昨年の暮れ、私は3年ぶりに
日本を訪れていました。コロ
ナの渦中に亡くなった父の墓
参りと、特養にいる母の面会
のためでした。しかし、母自
身がちょうどコロナに感染し
面会はかないませんでした。
父方のいわば本家である父の
妹が住む家を訪ねているとき
「みこちゃんはNZでアパート
経営なんかしていて、なかな
かしっかりしてるんだ、って
お兄さんが言ってたわよ。」
滅多に人を評価しない父にし
ては珍しいなと思っていると
「あれで男だったら頼もしか
ったのにって言ってたわ。」
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初夢のガム売りの少女と同じ
6、7歳頃の私は母から執拗に
「出て行け出て行け」
と追い詰められていました。
それが私の存在を消そうとし
ている言葉であることを感覚
的に理解していた私は、母本
人よりも、家という居場所を
奪われ、消されようとするこ
とを本気で恐れていました。
そんなときでも父は見て見ぬ
ふりで何も言わず、父の沈黙
もまた恐ろしいものでした。
母が私の存在を否定し続けた
のは、長男の嫁でありながら
跡継ぎの男子を生めなかった
からだと確信したのは、自分
が50歳に近づいた頃でした。
では、沈黙を押し通した父は
どう考えていたのでしょう。
長年の疑問の答えは、本人が
鬼籍に入った後に叔母の言葉
を通じてもたらされました。
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愛のない寒々とした家庭どこ
ろか、見た目には何の問題も
親の落ち度もなく見える状況
こそが、子どもにとっては辛
く、救いのないものでした。
救いのなかった7歳の自分を
還暦の自分が夢で癒している
と、同じ少女が出て来た夢、
競馬場の盗人で思いましたが
親がいなくても他人から愛を
注がれ逞しく生きている夢の
中の7歳の自分こそが、実は
還暦の自分を癒しているのだ
と気づきました。私の還暦は
あと1ヵ月で終わります