入院、検査、手術…と慌ただしく日が過ぎて行きました。
手術が終わった義母を
義父も義姉も夫も、遠巻きで見守ります。
意識の無い義母は、しきりに娘の名前を呼び
点滴をしてないほうの手で宙をさぐります。
「手を握ってあげたら?」と言っても
「怖い…」
と後ずさりするので、仕方なく義姉になりすまし
「お母さん…」と手を握りました。
すると義母は安心した顔つきになるのです。
今度は夫の名前を呼ぶけど、夫も逃げるので
ちょっと低い声で「母ちゃん…」と、呼んでなりすまし
義父を呼んだら「ヨシコ…」と義父になりすまし…。
やれやれ忙しいことです。
でもこういう時、後から記憶に登場した嫁や孫は
潜在意識に無いんですね。
義母の親とか知らない人が出て来たらどうしよう…
と心配しましたが、結局一人三役までですみました。
「痛い、苦しい…」
うわごとを言う義母を
義父は遠くからいつもの調子で怒っています。
「おまえがさっさと医者へ行かないからだ!」
困惑した時は、このパターンです。
離れたところで悪態をつく、いじめっ子みたいです。
そんな義父を「照れ屋さんだから…」
と義母はいつもかばっていましたが
何でも照れ屋で済むなら警察はいらん…と思う私です。
やがて面会時間が終わったので
各自、言葉を交わすこともなく解散。
家に帰ると、義父が先に着いており
テーブルに突っ伏して泣いていました。
妻の痛々しい姿に、本当は深いダメージを受けているのでした。
「どうしよう、あいつがこのまま死んだらどうしよう…」
「…」
「つらい目にばっかり遭わせた…傷つけることばっかりしてきた…
今死なれたら…俺は一生後悔する…」
「麻酔が効いてるからですよ。
明日になったらケロッとしてますって」
「本当に元気になるだろうか?」
「なります。手術の後は、みんなああです」
「今まで悪かった。
いざという時、頼りになるのは子供じゃなかった。
さんざんバカにしていじめてきたおまえだった。
頭じゃあわかっていても、つい我が子に味方してしまう。
自分が情けない」
義父は、ずっと泣いていました。
そんな殊勝な気持ちになるのも今だけです。
人間、そう簡単には変われません。
この人は今、確かにそんな清らかな気分です。
それを見たほうは、悔い改めたと錯覚しやすいものです。
しかしその現象は、今この瞬間だけで
時が経てば…そしてメンバーの組み合わせが変われば…
コロコロと変貌して、結局元のもくあみに戻っていくのを
すでに嫌というほど体験してきました。
翌日から、忙しい日々が始まりました。
義姉は朝から晩まで病院に詰めて、母親につきっきりです。
意識が戻れば怖くないようでした。
義姉は几帳面な人間なので、線引きが好きです。
見舞客の対応と義母の話し相手は自分で
義父の世話や雑用は、嫁の私の仕事と決めていました。
義姉の夫が大輪の白い菊を二本持ってお見舞いに来ました。
花を持って来たのは自分が最初だったと、得意そうな義兄…。
枕元に飾られ、複雑な表情の義母…。
義兄は悪人ではありませんが
すべてにおいて、配慮の点で今ひとつ…というところがあります。
彼らの結婚の前に
義姉を毎日帰らせて会社を手伝わせる約束が交わされました。
ずいぶん後になって夫から聞きましたが、義兄一家には
「外見からはわからないが嫁の知能に問題があり、娘の協力が必要」
との説明がなされたそうです。
義兄はいまだに私を「気の毒な子」と思い込んで、優しくしてくれます。
私には
「相手の母親の精神に異常があり、娘がつらいから帰らせる」
という説明がありました。
私もまた、長い間義兄とその母親に同情していました。
だまされたと気付いたのは、何年も後でした。
私は仕事を辞め、一日おきに片道一時間かけて病院へ通っていました。
義父は手のかかる男で
持病に良いという健康食品や煎じ薬、お灸など
毎日飲まなければならないものや
やらなければならないことが山ほどありました。
加えて食事療法の上に、箸ひとつ、タオル一枚自分で出す習慣がなく
義母のことより、こっちのほうが大変でした。
夫は相変わらずI子と会っていましたが
手のかかる義父に加え
夫までそばにいられたらお手上げなので
この時ばかりはI子に感謝です。
入院前に断った仲人ですが
義母はまだあきらめられず、病床で神戸、神戸と言っていました。
しかし、阪神大震災が起きて結婚式場が倒壊し
結婚式は無くなりました。
手術が終わった義母を
義父も義姉も夫も、遠巻きで見守ります。
意識の無い義母は、しきりに娘の名前を呼び
点滴をしてないほうの手で宙をさぐります。
「手を握ってあげたら?」と言っても
「怖い…」
と後ずさりするので、仕方なく義姉になりすまし
「お母さん…」と手を握りました。
すると義母は安心した顔つきになるのです。
今度は夫の名前を呼ぶけど、夫も逃げるので
ちょっと低い声で「母ちゃん…」と、呼んでなりすまし
義父を呼んだら「ヨシコ…」と義父になりすまし…。
やれやれ忙しいことです。
でもこういう時、後から記憶に登場した嫁や孫は
潜在意識に無いんですね。
義母の親とか知らない人が出て来たらどうしよう…
と心配しましたが、結局一人三役までですみました。
「痛い、苦しい…」
うわごとを言う義母を
義父は遠くからいつもの調子で怒っています。
「おまえがさっさと医者へ行かないからだ!」
困惑した時は、このパターンです。
離れたところで悪態をつく、いじめっ子みたいです。
そんな義父を「照れ屋さんだから…」
と義母はいつもかばっていましたが
何でも照れ屋で済むなら警察はいらん…と思う私です。
やがて面会時間が終わったので
各自、言葉を交わすこともなく解散。
家に帰ると、義父が先に着いており
テーブルに突っ伏して泣いていました。
妻の痛々しい姿に、本当は深いダメージを受けているのでした。
「どうしよう、あいつがこのまま死んだらどうしよう…」
「…」
「つらい目にばっかり遭わせた…傷つけることばっかりしてきた…
今死なれたら…俺は一生後悔する…」
「麻酔が効いてるからですよ。
明日になったらケロッとしてますって」
「本当に元気になるだろうか?」
「なります。手術の後は、みんなああです」
「今まで悪かった。
いざという時、頼りになるのは子供じゃなかった。
さんざんバカにしていじめてきたおまえだった。
頭じゃあわかっていても、つい我が子に味方してしまう。
自分が情けない」
義父は、ずっと泣いていました。
そんな殊勝な気持ちになるのも今だけです。
人間、そう簡単には変われません。
この人は今、確かにそんな清らかな気分です。
それを見たほうは、悔い改めたと錯覚しやすいものです。
しかしその現象は、今この瞬間だけで
時が経てば…そしてメンバーの組み合わせが変われば…
コロコロと変貌して、結局元のもくあみに戻っていくのを
すでに嫌というほど体験してきました。
翌日から、忙しい日々が始まりました。
義姉は朝から晩まで病院に詰めて、母親につきっきりです。
意識が戻れば怖くないようでした。
義姉は几帳面な人間なので、線引きが好きです。
見舞客の対応と義母の話し相手は自分で
義父の世話や雑用は、嫁の私の仕事と決めていました。
義姉の夫が大輪の白い菊を二本持ってお見舞いに来ました。
花を持って来たのは自分が最初だったと、得意そうな義兄…。
枕元に飾られ、複雑な表情の義母…。
義兄は悪人ではありませんが
すべてにおいて、配慮の点で今ひとつ…というところがあります。
彼らの結婚の前に
義姉を毎日帰らせて会社を手伝わせる約束が交わされました。
ずいぶん後になって夫から聞きましたが、義兄一家には
「外見からはわからないが嫁の知能に問題があり、娘の協力が必要」
との説明がなされたそうです。
義兄はいまだに私を「気の毒な子」と思い込んで、優しくしてくれます。
私には
「相手の母親の精神に異常があり、娘がつらいから帰らせる」
という説明がありました。
私もまた、長い間義兄とその母親に同情していました。
だまされたと気付いたのは、何年も後でした。
私は仕事を辞め、一日おきに片道一時間かけて病院へ通っていました。
義父は手のかかる男で
持病に良いという健康食品や煎じ薬、お灸など
毎日飲まなければならないものや
やらなければならないことが山ほどありました。
加えて食事療法の上に、箸ひとつ、タオル一枚自分で出す習慣がなく
義母のことより、こっちのほうが大変でした。
夫は相変わらずI子と会っていましたが
手のかかる義父に加え
夫までそばにいられたらお手上げなので
この時ばかりはI子に感謝です。
入院前に断った仲人ですが
義母はまだあきらめられず、病床で神戸、神戸と言っていました。
しかし、阪神大震災が起きて結婚式場が倒壊し
結婚式は無くなりました。