「恥知らずが!死んでしまえ!」
おばさんは昔から夫をかわいがっていましたが
こんな一面があるとは知らなかったのです。
「あんたのとこは、みんなおかしい!
前の女の時だって、あんたの母親は
せっかく先生とつきあったんだから
できたら結婚させてやりたいなんてほざいた。
昔はあんな女じゃなかったのに!
狂ってるんだ!
キチ○イ一家だ!」
おばさんに襟首をつかまれたまま
夫はしばらくゆらゆらとゆすられていました。
「俺もどうしていいのかわからないんだよう…
帰ってほしいのは本当なんだ。
でも、今は女と別れたくないのも本当なんだ。
自分でも、どうにもならないんだ」
「それを断ち切るのが人間じゃないのかえ?
汚れた体で、よくもうちの敷居がまたげたもんだ!」
「…こいつが出て行ったとわかった時
お袋はこいつの茶碗を玄関で割ったんだよう」
「茶碗を…?」
葬式の時にやる、アレです。
「オレ、どうしていいかわからなくなって…
早く帰ってもらわないと、大変なことになるような気がして…」
「それで毎晩はるばる通ったってわけかい」
海千山千のおばさんも、さすがに驚いたようでした。
「そんな家へ、なおさらおめおめ帰らせるわけにはいかんね!」
子供たちの連休は明日で終わり。
住民票の移動や転校手続きは
落ち着き先が決まり次第、妹がしてくれることになっていました。
しかし、興奮したおばさんが気分が悪くなったため
そちらに気をとられている間に、夫は子供たちを誘い出しました。
「ジュースを買いに行こう」
それっきり、どこへ買いに行ったのやら、戻ってきませんでした。
連れ去られたのです。
いつの間に持ち出したのか、子供たちの荷物も無くなっていました。
うっそ~ん…
子供を取り返して強気になった義母は
翌日からジャンジャン電話をしてきました。
黙って家を出たことも怒っていますが
自分の親戚へ逃げ込まれたことで、さらに怒り狂っていました。
「とにかく帰って来るように。今なら謝れば許す」
そう言われて、はいそうですかと帰れるものではありません。
連日の押し問答のすえ
私は子供たちのところへ帰るきっかけを失ってしまいました。
しばらくは悔しさと子供に会いたさで泣いて暮らしていましたが
おばさんの勧めで、働くことになりました。
「子供は必ず取り戻せる。
今は気を紛らしながら、生活の基盤を作ってその日の準備をしなさい」
私はおばさんの紹介で
料亭の仲居として就職することになりました。
着物を着るのが大変な以外は
これまた面白く、毎日楽しく働きました。
毎日先輩のお姐さんに着せてもらうのが申し訳なくて
着付けもそのうち覚えました。
そのうち店の近所に手頃なアパートが見つかったので
そちらへ引っ越しました。
店には寮もありましたが
子供が訪ねて来た時に気兼ねのないように…
というおばさんのアドバイスでした。
九州に来てからも
子供の学校費用や、公共料金などが引き落とされる通帳は
ずっと管理していました。
夫に任せていると、すぐ引き出して引き落とし不能になるからですが
そのことが、自分と子供たちをつなぐ細い一本のラインに思えました。
子供たちから、時折手紙が届きました
子供の家庭教師が、夫に頼んでおばさんの住所を聞き出し
宛名を書いて子供の手紙を入れてくれたのでした。
住所変更したアパートに、その手紙が届いたわけです。
先生からの手紙には、返事を自分の住所に送るように…とありました。
「その手紙を勉強の時に僕がお子さんに届けます。
お子さんの手紙は僕が預かって、お送りします。
お子さんたちは心配いりません。
元気で過ごしていらっしゃいます。
でも、お母さんが必要です。
あのおうちは、他人の僕が言うのもはばかられますが
普通ではありません。
どうか一日も早く、お子さんたちを救い出してあげてください。
ご家族水いらずで暮らせる安らいだ日々が訪れますように」
長男からの手紙は…
「お母さん、どうか帰って来てください。
お父さんはもうだめです。
何かにたましいを食われているみたいです。
見捨てましょう。
この家で暮らすのが無理なことは
僕たちもよくわかっています。
一日も早く僕たちと三人で暮らしましょう。
待っています」
次男は私の顔の絵を描いてくれています。
心配とか、会いたいとか、そんな生やさしい言葉で表現できない
気も狂わんばかりの感情に、ただ泣くしかありませんでした。
その手紙を帯にはさんで、店にいる時はひたすら仕事に打ち込みました。
長男の受験が迫っていました。
私もまた、岐路に立っていました。
店が高級なせいか、お客さんは金持ちばかりで
バブルはとっくにはじけたとはいえ
その余波はまだ九州に届いていないかに思えました。
ひいきのお客さんの中に、ある企業の社長さんがいて
今度、系列店の一つとしてラウンジをやることになった…
ついてはそこの雇われママをやってみないかという
話が持ち上がっていました。
「遊びでやるのだから、気楽に来い…。
一生仲居でいるつもりか…」
マユツバの話で釣ろうとする人もよくいたのですが
それは正確な引き抜きの話です。
これを引き受ければ、子供を引き取って生活できます。
そんなに甘くはないかもしれませんが
また次のステップになる可能性もあります。
このことを手紙で子供に問うと
やはり九州でなく、こちらで暮らしたいということでした。
長男は、家から離れた高校を受験することに決めたと言ってきました。
「そうすれば、じいちゃんやばあちゃんは
遠くて意地悪ができないから安全です。
僕が絶対お母さんを守ります」
子供にこんなことまで心配させてはいられません。
ラウンジの話は、断りました。
おばさんは昔から夫をかわいがっていましたが
こんな一面があるとは知らなかったのです。
「あんたのとこは、みんなおかしい!
前の女の時だって、あんたの母親は
せっかく先生とつきあったんだから
できたら結婚させてやりたいなんてほざいた。
昔はあんな女じゃなかったのに!
狂ってるんだ!
キチ○イ一家だ!」
おばさんに襟首をつかまれたまま
夫はしばらくゆらゆらとゆすられていました。
「俺もどうしていいのかわからないんだよう…
帰ってほしいのは本当なんだ。
でも、今は女と別れたくないのも本当なんだ。
自分でも、どうにもならないんだ」
「それを断ち切るのが人間じゃないのかえ?
汚れた体で、よくもうちの敷居がまたげたもんだ!」
「…こいつが出て行ったとわかった時
お袋はこいつの茶碗を玄関で割ったんだよう」
「茶碗を…?」
葬式の時にやる、アレです。
「オレ、どうしていいかわからなくなって…
早く帰ってもらわないと、大変なことになるような気がして…」
「それで毎晩はるばる通ったってわけかい」
海千山千のおばさんも、さすがに驚いたようでした。
「そんな家へ、なおさらおめおめ帰らせるわけにはいかんね!」
子供たちの連休は明日で終わり。
住民票の移動や転校手続きは
落ち着き先が決まり次第、妹がしてくれることになっていました。
しかし、興奮したおばさんが気分が悪くなったため
そちらに気をとられている間に、夫は子供たちを誘い出しました。
「ジュースを買いに行こう」
それっきり、どこへ買いに行ったのやら、戻ってきませんでした。
連れ去られたのです。
いつの間に持ち出したのか、子供たちの荷物も無くなっていました。
うっそ~ん…
子供を取り返して強気になった義母は
翌日からジャンジャン電話をしてきました。
黙って家を出たことも怒っていますが
自分の親戚へ逃げ込まれたことで、さらに怒り狂っていました。
「とにかく帰って来るように。今なら謝れば許す」
そう言われて、はいそうですかと帰れるものではありません。
連日の押し問答のすえ
私は子供たちのところへ帰るきっかけを失ってしまいました。
しばらくは悔しさと子供に会いたさで泣いて暮らしていましたが
おばさんの勧めで、働くことになりました。
「子供は必ず取り戻せる。
今は気を紛らしながら、生活の基盤を作ってその日の準備をしなさい」
私はおばさんの紹介で
料亭の仲居として就職することになりました。
着物を着るのが大変な以外は
これまた面白く、毎日楽しく働きました。
毎日先輩のお姐さんに着せてもらうのが申し訳なくて
着付けもそのうち覚えました。
そのうち店の近所に手頃なアパートが見つかったので
そちらへ引っ越しました。
店には寮もありましたが
子供が訪ねて来た時に気兼ねのないように…
というおばさんのアドバイスでした。
九州に来てからも
子供の学校費用や、公共料金などが引き落とされる通帳は
ずっと管理していました。
夫に任せていると、すぐ引き出して引き落とし不能になるからですが
そのことが、自分と子供たちをつなぐ細い一本のラインに思えました。
子供たちから、時折手紙が届きました
子供の家庭教師が、夫に頼んでおばさんの住所を聞き出し
宛名を書いて子供の手紙を入れてくれたのでした。
住所変更したアパートに、その手紙が届いたわけです。
先生からの手紙には、返事を自分の住所に送るように…とありました。
「その手紙を勉強の時に僕がお子さんに届けます。
お子さんの手紙は僕が預かって、お送りします。
お子さんたちは心配いりません。
元気で過ごしていらっしゃいます。
でも、お母さんが必要です。
あのおうちは、他人の僕が言うのもはばかられますが
普通ではありません。
どうか一日も早く、お子さんたちを救い出してあげてください。
ご家族水いらずで暮らせる安らいだ日々が訪れますように」
長男からの手紙は…
「お母さん、どうか帰って来てください。
お父さんはもうだめです。
何かにたましいを食われているみたいです。
見捨てましょう。
この家で暮らすのが無理なことは
僕たちもよくわかっています。
一日も早く僕たちと三人で暮らしましょう。
待っています」
次男は私の顔の絵を描いてくれています。
心配とか、会いたいとか、そんな生やさしい言葉で表現できない
気も狂わんばかりの感情に、ただ泣くしかありませんでした。
その手紙を帯にはさんで、店にいる時はひたすら仕事に打ち込みました。
長男の受験が迫っていました。
私もまた、岐路に立っていました。
店が高級なせいか、お客さんは金持ちばかりで
バブルはとっくにはじけたとはいえ
その余波はまだ九州に届いていないかに思えました。
ひいきのお客さんの中に、ある企業の社長さんがいて
今度、系列店の一つとしてラウンジをやることになった…
ついてはそこの雇われママをやってみないかという
話が持ち上がっていました。
「遊びでやるのだから、気楽に来い…。
一生仲居でいるつもりか…」
マユツバの話で釣ろうとする人もよくいたのですが
それは正確な引き抜きの話です。
これを引き受ければ、子供を引き取って生活できます。
そんなに甘くはないかもしれませんが
また次のステップになる可能性もあります。
このことを手紙で子供に問うと
やはり九州でなく、こちらで暮らしたいということでした。
長男は、家から離れた高校を受験することに決めたと言ってきました。
「そうすれば、じいちゃんやばあちゃんは
遠くて意地悪ができないから安全です。
僕が絶対お母さんを守ります」
子供にこんなことまで心配させてはいられません。
ラウンジの話は、断りました。