ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

6・25 59回目の「火曜日行動」 歌ができましたよ!

2013-06-25 14:42:08 | 火曜日
6・25 59回目の「火曜日行動」 歌ができましたよ!




 今日は「火曜日」天候も良く大勢の方がいらしていました。

 昨日の夜、歌が出来上がりました。主人が曲をつけてくれました。



 何回も練習したのに歌おうと思ったらメロディを忘れて歌えず、歌詞だけ朗読しました。ごめんなさい。

























 「この坂道を上れば」を歌詞にしました。この歌詞にも曲を付けてもらいます。





 中村さんが遠くから又来てくれました。有難う。夜、持ってきてくれたチラシもアップしますね。コマッスムニダ!














 いつも陽気で元気な大村さん!













 まさしく「君たちが大きくなったら」見せてあげようと思ってニョニョハンメは雨が降っても強風が吹いても写真を撮り続けているのです。





 今日も自作の歌を「北の国から」のメロディにのせて熱唱してくださって宝塚の田中さん、コマッスムニダ!

 帰り道です。



 いつもご夫婦で「火曜日行動」に参加されている長崎さんご夫婦を見つけました。いつもいつも本当にコマッスムニダ!





 森の宮駅まできました。





 家に着きました。来週も頑張ります。



 余談ですがこの写真は日曜日法事の日に、うちの次女も出演したピアノコンサートで頂いたお花です。用事で行けませんでしたが。

 花瓶は次女が2歳の時、作曲の勉強のため3か月間祖国を訪問した主人が、祖国からお土産に頂いた青磁の花瓶です。何か歴史を感じます。




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6月22日は中大阪の一般公開授業とユニのお誕生日でした。

2013-06-22 22:25:08 | イベント
6月22日は中大阪の一般公開授業とユニのお誕生日でした。


6月22日は中大阪の一般公開授業でした。昨日まで大雨が続いたので天候が心配だったのですが、お天道様もウリハッキョの味方をしてくれました。爽やかな良い天気になりました。





  10時に学校に入りました。すでに多くの方々が来られていました。火曜日にお会いする方々が大勢いらしていました。府庁前じゃなくウリハッキョでお会いできるなんて、こんな嬉しいことは無いですね。

  まず一階の幼稚班のクラスから入りました。





  保育園から年長組に入ったのはユファだけでしたがやっと慣れたようで、何とかみんなについて行ってました。

  次は2年生の教室です。図工の時間でした。リファも頑張ってテーマーに合わせて書いていました。





  次は3年生の教室です。ユナが静かに授業に参加していました。日本語の授業なので大勢の日本の方々が参観されていました。





  6年生は社会の時間でした。ユニの後ろ姿だけ撮りました。



  11時から5階の講堂では講演会が始まりました。

  甲南大のコ・リョンス先生の司会で始まりました。



  実行委員長の平安名(へんな)常徳さんがご挨拶されました。



 
  その後、10分間10年ほど前、「チチンプイプイ」で放映された中大阪を取材したビデオが流されました。。

  時々私のブログに遊びに来てくださるトランジロウさんが提供してくださったそうです。有難うございます。

  私の兄が登場したのには驚きました。中学時代の写真まで登場していました。私の兄はここ中大阪の校長を務めていた時期がありました。

  少し明るすぎて良く見えませんがご了承くださいね。








 鄭祐宗さんの講演が始まりました。

 大阪朝鮮学園のルーツ ―大阪市立西今里中学校の自主移管を振りかえるーと題した講演です。



 「本講義の視点」として

 *中大阪朝鮮初級学校の歴史は、大阪朝鮮学園のルーツに関係するとても大切な問題だと考えられる。

 *大阪朝鮮学園のルーツ考える二つの側面がある。それは

  ①公立朝鮮人学校の自主移管(1961・8)、
  ②自主学校の認可習得(1966・3)という二つの側面である。私たちはこの二つの側面を切り離せない関係(補完関係)として考える必要があるのではないだろうか。

 *本講義では、特に、大阪における唯一の公立朝鮮人学校であった大阪市立西今里中学校の誕生秘話を通じて、大阪朝鮮学園のルーツについて考えてみたいと思う、と書かれていました。

 この視点で講演はとても詳しい資料を紹介しながら展開されていきました。新たに知ったことが多々ありとても勉強になりました。 



 1955年から61年まで西今里中で教務主任を務められたパク・チョンミョンさんも貴重なお話を聞かせてくださいました。日本の教員と朝鮮の教員が半々だったころ、大変な時期だったが朝鮮学校のため心の底から尽力くださった日本の先生も大勢おられたことを話されました。姉の担任だった藤田先生のお名前も出ました。

 少し予定より遅れましたが子供たちの小公演が行われました。

























中大阪の卒業生で、今現在大阪歌舞団んで活躍している佳実さんが素晴らしいアピールと朝鮮舞踊を披露してくれました。











 交流会が中大阪の軽井沢と言われる運動場の東側の木陰で開かれました。本当に涼しい!







 日本の子どもたちも「獅子舞」を披露してくれました。有難うございます。



 すわっていた位置から逆光で良く見えません。ごめんなさい。





























 木の間から木洩れ日が!

















 とても楽しい交流会でした。今日の公開授業には280人を超える方々が来られました。連帯の輪がどんどん広がっています。

 夜はユニのお誕生会を簡単にしました。明日が法事だから、又全員集まるのでユニの家族と私たちだけで行いました。

 お誕生日のケーキはいつもクノモニ(大叔母)が孫全員の分準備してくださいます。ケーキに朝鮮語で名前を書きこんで下さっているのがとても嬉しいです。







 とても楽しい一日が終わろうとしています。

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詩 「ダイヤモンドのように」 バイリンガル

2013-06-21 09:42:22 | 詩・コラム
 朝から雨です。大事な桔梗の花がずぶ濡れになっていたので、雨の当たらない上段に移動しました。



 いつものようにスクールバス停に向かう途中ウリハッキョの前を通りました。雨に濡れて玄関踊り場の小石たちがキラキラ光っていました。ふと詩が浮かびました。





  「ダイヤモンドのように」

              ニョニョ

きらきら輝いている 
ダイヤモンドのように
恵みの雨を からだいっぱい浴び
今朝もきらきら光っている

中大阪の玄関の踊り場
子供たちが故郷のように慕う
ウリハッキョへの入り口
67年の歴史が沁み込んだ踊り場

その踊り場には
子供たちの夢と希望と愛が
無数の小石になりちりばめられている

ウリハッキョを想う
アッパやオンマ ハルベやハンメが
真心こめて 修理した玄関の踊り場で
子供たちの喜びがピョンピョン跳ねている

3000度の熱にも打ち勝ち
ただ美しいだけではない強固さで
光り輝くダイヤモンドのように
子供たちよ 強く育っておくれ

失くしては 2度と取り戻せない
私たちみんなの 心のふるさとに
ウリマル ウリの歌声がいつまでも響き
子ども達が ダイヤのように輝いてほしい

   2013・6・21




금강석처럼

녀녀

반짝반짝 빛나는구나
금강석처럼
6월의 단비를 온몸에 받아안고
올아침도 반짝반짝 빛을 뿌리네

나까오사까 현관의 층계참
아이들이 고향처럼 사랑하는
우리 학교에로의 입구
67년의 력사가 새겨진 층계참

그 층계참에는
아이들의 꿈과 희망과 사랑이
숱한 돌이 되여 아로새겨져있단다

우리 학교를 사랑하는
아빠와 엄마 할배와 함매가
정성을 담아 수리한 현관의 층계참에서
아이들의 기쁨이 깡충깡충 뛰고있구나

3000도의 열도 이겨내는 돌
이 세상 가장 굳세고 굳센
눈부시게 빛나는 금강석처럼
아이들아 씩씩하게 자라거라

잃어서는 두번다시 찾지 못할
우리모두의 마음의 고향에
우리 말 우리 노래가 영원히 울려퍼져
아이들이 금강석처럼 빛나길 바라나니

2013/6/21



 明日はどなたでも参加できる公開授業です。授業参観のあと講堂で子供たちの小公演や学校の歴史に対する貴重な講演会もあります。

 そのあと会費はいりますが焼肉の集いもあります。是非お越しくださり、子供たちの元気な姿を見てあげてください。お待ちしております。



 
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広島の友人ミョンさんが送って下さったアカシア、夾竹桃の数々。

2013-06-19 13:20:10 | 花たち
広島の友人ミョンさんが送って下さったアカシア、夾竹桃の数々。


 広島の在住の友人ミョンさんが貴重な写真を送ってくださいました。コマッスムニダ。

アカシア







広島の様子と夾竹桃































 夾竹桃は広島市の花だそうです。

ミョンさんが書き添えてくださいました。

              *                *

「広島市の花:75年間草木も生えないといわれた被爆焼土にいち早く咲いた花で、

当時復興に懸命の努力をしていた市民に希望と力を与えてくれた花として、昭和48年に制定されました。」


夾竹桃(キョウチクトウ)

学    名  : Nerium indicum

別    名 : 半年紅、ミフクラギ(目膨木)、Adelfa, Rose laurel

科 属 名 : キョウチクトウ科 キョウチクトウ属 常緑大低木樹  

高      : 3~5m植栽可能地域  : 群馬・栃木県以南 

原 産 地  : インド・中近東(江戸中期渡来)

花  期  : 6~9月観 賞 葉 期 :

花 言 葉 : 美しき善良、恵まれた人、友情、親友を大切に

用心、危険、気をつけて、油断大敵



広島平和記念公園にて6月7日に撮りました。(ミョン)

 
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6月18日 58回目の「火曜日行動」とハルモニのひとこと

2013-06-18 14:45:59 | 火曜日
6月18日 58回目の「火曜日行動」とハルモニのひとこと



 6月18日、今日は58回目の「火曜日行動」の日でした。私は昨年6月19日10回目の「行動」が初参加なので、今日でちょうど満1年になります。

 あっという間の1年でしたがこの間、熱が出ようが警報が鳴ろうが一度も欠かさず参加できたのは、いつも孫たちの顔が浮かんだからです。又毎週来てくださる心の友たちに会えるという期待もありました。

 今日は劇団「タルオルム」のスニちゃん人形が来てくれました。春のモアパレードでも大活躍してくれた人形です。













































 ご夫婦で来てくださった昭子さんご夫婦。



 いつも演奏して私たちに勇気と元気を下さる古賀さんと木村さん。





 タルオルムの皆さん。

 私は今日最後らへんでアピールに参加しました。

 なぜ自分が一度も休むことなく1年間通い続けることができたかを話しました。これからも諦めず子供や孫たちの未来のため府庁前に来ることを約束しました。

 帰りしな大阪城公園の中を通ると、紫陽花がまだきれいに咲いていました。紫陽花を見ていたら急にひとり暮らしのハルモニに会いたくなって北中道に向かいました。











 北中道公園の入り口にもうムグンファ(むくげの花)が咲いていたのにはびっくりさされました。





 電話をし玄関を開けていただきました。ハルモニは耳が良く聞こえないのでいつも鍵をかけています。ピンポン鳴らしてもテレビを見ていたら聞こえません。それでいつも玄関前で電話をするのです。



 ハルモニは大層喜ばれました。今、風呂から帰ったので少し横になっていたと仰いました。

 いつものように何もあげるものが無いと寂しがられましたが「そうや、ええもんがあるわ」と言いながら冷蔵庫を開け手作りのチジミを出してくださいました。



 歯が丈夫でないのでいつも柔らかいチジミなどを作って食べていらっしゃるそうです。そういえばこの間お訪ねしたときは蒸かしイモをごちそうしてくださいました。あっさりとした味で大変美味しかったです。



 ハルモニといろんなお話をしましたが、私が今日がちょうど「行動」に参加して満1年になる日だと伝えるとハルモニは「ご苦労さんやったね。それでどんな成果があったの?」とお聞きになりました。

 私は即座には何も答えられず、無言のままでいると「なんでも頑張ったら成果が無かったらアカンやろ」と言われ一瞬言葉を失いました。

 そうだ、私は何を考えていたのだろうか、オリンピックじゃあるまいし、参加することに意義があるのではなく、何か変化をもたらさなければならなかったのだと思いました。

 府庁前への坂道はあまりにも険しく前の見えない坂道です。

 ハルモニに他意は無かったとは思いますが、私は急所を突かれたようにショックを受けました。でも

 大きな変化をもたらすことはできなかったけど、決して無意味な1年では無かったと信じています。



 

 
 
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