ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

回想⑩ 2月9日、京都朝中高と北大阪初中を訪問しました。

2013-12-17 21:51:36 | イベント

  朝6時50分に家を出ました。出町柳行きの車窓から朝日が見えました。





 8時半京都のウリハッキョに到着しました。昨晩の残雪がとても美しく校舎を照らしていました。







 朗読会に招かれたのですが早く到着したため図書室で待たせていただきました。とても整頓されていてこの学校の基本姿勢を見た気がしました。

























 在米の研究生キョンヒさんも一緒です。





 朗読会~あなたへの想いを言葉にのせて~が始まりました。















































 朗読の最後に私の朗読と詩創作の指導をされた河津さんの感想発表がありました。

 私は昨日の奈良での集会のパンフレットの表紙に京都朝高の卒業生が書いた詩「私たちにあるもの」が登用されていたことを紹介し、まずはその詩を朗読しました。





 そして、この詩にあるようにどんな困難にも打ち勝ち「「明るく眩しい未来」を信じて共に頑張ろうと訴えました。

 自作詩は「愛しい卒業生たちよ」を心を込めて朗読させていただきました。





 一番最後に河津さんが2年間を振り返りながら感無量な面持ちで学生たちの作品の素晴らしさをお話してくれました。




 本日の催しの立役者金先生です。表に出るのをとても嫌がられる方ですが、とても情熱的で、緻密で、繊細で還暦の今日まで民族教育一筋に生きてこられた素晴らしい先生です。



 校長先生を囲んで記念撮影です。




 担任をされている金先生のホームルームが終わるのを待って4人で食事に行きました。歩いて行ける場所に、とても素敵な喫茶店があるというのです。

 学校前の坂をひたすら降りて行きました。京都名物の人力車がこんな細い道にも通っていました。







 喫茶店到着、本当に品があり落ち着きのある喫茶店です。「カフェ ポティロン」意味を聞くのを忘れました。





 全員が違うものを頼みました。私はビーフシチュー定食を頼みました。とても美味しくてもう一度行きたいと思いました。

 美味しい、おいしいを連発していたら品の良い店主(女子)がケーキをごちそうしてくれました。ラッキー!







 春に桜を見によく来た「哲学の道」を通りバス停に行きました。阪急電車に乗って北大阪の学校に行くためです。名残惜しかったけど次はうちで3月にお好み焼きパーティをする約束をしてバスに乗り込みました。


 


 2時半母校北大阪に到着しました。2月23日に行われる学校創立55周年記念公演の1幕で6年生の皆さんと共演するので、その練習をするために約束してあったのです。






 4時半練習が終わり次は18日に合同練習をする約束をして家に帰りました。

 家ではユナがハルベと仲良くお留守番をしていました。ユナは連休明けから学校に行きます。とても嬉しい1日でした。

 
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回想⑨ 1月26日 「PUM民族舞踊学院 第4回卒業記念公演」が行われました。

2013-12-17 21:34:32 | イベント
 1月26日 「Pum民族舞踊学院 第4期卒業記念公演」が行われました。

 オープニングは「学院舞踊基本動作」でした。全員が白いチマチョゴリに身を包み優雅に、軽やかに踊りました。

 初等科、予備科、専門部とオッコルムの色で区別されていました。





















 指さきにまで神経が行き届きうっとりさせてくれました。なんとしなやかなのでしょう。昨年より水準が上がったように感じました。

 第1部は初等科の舞台です。みなそれぞれに個性がありました。


 2.「ペレンイの舞」








 3.「花靴」振付 高佳恵・宋英愛








 4.「駒の舞」








 5.「長太鼓と鈴」








6.「花と蝶」








 「花と蝶」 懐かしい作品です。共和国人民俳優 キム・ラギョン先生の作品です。宋英愛さんが学院を創立する前、企画した「若いアーチ―ストたちの公演」開催の時、初級部だった(現 金剛山歌劇団舞踊手)コ・ファリョンさんが特別出演したときの感動が蘇りました。

 「Pum」公演の趣旨に賛同した私は宋さんの意向を組み公演のナレーションを書き、影マイクで出演させていただいたのです。あれからもう7年の月日が流れたのですね。苦労を重ねながら、5年間祖国を往来し音楽舞踊大学の鞍舞科を卒業した後、彼女が一番初めにしたことは、全国の通信大学卒業生たちの花舞台を企画することでした。

 自分のためだけに企画したのなら私は一人の観客で終わっていたことでしょう。でも彼女の真心に触れ応援させていただいたのです。

 彼女は舞踊手としても十分華やかな経歴と実力を持っています。でも按舞家の道を選びました。まだまだ舞台に立てる若い頃、すでに自分の進むべき道を選択した彼女を素晴らしいと思います。(でも本音はまだまだ舞台でも踊ってほしい)

 1部の最後です。京都から毎週通っている初等科の子供さんです。


 7.「ムルトンイの舞」








 
  第2部は予備科と専門部の出演です。


 1.「歓喜」 振付 宋英愛






 2.「太鼓の舞」








 3.「機織る乙女」










 4.「鈴の舞」












 5.「パラの舞」振付 宋英愛










 6.「長太鼓の舞」












 第3部です。

 すべての受講生の再出場です。

 1.「振り太鼓の舞」






 2.「貝を採る乙女たち」








 3.特別出演 「鈴の舞」第3期卒業生










 第3期卒業生鄭宝物さんは 海外審査を通過し、さる7月ソウルで行われた「第9回ソウル国際舞踊コンクール」において

 セミファイナル、ファイナルで高く評価されて朝鮮舞踊として初の3位入賞となったそうです。


 4.「幸せの響き」振付 宋英愛
















 5.卒業作品 「若き舞姫」










 6.卒業作品 「長太鼓の舞」
















 フィナーレです。3部の作品のクライマックスシーンが再演されながら、すべての受講生が最後の挨拶をします。


 










 宋英愛、李南景指導員が卒業生と一緒に登場です。一言の挨拶も無いけれど十分彼女たちの気持ちが伝わりました。

指導員の李南景さんは中級部の時の教え子です。

 中3の時の作文の時間に、すでに自分は舞踊指導員になるのが希望だと宣言していました。

 舞踊家になりたいと書く生徒は大勢いるけれど指導員になりたいと書いたのは彼女が初めてだったので覚えていました。

李さんも祖国での通信大学を卒業し、指導員の道をまっしぐらに駆けています。




 卒業生二人が卒業に際し感謝の言葉を述べます。







 卒業生の朴さんは、今回の出場者の中で唯一の教え子です。金剛団歌劇団に入団することになったことも報告しました。

 おめでとう、がんばってね。今大変な時期だけど、後輩たちがいつもあなたを見つめていますよ。




 卒業生の後ろで拍手を送る英愛さん、今回創作された作品すべて素敵でしたよ。

 受講生全員が光りましたよ。全員が主人公になった素晴らしい舞台でした。

 これからも今の姿勢を忘れることなく頑張ってくださいね。応援しています。

 (2014年1月7日に第5回卒業記念公演が行われるそうですよ。是非お出かけくださいね。)









 余談ですが、宋英愛さんは2012年10月7日結婚されました。その時、僭越ながら祝辞を述べさせていただきました。お幸せに!

                     



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回想⑧  詩誌「チョンソリ―鐘の音」53号に自作詩が2編紹介されました。

2013-12-17 21:08:08 | 詩・コラム
  詩誌「チョンソリ」53号に自作詩が2作掲載されました。「園芸師」、「この坂道を上れば」です。再掲いたします。



 

  「원예사」

-고 김희려화가의 회고전에서-

  
그 작은 몸매에
그 애기같은 눈망울에
어쩌면 그런 큰 힘이 숨었는지

<백름>
이름 그대로 름름한 그대여
사랑의 원예사여

1세 화가의 그림 통해
재일동포의 삶을 되살리고싶다고
후세들에게 그 정신 전하고싶다고

그대가 구상하고 소중히 가꿔온
금강석같은 5년의 나날을
가슴 울렁이며 바라봅니다

그대가 해빛을 부르고
그대가 물을 주지 않았더라면
결코 꽃피울수 없었던 오늘의 <회고전>

살아 움직이는듯한 화폭들
<밀항>, <4.19>, <니이가다부두>, <원산항>┅
투쟁속에서도 웃음을 안잊던 1세의 넋

80여년 파란만장한 1세화가의 인생이
눈부신 빛을 뿌리며 소생하였습니다
작은 사랑이 피워낸 크나큰 꽃입니다




    「園芸師」

―故 キム・ヒリョ画伯の回顧展にてー
 

その小さな体に
その幼子のような瞳に
こんな大きな力が潜んでいたなんて

「白凛」
名前の如く凛々しいあなた
愛の園芸師よ

一世画家の絵を通じ
在日同胞の生きざまを蘇らせたいと
四世五世にその想いを伝えたいと

あなたが 想いを馳せ 大事に育てた
ダイヤモンドのような5年の日々を
胸躍らせながら しっかり見つめます

あなたが陽光を呼び寄せ
あなたが水を注がなければ
花開くことのなかった 今日の「回顧展」

いまにも動き出しそうな画幅の数々
「密航」、「4・19」、「新潟埠頭」、「元山港」┅
闘いの中にもユーモアを忘れなかった一世の魂

80数年 波乱万丈 一世画家の人生が
眩い光を放ちながら 蘇生したのです 
小さな愛が咲かせた 大輪の花です





「この坂道を上れば」
    
 

この坂道を上れば
希望が見えると信じ

雨の日も
風の日も

カンカン照りの日も
警報が鳴り響いた日も

毎週 向かった 府庁前に
当然な学びの権利を取り戻すため

息を切らせ ハァハァ言いながら
老体に鞭打ち 自転車を走らせた
 
この坂道を上りきれば
未来が開けると信じ

1,2 1,2 心に声掛けながら
一生懸命上った ペダルを踏み続けた

道のりは遠い
上っても 上っても

終点が見えない
でも上り続けなければ

希望を捨てることはできない
未来を閉ざすことはできない

大勢の仲間たちの声が聴こえる
早くおいでと呼んでくれる

その声に励まされ その声を信じ
今日も果てしない坂道を上る



「이 비탈길을 오르면」

       
이 비탈길을 오르면
희망이 보일거라고

비오는 날에도
바람 부는 날에도

뙤약볕 쨍쨍한 날에도
경보가 울린 날에도

주마다 향했다 부청앞으로
당연한 배움의 권리를 되찾자고

숨이 차서 헐떡거리면서도
늙은 몸에 매질하며 자전거를 몰았다

이 비탈길을 오르기만 한다면
미래가 펼쳐질거라 믿으며

하나 둘,하나 둘 마음으로 부르며
있는 힘껏 올랐다 페달을 돌리였다

가는 길은 아득하다
올라도 올라도

끝이 안 보이는구나
그래도 올라야 한다

희망을 버릴수는 없다
미래를 닫아걸지는 못한다

숱한 친구들의 소리가 들린다
어서 오라 손저우며 불러준다

그 소리에 힘을 얻고 그 소리를 믿어
오늘도 끝없는 비탈길을 오른다
   
              

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回想⑦ 1月28日 近畿歌舞団の皆さんとウリマルの基礎発音の訓練をしました。

2013-12-17 20:57:48 | 日記



  昨年(2012年)から始まった歌舞団員たちとの基礎発音の練習。


  退職して時間が出来たら、歌舞団のトンムたちと一緒にウリマルの勉強がしたいなぁという長年の希望が叶ったので、とても待ち遠しい日です。




 
  大阪、京都、兵庫、東海(愛知)歌舞団の声楽部の皆さんが年に何回かいろんなジャンルの合同練習をしています。

  歌舞団も段々人数が減り、大阪も今は7人、兵庫、京都、東海は3人ずつしかいません。でも彼女、彼達は1人で10人分働きます。

  舞台ではきれいな衣装に身を包み、一見華やかに見えますが、大きなイベントがあるたび黒いTシャツ、ジャンバーに身を包み、汗水流しながら裏方に徹します。結婚式場、集会、慰安旅行、祝賀宴、どこでも同胞が呼んでくれるところには出かけます。

  同胞生活とは切っても切れないのが歌舞団です。歌い、踊り、喋らなければなりません。

  喋るためには世の中の情勢を誰よりも早く正確にキャッチし、それを言葉で表現しなければなりません、そのためには正確に、流暢にしゃべることのできる話術が必要です。そのための基礎練習です。








  基礎発音練習と朝鮮の昔話を教材に使い表現の練習もしました。彼女たちの美しい声を聴いているとうっとりします。

  この頃はウリマルで喋るより日本語でしゃべらなければならない場面が多くなっているので、意識的にウリマルを使う演目や場面を入れてほしいといろんな例を挙げてお話しました。「3分間クッキング」じゃないけれど「3分間ウリマルコーナー」などを作って日常用語をウリマルで教えたり、短い民話などを紙芝居なんかでさらりと演目に入れては?とアドバイスしました。

  美しいウリマルは必ず人々の心に伝わります。そのためにはピアニストが365日レッスンをするようにウリマルの基礎練習をせねばなりません、使わなければなんでも退化ていくのです。

  今日は練習の合間に私自身が若いころどのような方法でウリマルの勉強をしたかということをお話しました。そんな予定はなかったのですが、歌舞団員たちの愛おしい顔を見てい居たら、がんばってほしい、ウリマルをもっともっと大衆化してほしいという願いが込み上げ知らぬ間にお話していました。




 
  さぁ、次はいつかなぁ?待ち遠しいです。歌舞団のトンムたち頑張ってね。いつも応援しています。




 19才の時の私です。信じないでしょうけど歌舞団の舞踊手でした。東中の竣工式の日、運動場で「太鼓の踊り」を踊ってお祝いしました。
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回想⑥ 1月21日 詩「初恋」を再掲いたしました。

2013-12-17 20:45:42 | 詩・コラム
 
   母校ー北大阪朝鮮初中級学校学校創立50周年の記念に「初恋」という詩を書かせていただきました。





  「 初恋 」
        

走る新幹線が見渡せ
街路樹が立ち並ぶ上新庄の一角に
高くそびえ立つ わたしの母校
創立50周年を祝し 賑わう母校で

45年ぶりにあった昔の友人から
セピア色の 写真を 5枚
そっと 手渡された
「好きでした」の 一言 添えて

どきどきする胸 高鳴る胸
瞬時に舞い戻った わたしの中学時代
甘酢っぱい想いが 胸いっぱい広がった

保護者たちがプールを作ってくれた日
学校中が歓声に沸き立った日
虹色の衣装に 花飾り 頭につけ
楽しげに 農楽を踊る 私がいる

照れるなぁ 水着姿の わたし
級友たちと海辺にずらりと寝そべり
満天の星空を見上げた忘れられない日
淡路島キャンプ場の 更け行く夜

卒業旅行で向かった新潟の埠頭
生まれて初めて眺めた《祖国》の姿
セーラ服姿の 15歳のわたしが
はにかみながら笑ってる 船の中で…

思いがけず戻ってきた 5枚の写真
色は褪せ 白黒だけど
45年の空白を 埋めつくし
天然色の追憶を蘇えらせてくれた

まさしく 初恋だった
いさかうほどに深まった友情も信頼も
進むべき道を諭してくれた恩師との出会いも
すべて 抱かせてくれた 大切な学び舎

この地で芽ばえた 愛の種は
学校への愛、同胞への愛、祖国への愛になり
母校の前に胸をはって 凛と立つ
限りない喜びを花咲かせてくれた

初恋のさわやかな思い出と共に
永遠にこの胸に抱き続ける 学びのゆりかご
有り難う ウリハッキョ わたしの根っこよ
北大阪朝鮮初中級学校よ!

 ―学校創立50周年の日に―
  
*2007年 作 (2012年1月13日 訳)
*写真をくれた友人が2010年7月5日帰らぬ人になりました。


 「첫 사랑」
           

달리는 新幹線이 바라보이는 
가로수 설레이는 上新庄복판에
우뚝 솟은 나의 모교
쉰돐잔치로 흥성흥성 들끓는데

45년만에 만난 옛친구
빛이 다 날아진 사진 다섯장
조용히 내손에 넘겨주었네
좋아했었다는 한마디 말과 함께

두근거리는 가슴,울렁이는 가슴
순식간에 되돌아온 나의 중급시절
애틋한 정이 가슴가득 넘쳐나네

학부모들 힘모아 수영장 꾸려준 날
온 학교가 들썩하게 터져나온 환성
색동어깨띠 두르고 머리꽃 꽂아
얼싸좋다 농악무 추는 내가 있네

쑥스럽구나 수용복차림의 나
동무들과 바다가에 나란히 누워
별무리 올려다본 잊지 못할 감격
淡路島야영장에 깊어간 밤이여

졸업려행으로 향한 新潟부두
난생처음 바라본 ≪조국≫의 모습
세라복 입은 열다섯살의 내가 
수줍은듯 웃는구나 조국의 품안에서

뜻밖에 돌아온 다섯장의 사진
색갈은 바래고 흑백이여도
45년의 공백을 메우며 채우며 
천연색의 추억을 되살려주었구나

정녕 첫 사랑이였어라
다툴수록 깊어진 우정도 믿음도
내 갈 길 깨우쳐준 스승과의 만남도
고스란히 안겨준 소중한 보금자리

여기서 움터난 사랑의 씨앗은
학교사랑,동포사랑,조국사랑되여
모교앞에 떳떳이 설수 있는
한량없는 기쁨을 꽃피게 하였거니

첫 사랑의 살뜰한 추억과 더불어 
영원히 안고살 배움의 요람
고맙구나 우리 학교 나의 뿌리여
기따오사까조선초중급학교여!

 -학교창립 쉰돐의 뜻깊은 날에-
        
         2007년



 
 


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