訃報です。
姜輝鮮朝鮮舞踊研究所・舞踊団Narusae(飛鳥)主宰の姜輝鮮先生が高血圧心疾患によりご自宅でお亡くなりになりました。享年72歳。
通 夜: 1月17日〈火〉19時~
告別式: 1月18日(水)10~11時
場 所: 統国寺(天王寺区茶臼山1-31)
高校1年生の時から53年間お付き合いさせていただいた教え子として、今までブログで紹介しました先生に関連した発表会の記事を再掲いたします。
X X X X X
去る8月25日、午後6時半よりクレオ大阪中央の大ホールで、カンフィソン朝鮮舞踊研究所の第34回目の発表会が行われました。舞台の裏で司会及びナレーションを担当していたのでリハーサルの舞台袖の写真と、最後の挨拶の写真しかありませんが、正面からの写真は藤井幸之助さんのFBの写真をいただきました。雰囲気だけでも味わってくださいね。
フィナーレでのカンフィソンさんの感謝のご挨拶
リハーサルのはじめに戻りますね。
お昼の1時に会場到着、真っ白な雲が迎えてくれました。
2時からリハーサルです。
本番前、子どもたちの緊張を解いてあげようと先生も一生懸命です。
途中から写真を撮りました。ピンぼけですが、、、
一部のリハーサルが終わり10分間の休憩です。
2部は舞踊組曲「心の舟歌」全7場です。尼崎の康沈哲先生が1場・7場の作曲をしてくださいました。
1部は演目の紹介が主なのでそんなに神経を使わなくても良いのですが、2部はそういうわけにはいきません、1か月前からずっと考えました。カン先生はこの舞踊組曲を通して何を言いたいのだろうと・・・
リハーサル前にも子どもたちの練習風景を2回も見に行きました。今までのプログラムも全て読み、先生がなんのために舞踊研究所を日本で初めて設立し今日までの36年間頑張ってこられたのかを表現せねばなりません。ただ海外公演をこんなにしましたよ。という宣伝のために2部があるのではありません。
カン先生はいつも仰います。「私は舞台裏のことまで心配せずに舞踊指導に専念したい、だから自分の言いたいことを全て知っていてくれる呉光雨さんに舞台監督をお願いし、司会進行・及びナレーションをあなたにお願いしたいの」と・・・
老体に鞭打ちながら、痛い足に針をうちながらも発表会を成功させるため研究生を叱咤激励されている先生を見ながら、私も頑張らねばと何回お思ったか知れません、書いては消し、消しては書きを何度繰り返したか知れません。先生は何も要求されません。私に全てを任せておられます。
リハーサルを終えたとき、やっとつかめました。先生の想いを・・・リハーサルを終え、又原稿を書き替えました。自分が納得できるまで、そして迎えた本番でした。
統一の花ーイムスギョン
青い鳥
リハーサルが終わりました、あと2時間で本番です。緊張が走ります。
楽屋に行くと、カメラマンが待っていました。
映像作家の崔先生です、江原道から来られました。
リハーサルでの私のナレーションを聞いて、オモニ(母)を思い出したと言って楽屋に来られたのです、6.25以前ご両親は元山に住んでおられたそうで越南されたあと崔さんが生まれたそうです。
崔先生は若い頃大阪芸大の影像科に留学されていたこともあり日本語も堪能です。
初対面なのに、高銀先生の詩集をプレゼントしてくださいました。コマッスムニダ。
いよいよ本番です。藤井さんのお写真を戴きました。私は司会進行とナレーションにだけ集中しました。
第2部の解説 「舞踊組曲”心の舟歌“全7場”」の1部分を掲載いたします。
「10年経てば山河も変わる」というウリナラの諺がありますが,3度も山河が変わるほどの長い歳月が過ぎ去りました。
思い起こせば1980年5月、「姜輝鮮朝鮮舞踊研所」という小舟が鶴橋という港から出港しました。たった15名の研究生を乗せ、「舞う、舞い上がれ、ひとつになるまで」という民族統一へのメッセージを掲げ、右にも左にも進んでいく方向がわからず只ひたすら櫓をこぎ出しました。
途中何度も大きな風波や襲ってくる嵐をまともに受けつつ、それでもめげずに必死の思いで、ひたすら櫓をこぎ続け、数千人の人々を乗せたりおろしたりしながら今日に至りました。
初海外公演―中国公演〈1990年)・・・
アメリカ公演〈1993年)・・・
1995年8月、ついに母なる祖国―平壌での公演が実現しました。・・・
平壌のあとは何処に‽ そうです。南、済州島での公演が実現しました。〈2006年)
私たちは済州島公演で統一の花‐リム・スギョンの雄々しい姿を表現した「白頭からハンラまでの想い」を舞台に上げました。・・・
済州島公演の次の年、私たちは待ちに待ったソウルでの公演を実現しました。
ソウルでは公演もさることながら、幼き研究生たちと共に38度線の統一閣まで行った際に、わが民族の最大の悲劇で或る分断の現実を目の当たりにする機会がありました。これも、研究生たちにとって、これからの自分たちの進む道しるべの助けになると思います。
誰に言われたわけでもないのに研究生たちはリムジンガンの前で、2年前に舞台に上げた舞踊組曲「青い鳥よ、私の想いを届けておくれ」で踊ったように両手を広げ、鳥になって涙しながら「リムジンガン」を歌いました。3世、4世達の心に祖国統一の想いは間違いなく伝わっている!感動の瞬間でした。・・・
たとえ分断されていようとも祖国があったからこそ、両親の慈しみと民族教育があったからこそ、民族意識をしっかり持ち、私たちは小舟での航海を続ける事が出来ました。
これからも私達を取り巻く状況は厳しいと思いますが、「舞う、舞い上がれ、ひとつになるまで」の初心を忘れず統一祖国に向かって航海を続けていきたいと思います。
発表会が終ったあといろんな方からの感想がパソコンに送られてきていました。おひとりだけ紹介いたしますね。「ハルモニ会」の木村さんです。
「ニョニョさん、こんばんは
とても素敵な舞踊に招待いただき本当にありがとうございました。
ニョニョさんの朗読も迫力があってすばらしかったです。
第一部ではかわいらしい舞踊、勇壮な舞踊、珍しい楽器を使った舞踊などいろいろあってどれも興味が尽きませんでしたが、特に心に残ったのは「折り鶴に願い託して」でした。
少女たちと折り鶴たちがそれぞれに「38」で分断され、それでも折り鶴たちが懸命に飛び回ってついに「38」を壊してしまうところが感動的でした。
第二部はさらにどの踊りもドラマを感じました。踊りはもちろんのこと、演技や表情がとてもすばらしかったと思います。
兄にからかわれてふくれっ面をしていた弟が、兄の演奏につい踊り出してしまう情景にほのぼのしたものを感じました。
かわいらしい春香の首に枷がかぶせられて心配し、ハッピーエンドにほっとしたり、楽しそうな電車ごっこにうきうきしたりしました。
ここも一番心に染みたのは、「白頭からハルラまでの想い」でした。いつも火曜行動で演奏している曲が流れ、せりふがなくてもその想いが聞こえてくるような気がしました
。
青い鳥は息子から母への手紙を託されていたのですね。そのことがわかったときも、感動的でした。
本当にすばらしい舞台をありがとうございました。
はじめは今度の火曜日にお会いしたときに話そうと思ってたのですが、ついつい書かずにいられなくなってしまいました。」木村
故 姜輝鮮先生のご冥福を心からお祈りいたします。
姜輝鮮朝鮮舞踊研究所・舞踊団Narusae(飛鳥)主宰の姜輝鮮先生が高血圧心疾患によりご自宅でお亡くなりになりました。享年72歳。
通 夜: 1月17日〈火〉19時~
告別式: 1月18日(水)10~11時
場 所: 統国寺(天王寺区茶臼山1-31)
高校1年生の時から53年間お付き合いさせていただいた教え子として、今までブログで紹介しました先生に関連した発表会の記事を再掲いたします。
X X X X X
去る8月25日、午後6時半よりクレオ大阪中央の大ホールで、カンフィソン朝鮮舞踊研究所の第34回目の発表会が行われました。舞台の裏で司会及びナレーションを担当していたのでリハーサルの舞台袖の写真と、最後の挨拶の写真しかありませんが、正面からの写真は藤井幸之助さんのFBの写真をいただきました。雰囲気だけでも味わってくださいね。
フィナーレでのカンフィソンさんの感謝のご挨拶
リハーサルのはじめに戻りますね。
お昼の1時に会場到着、真っ白な雲が迎えてくれました。
2時からリハーサルです。
本番前、子どもたちの緊張を解いてあげようと先生も一生懸命です。
途中から写真を撮りました。ピンぼけですが、、、
一部のリハーサルが終わり10分間の休憩です。
2部は舞踊組曲「心の舟歌」全7場です。尼崎の康沈哲先生が1場・7場の作曲をしてくださいました。
1部は演目の紹介が主なのでそんなに神経を使わなくても良いのですが、2部はそういうわけにはいきません、1か月前からずっと考えました。カン先生はこの舞踊組曲を通して何を言いたいのだろうと・・・
リハーサル前にも子どもたちの練習風景を2回も見に行きました。今までのプログラムも全て読み、先生がなんのために舞踊研究所を日本で初めて設立し今日までの36年間頑張ってこられたのかを表現せねばなりません。ただ海外公演をこんなにしましたよ。という宣伝のために2部があるのではありません。
カン先生はいつも仰います。「私は舞台裏のことまで心配せずに舞踊指導に専念したい、だから自分の言いたいことを全て知っていてくれる呉光雨さんに舞台監督をお願いし、司会進行・及びナレーションをあなたにお願いしたいの」と・・・
老体に鞭打ちながら、痛い足に針をうちながらも発表会を成功させるため研究生を叱咤激励されている先生を見ながら、私も頑張らねばと何回お思ったか知れません、書いては消し、消しては書きを何度繰り返したか知れません。先生は何も要求されません。私に全てを任せておられます。
リハーサルを終えたとき、やっとつかめました。先生の想いを・・・リハーサルを終え、又原稿を書き替えました。自分が納得できるまで、そして迎えた本番でした。
統一の花ーイムスギョン
青い鳥
リハーサルが終わりました、あと2時間で本番です。緊張が走ります。
楽屋に行くと、カメラマンが待っていました。
映像作家の崔先生です、江原道から来られました。
リハーサルでの私のナレーションを聞いて、オモニ(母)を思い出したと言って楽屋に来られたのです、6.25以前ご両親は元山に住んでおられたそうで越南されたあと崔さんが生まれたそうです。
崔先生は若い頃大阪芸大の影像科に留学されていたこともあり日本語も堪能です。
初対面なのに、高銀先生の詩集をプレゼントしてくださいました。コマッスムニダ。
いよいよ本番です。藤井さんのお写真を戴きました。私は司会進行とナレーションにだけ集中しました。
第2部の解説 「舞踊組曲”心の舟歌“全7場”」の1部分を掲載いたします。
「10年経てば山河も変わる」というウリナラの諺がありますが,3度も山河が変わるほどの長い歳月が過ぎ去りました。
思い起こせば1980年5月、「姜輝鮮朝鮮舞踊研所」という小舟が鶴橋という港から出港しました。たった15名の研究生を乗せ、「舞う、舞い上がれ、ひとつになるまで」という民族統一へのメッセージを掲げ、右にも左にも進んでいく方向がわからず只ひたすら櫓をこぎ出しました。
途中何度も大きな風波や襲ってくる嵐をまともに受けつつ、それでもめげずに必死の思いで、ひたすら櫓をこぎ続け、数千人の人々を乗せたりおろしたりしながら今日に至りました。
初海外公演―中国公演〈1990年)・・・
アメリカ公演〈1993年)・・・
1995年8月、ついに母なる祖国―平壌での公演が実現しました。・・・
平壌のあとは何処に‽ そうです。南、済州島での公演が実現しました。〈2006年)
私たちは済州島公演で統一の花‐リム・スギョンの雄々しい姿を表現した「白頭からハンラまでの想い」を舞台に上げました。・・・
済州島公演の次の年、私たちは待ちに待ったソウルでの公演を実現しました。
ソウルでは公演もさることながら、幼き研究生たちと共に38度線の統一閣まで行った際に、わが民族の最大の悲劇で或る分断の現実を目の当たりにする機会がありました。これも、研究生たちにとって、これからの自分たちの進む道しるべの助けになると思います。
誰に言われたわけでもないのに研究生たちはリムジンガンの前で、2年前に舞台に上げた舞踊組曲「青い鳥よ、私の想いを届けておくれ」で踊ったように両手を広げ、鳥になって涙しながら「リムジンガン」を歌いました。3世、4世達の心に祖国統一の想いは間違いなく伝わっている!感動の瞬間でした。・・・
たとえ分断されていようとも祖国があったからこそ、両親の慈しみと民族教育があったからこそ、民族意識をしっかり持ち、私たちは小舟での航海を続ける事が出来ました。
これからも私達を取り巻く状況は厳しいと思いますが、「舞う、舞い上がれ、ひとつになるまで」の初心を忘れず統一祖国に向かって航海を続けていきたいと思います。
発表会が終ったあといろんな方からの感想がパソコンに送られてきていました。おひとりだけ紹介いたしますね。「ハルモニ会」の木村さんです。
「ニョニョさん、こんばんは
とても素敵な舞踊に招待いただき本当にありがとうございました。
ニョニョさんの朗読も迫力があってすばらしかったです。
第一部ではかわいらしい舞踊、勇壮な舞踊、珍しい楽器を使った舞踊などいろいろあってどれも興味が尽きませんでしたが、特に心に残ったのは「折り鶴に願い託して」でした。
少女たちと折り鶴たちがそれぞれに「38」で分断され、それでも折り鶴たちが懸命に飛び回ってついに「38」を壊してしまうところが感動的でした。
第二部はさらにどの踊りもドラマを感じました。踊りはもちろんのこと、演技や表情がとてもすばらしかったと思います。
兄にからかわれてふくれっ面をしていた弟が、兄の演奏につい踊り出してしまう情景にほのぼのしたものを感じました。
かわいらしい春香の首に枷がかぶせられて心配し、ハッピーエンドにほっとしたり、楽しそうな電車ごっこにうきうきしたりしました。
ここも一番心に染みたのは、「白頭からハルラまでの想い」でした。いつも火曜行動で演奏している曲が流れ、せりふがなくてもその想いが聞こえてくるような気がしました
。
青い鳥は息子から母への手紙を託されていたのですね。そのことがわかったときも、感動的でした。
本当にすばらしい舞台をありがとうございました。
はじめは今度の火曜日にお会いしたときに話そうと思ってたのですが、ついつい書かずにいられなくなってしまいました。」木村
故 姜輝鮮先生のご冥福を心からお祈りいたします。
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