダンで『HILMA AF KLINT and PIET MONDRIAN』展を見る

2023-09-30 | 2023年、ロンドンの旅

■2023年6月6日■

滞在3日目。まずはホテルでの朝食。
この長期滞在型ホテルでは宿泊代に朝食料金も含まれているのでビュッフェが利用できます。

 

コンチネンタル(シリアルなどの冷たい食事)だけでなく、アメリカン(豆やトマトなど温かい食事)もあるし、
パンのバリエーションも多くてうれしい!

   

前日の高級なレストランでの食事も特別感があって気分が高揚しますが、
こういうカジュアルなビュッフェは安心しますね。

 

そして朝食後は(同じホテルの空室が出ていなかったので)同じブランドのすぐ近くのホテルに移動。
やはりチェックインはすぐ対応してもらえましたが、若干部屋の間取りが違ってた。

   

キッチンの柱が邪魔(笑)。その他はほとんど同じ。

   

2日目のホテルの方は、廊下から見える高層ビルの眺めがよかったけど、
こちらは特別いい眺めでもなく、今後どちらかに泊まるなら2日目のホテルにしようと思いました。

 

そして、チェックインした後はバスでサウスバンクまで移動。
1・2日目と違ってこの日は晴天!ユニクロで買ったウルトラライトダウンも日中は必要なさそう。

たどり着いたのはサウスバンクにあるテートモダン! 逆光が眩しい!

いつもテートモダンに来るときはなぜか雨の日が多かったのですが、今回は晴れの日に来れて助かった!
最近は日本にいる間もなかなか美術館に行く気持ちの余裕がなかったので、
今回の旅の間にどこか美術館には寄りたいと思っていました。
そんなわけで、舞台を見に行く前に、ヒルマ・アフ・クリントピート・モンドリアンの特別展を見に行くことにしました。

 

オランダ出身のピート・モンドリアンと、スウェーデン出身のヒルマ・アフ・クリント。
2人は直接面識はなかったようですが、どちらも同じ1944年に亡くなっていたりと意外と共通点が多く、
その2人の生涯の作品の変遷を追いながら、作風を比較していく企画。

 

Hilma af Klint & Piet Mondrian | Tate Modern

Tate

 

抽象画家である二人は意外と初期には写実主義のスタイルで植物画などを多く描いていました。
↓これはアフ・クリントのもの

ピート・モンドリアンは抽象画家としてカンデンスキーらと肩を並べて名を知られていますが、
アフ・クリントはあまり名前を耳にしたことがありませんでした。
それもそのはず、彼女は死後20年は作品を公開しないように遺言を残してなくなったそうです。

優秀な成績でアカデミーを卒業した後も肖像画、動物画などの職業画家として成功を収めていたアフ・クリントは
当時の多くの文化人と同様に神秘主義の影響を受け、女性画家4人と共に「ザ・ファイブ(De fem)」いうグループを結成し、
1896年からは交霊会によるオートマチズム、つまり憑依された状態での絵画制作を始めます。
モンドリアンも交霊術や神秘主義に影響はされていたものの、オートマチズムでの作品は残していません。

カンディンスキーが抽象絵画を初めて描いたとされるのが1910年。
アフ・クリントが天啓を受けて描いたという、この展覧会の目玉の一つである大作シリーズ「The Ten Largest」を描いたのが1907年。

↓これがその「The Ten Largest」シリーズ。高さ3メートルある大作。

もしもアフ・クリントを抽象画家と認めてしまえば、美術界の歴史自体の書き換えが必要となってしまうため、
美術界がその存在を蚊帳の外にしたのが、これまで彼女の名前が知られてこなかった原因であるらしい。

また、オートマチズムによる制作を行う画家として疎まれてたところもあるようで、
公開を拒んだ20年を経て、甥がストックホルム近代美術館へ彼女の作品を寄贈しようとしたところ、
霊媒師の作品に興味はないと断れたというエピソードからもその存在が伏せられてきた理由が窺えます。

しかし、近年各国で開催された回顧展が話題を呼び、彼女の存在も注目を集めるようになり、
アフ・クリントと同様に野心的でありながら無名であった女性画家の存在へスポットを当てることや、
社会全体と同じように、美術界においても男性の活躍が中心に据えられてきたことへの認識の見直しなど、
美術史のアップデートの機運も高まってきているらしい。

今回の特別展においてもアフ・クリントの名前がタイトルの先に来ているのは、
テートが意図的に、意識的につけているに違いないと思う。

モンドリアンも1900年はじめに神智学に傾倒し、
1917年にはオランダ前衛運動「デ・ステイル」を創設して、仲間と共に機関誌を出版したりしています。
そして白黒の縦・横の線、赤・青・黄でよく知られる「コンポジション」シリーズにつながる新造形主義のスタイルを構築。

   

両者ともピンクやイエローなど、パステル調の色合いを使っているのが印象的。
アフ・クリントは円や螺旋を使い、モンドリアンは前述の水平・垂直の線を多用しています。

モンドリアンの絵は、想像していたよりも小ぶりなものが多くて、
近づいて観察すると、一つ一つの線や塗りつぶしの筆致がとても慎重に丁寧であることがよく分かります。
アフ・クリントの作品は、大きいこともありますが、よりダイナミックに描かれていて、
どちらも描かれている形はシンプルであるのに、ずっと眺めていても飽きない深さを感じます。

グッズ売り場には、「コンポジション」を使ったパズルがあって、買おうか迷ってしまった…
結局、一筆箋だけ買いました。一筆箋買いがち。

外に出たら変わらず晴天。
このままテムズ川沿いを散歩しながら最終目的地であるナショナル・シアターに向かいます。

ナショナル・シアターに向かう前に近くのBFIに立ち寄ってみる。

コロナ前入口近くにあった売店がチケット売り場の奥に移動していました。

それに留学中に自習場所として使ったりトークイベントなどを見に来たサウスバンク・センターも。

続く…

 

参考:

ヒルマ・アフ・クリントはなぜ大芸術家になれなかったのか? 映画『見えるもの、その先に ヒルマ・アフ・クリントの世界』レビュー(評:伊藤結希)

抽象画の先駆者ヒルマ・アフ・クリント、埋もれた才能 美術界の男性優位という問題:朝日新聞GLOBE+

 

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