それっきり、E子夫婦の干渉はありませんでした。
その後も夫と会っていたのかどうかもわかりません。
知りたいという気持ちが無いからです。
愛情らしきものが残っているうちは、全部知りたい気持ちがありました。
どこでどうやって知り合ったのか…
女性とどこへ行き、何を食べたか…
どれだけ彼女を愛しているのか…
二人の交際を知らなかった頃からさかのぼって知りたくなります。
妙なプライドがそうさせるのか
とにかく何もかも知って、空白の部分を埋めておかないと
気がすまないのです。
知れば知ったで、また新しい苦しみの始まりです。
自分の未知の場所へ行ったと知っては
「私にそんなことをしてくれたことはない…」
と腹を立て
知っている場所へ行ったと知っては
「思い出を汚された」
と怒るのです。
そして、女性を憎んでもいい理由をまたひとつ、ふたつと
確保していきます。
頭の中には、一応人を憎んではいけないという立て札が立っています。
その立て札を引き倒しても無理はない…という状態にしたいわけです。
自分が納得するには
「こんなひどい目に遭った」と声を大にして言える事柄を
ひとつひとつ数え上げていくしかないのです。
思考のパターンは、無意識のうちに2対1になっていきます。
夫と女性VS自分…です。
今この瞬間も、夫と女性は赤い口を大きく開けて
自分をあざ笑っている…
そう思えてくる…思いたいのです。
知ればますます激しい憎悪が渦巻くのに
知らないままではすまされない。
でもわからないから想像する。
想像しては悶々と苦しみ、さらに深い淵に墜落。
それも今では懐かしい感情になりました。
こちらがあれこれ想像するまでもなく
案外、彼らは何も考えていません。
考えないから
妻子があってもよその女性のパンツを脱がせることが出来るし
考えないから
他人の旦那の前でパンツが脱げるのです。
それによって何人の人間が悲しむか…
発覚したらどうなるか…
いちいち考えていたら、不倫なんてできません。
いえ、決して非難ではありませんよ。
あらぬ想像をして人を憎み
絶望する姿を子供にさらしながら
洗剤をかけられたゴキブリのようにもだえ苦しむ自分のほうが
本能のままに密着したがる彼らよりも
本当は醜いのではないかと思うのです。
余計なことを考えないぶん
案外彼らの魂のほうがクリアなのかもしれません。
源氏物語に「六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)」
という女性が出てきます。
いいとこの未亡人ですが、プレイボーイの源氏くんを愛してしまいます。
源氏くんは女好きなので、あっちへふらふら、こっちへふらふら。
プライドずたずたで、キーッ!てなった六条さんは
怨念が生き霊となって
源氏くんの彼女たちを憑き殺してしまいます。
あの話をその頃知らなくて本当にホッとしています。
家庭に色恋の異臭がしている時って
本でもドラマでも、恋愛ものは精神的にキツいのです。
内容によっては身につまされたり
登場人物が全部夫と女性に思え
ことさら惨めな気分になるからです。
あの頃、この話を知っていたら
私は呪詛や黒魔術の方向へ一直線だったのではないかと思うのです。
くわばら、くわばら…
何の気なしに恋愛ものに触れられるのは
本当はとても幸せなことなのかもしれません。
知る必要が無くなったら
これがまたどうしたことか
知ってしまう状況に置かれるものです。
お金が欲しくてしかたがない時は恵まれず
どうでもよくなったら入ってくるのと同じです。
1年後、E子が四人目の赤ちゃんを産んだことを聞きました。
会社の繁忙期に短期アルバイトとして入った女性が
たまたまE子の幼なじみでした。
結婚して私たちが暮らす町に来たその女性は
私とE子の関係を何も知らないのですが
一緒に買い物に出かけた時
「友達の出産祝いを選んでほしい」
と言われ、話しているうちにわかりました。
「四人目だから、お金にしようかと思ったんですけど
品物なら、このまま送れるでしょ?
去年あたりから旦那さんが鬱病っぽくなっちゃって…。
そういうの苦手だから、家に行きたくないんです」
「ふ~ん…」
世間の狭さを改めて実感しながら、お祝いの品を選びました。
大きなドクロの絵が書いてあるTシャツを。
「あ、E子、ドクロ好きなんです~!
よくわかりましたねぇ!」
わかりますとも…オホホ…
その後も夫と会っていたのかどうかもわかりません。
知りたいという気持ちが無いからです。
愛情らしきものが残っているうちは、全部知りたい気持ちがありました。
どこでどうやって知り合ったのか…
女性とどこへ行き、何を食べたか…
どれだけ彼女を愛しているのか…
二人の交際を知らなかった頃からさかのぼって知りたくなります。
妙なプライドがそうさせるのか
とにかく何もかも知って、空白の部分を埋めておかないと
気がすまないのです。
知れば知ったで、また新しい苦しみの始まりです。
自分の未知の場所へ行ったと知っては
「私にそんなことをしてくれたことはない…」
と腹を立て
知っている場所へ行ったと知っては
「思い出を汚された」
と怒るのです。
そして、女性を憎んでもいい理由をまたひとつ、ふたつと
確保していきます。
頭の中には、一応人を憎んではいけないという立て札が立っています。
その立て札を引き倒しても無理はない…という状態にしたいわけです。
自分が納得するには
「こんなひどい目に遭った」と声を大にして言える事柄を
ひとつひとつ数え上げていくしかないのです。
思考のパターンは、無意識のうちに2対1になっていきます。
夫と女性VS自分…です。
今この瞬間も、夫と女性は赤い口を大きく開けて
自分をあざ笑っている…
そう思えてくる…思いたいのです。
知ればますます激しい憎悪が渦巻くのに
知らないままではすまされない。
でもわからないから想像する。
想像しては悶々と苦しみ、さらに深い淵に墜落。
それも今では懐かしい感情になりました。
こちらがあれこれ想像するまでもなく
案外、彼らは何も考えていません。
考えないから
妻子があってもよその女性のパンツを脱がせることが出来るし
考えないから
他人の旦那の前でパンツが脱げるのです。
それによって何人の人間が悲しむか…
発覚したらどうなるか…
いちいち考えていたら、不倫なんてできません。
いえ、決して非難ではありませんよ。
あらぬ想像をして人を憎み
絶望する姿を子供にさらしながら
洗剤をかけられたゴキブリのようにもだえ苦しむ自分のほうが
本能のままに密着したがる彼らよりも
本当は醜いのではないかと思うのです。
余計なことを考えないぶん
案外彼らの魂のほうがクリアなのかもしれません。
源氏物語に「六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)」
という女性が出てきます。
いいとこの未亡人ですが、プレイボーイの源氏くんを愛してしまいます。
源氏くんは女好きなので、あっちへふらふら、こっちへふらふら。
プライドずたずたで、キーッ!てなった六条さんは
怨念が生き霊となって
源氏くんの彼女たちを憑き殺してしまいます。
あの話をその頃知らなくて本当にホッとしています。
家庭に色恋の異臭がしている時って
本でもドラマでも、恋愛ものは精神的にキツいのです。
内容によっては身につまされたり
登場人物が全部夫と女性に思え
ことさら惨めな気分になるからです。
あの頃、この話を知っていたら
私は呪詛や黒魔術の方向へ一直線だったのではないかと思うのです。
くわばら、くわばら…
何の気なしに恋愛ものに触れられるのは
本当はとても幸せなことなのかもしれません。
知る必要が無くなったら
これがまたどうしたことか
知ってしまう状況に置かれるものです。
お金が欲しくてしかたがない時は恵まれず
どうでもよくなったら入ってくるのと同じです。
1年後、E子が四人目の赤ちゃんを産んだことを聞きました。
会社の繁忙期に短期アルバイトとして入った女性が
たまたまE子の幼なじみでした。
結婚して私たちが暮らす町に来たその女性は
私とE子の関係を何も知らないのですが
一緒に買い物に出かけた時
「友達の出産祝いを選んでほしい」
と言われ、話しているうちにわかりました。
「四人目だから、お金にしようかと思ったんですけど
品物なら、このまま送れるでしょ?
去年あたりから旦那さんが鬱病っぽくなっちゃって…。
そういうの苦手だから、家に行きたくないんです」
「ふ~ん…」
世間の狭さを改めて実感しながら、お祝いの品を選びました。
大きなドクロの絵が書いてあるTシャツを。
「あ、E子、ドクロ好きなんです~!
よくわかりましたねぇ!」
わかりますとも…オホホ…