日本の経済成長を30年間停滞させ、国民を貧しいままにした「緊縮財政」がなぜ軌道修正できなかったのか。
理由は分かっています。日本最強の省庁である財務省が「財政均衡」の一点張りで、民間成長への政府資金投入に反対したからです。
「支出するには、財源が必要。財源がないのに支出すると、赤字になる。」
「赤字が膨らむと政府財政が破綻するから、税金を増やして徴収するしかない。」
財務省が財務大臣に語らせ、自由民主党内の有力議員を「財政均衡論」で洗脳し、国債発行に反対してきました。リーマンショックや武漢コロナ、あるいは阪神淡路大震災、東日本大震災などの未曾有の危機に際しては、多額の国債が発行されましたが、それ以外の通常の景気回復のためにはストップをかけ続けました。
欧米諸国は自由な国債発行をしそれなりの経済成長をしたのに、日本だけが30年間も経済が停滞しました。
故安倍首相が「アベノミクス」を主張し、「経済の好循環」を語り「大胆なゼロ金利政策」を進めたのは、財務省の「緊縮財政論」に風穴を開けるためでした。
この経緯については、亡くなった森永卓郎氏の説明が役に立ちます。過去記事からもう一度紹介します。
〈 森永氏の説明 -1 アベノミクスの3本の矢 〉
・1本目の矢・・・大胆な金融緩和 → 日銀の協力で一時的に成功
・異次元の金融緩和により、円安と株高を狙う
・2本目の矢・・・機動的な財政策 → 財務省の抵抗で不成功
・大規模な補正予算による公共投資と、復興需要への支出をする
・3本目の矢・・・民間投資を喚起する成長戦略 → 財務省の抵抗で失敗
・TPPへの参加によるグローバル市場への積極関与も、成長戦略の一環として考えたが成功しなかった
〈 森永氏の説明 -2 〉
・アベノミクスの最大の障害は、財務省の抵抗と消費税率の引き上げだった
・財務省は財政再建を最優先課題と位置付け、歳出削減と増税による財政健全化を目指し、アベノミクスの大規模金融緩和と財政出動に当初から反対した
・企業収益は伸びたが、実質賃金に反映されず、個人の購買力が上がらなかった。GDPの60%を占める個人消費が伸び悩んだ。
・財務省は伸びた税収を公共投資と復興需要へ回さず、財政赤字の補填に使い、社会へ還元しなかった。従って景気の好循環が生まれなかった。
・このため安倍氏は、野田首相と約束した消費税率の5%から10%への引き上げの、1年半延長を決断した。翌平成28 ( 2016 ) 年6月、更に2年半の延期を決断した
・平成29 ( 2017 ) 年2月森友学園問題が報道され、安倍政権への攻撃と非難が始まった。
・令和2 ( 2020 ) 年9月に安倍氏が退陣し、菅内閣が誕生した。菅内閣は財務省のいうとおりの、「財政再建」と「増税路線」を掲げた。
・「末期癌の自分は、もう何も恐れるものがないから、遺言のつもりで財務省の闇を話せるだけ話す。」
財務省が、「一強独裁の安倍」と呼ばれた首相に抵抗した根拠が何だったかといえば、それが「財政法」でした。なぜ「財政法」の改正が首相にできなかったかと言えば、「アメリカの関与」が生きていたからです。
暗殺された安倍首相が戦ってきた「アメリカの関与」について、再度復習しましょう
〈 連合国軍 ( GHQ ) による統治と日本の独立まで 〉
・ 1947 ( 昭和22 ) 年 5月 3日 「日本国憲法」の施行 ・・・軍備放棄
・ 同年 ( 昭和22 ) 年 1月 6日 「( 改正 ) 皇室典範」の公布・・・11宮家皇籍離脱
・ 同年 ( 昭和22 ) 年 5月 3日 「皇室経済法」の施行・・・皇室財産の没収と国有化・ 1952 ( 昭和27 ) 年 4月 28日 「サンフランシスコ講和条約」調印
政府税調の検討をする手を休めたのには、理由があります。財務省に絡め取られた「緊縮財政派」の議員名の調査も大事ですが、なぜ財務省が今も強大な力を持っているかについて、「戦後日本史の大河」を再確認する必要性に気づいたからです。
反日左翼勢力の「雑音」を紹介しましたが、雑音に邪魔されないために「急がば回れ」をして、事実の復習をしておくことの大事さを痛感します。
次回は、「アメリカの対日政策」いわゆる「日本弱体化計画」について学び直してみたいと思います。