ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

ハワイ行:幻のヒロ鉄道

2018年01月15日 | ハワイ:ハワイ島

ヒロから北上する州道19号線のハワイ・ベルトロード



かつての鉄道のルートでもありました。

ハワイ島にはハワイ・コンソリデーテッド鉄道という私鉄があり
サトウキビブームに乗って1899年に創業しました。


前身はヒロ鉄道といい、著名実業家ベンジャミン・ジリンハムが
自身のサトウキビ・プランテーションとヒロ港を結ぶために
ヒロ南部に鉄道を建設したのが始まりでした。


南部路線はサトウキビ需要に支えられて順調に発展したものの、
その転機は1907年に訪れます。


ジリンハムたち実業家は国と州にヒロ港の防波堤建設を陳情し、
その見返りとしてヒロ鉄道はヒロ北部の鉄道建設を命じられます。


このハマクアコーストに沿って北上する北部路線は



3本のトンネル、35本の木造や鉄筋の構脚橋を必要とし
 


建設当時、単位当たりの建設費が世界最高だったとか

ラウパホエホエの先、パアウイロというところまで建設されたよう。


その頃はNZでも盛んに鉄道建設が進んでいたので

建設現場の様子がそっくりで、難工事ぶりがうかがえます。
当時の技術の粋を集めて危険な作業が続いたのでしょう。


ヒロ鉄道は建設費負担に耐え切れず、1914年に経営破たんし、
ハワイ・コンソリデーテッド鉄道として再編されました。


新会社にとっても北部路線は非常にお荷物だったものの
観光鉄道として人気を博し、サトウキビ輸送の需要もあり
第二次世界大戦中は特需もあり、経営は急速に改善しました。


鉄道に平行していたカメハメハ・アベニュー



今も残る古い建物に当時の繁栄がしのばれます。



終戦を迎え、莫大な借金から立ち直った絶好のタイミングに
1946年のエイプリルフールデー津波が島を襲います。
構脚橋が壊滅的被害を受け、鉄道は廃業を余儀なくされます。

(※流されてしまった鉄道橋)


折りしも鉄道輸送が道路輸送に取って代わられる時期でもあり
鉄道跡の一部が今日(こんにち)のハワイ・ベルトロードに
なっていることにも時代の変遷を感じます。

(※鉄道橋が撤去され、ベルトロードに)


鉄道と引き換えに建設された防波堤。

これがなかったらヒロの被害はもっと甚大だったと言われ
防波堤は今でも残り、鉄道は消えました。


あの日、水平線の向こうから津波が来なかったら

ヒロはどうなっていたのか?


1960年の津波の方がもっと大きかったしモータリゼーションの中、

いずれにしてもヒロ鉄道は幻となる運命だったのでしょう。


次回はぜひ、ラウパホエホエ鉄道博物館に行ってみましょう。


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