俳句に関心が生まれたのは、昨年の秋からだ。
それまでは、むしろ短歌に引かれていた。中学生の頃,啄木の歌を知って以来だと思う。平易な言葉づかいと、感傷的な甘い響きが、心を虜にした。放浪の人生とか、貧乏の揺かごとか,切ない恋や素朴な野心など、啄木の歌には、私を捉えて離さない魅力があった。
石狩の都の外の君が家 リンゴの花の 散りてやあらむ
ほのかなる朽ち木の香り そが中の 茸の香りに秋やや深し
意識せずともそらんじた、彼の歌が沢山ある。学生の頃作った歌には、どこかに啄木の響きがあったと思う。
タバコのみ わが友なるか 揺れながら
昇る煙の濃き紫よ
悲しみは 小舟にたまる水のごと
汲めども尽きぬ ふと手を休む
今はもう、こんな歌は作らないし、タバコだってとっくの昔にやめてしまった。己の感傷に浸るより、家族のために働くことや、会社のために頑張ることに忙しくなったからだった。
時は丁度、日本の高度成長時代で、誰もが、企業戦士としての生き方を、選ばされた頃だ。( 本当はここに、先ほど作った句をのせたいと、それで書き始めたのだが、前置きが長くなって、収拾が着かなくなりつつある。少し結論を急ごう )
啄木との決別は、彼の生き方に対する、素朴な疑問だった。大切な妻子をないがしろにし、小説や歌に傾倒する、生活破綻者としての彼は、手本にしてはならない人物だった。ましてや、真面目な学者である金田一氏から借金を重ね、彼の家庭を脅かすような浪費を重ねていた、と知るにつけ、心が離れた。
歌そのものは今でも好きだが、個人としての啄木とは、一線を引いている。
今少し結論を急ぐなら、啄木とは距離を置いたが、それでも歌との付き合いは長く、俳句に無縁で来たのに、今日もまた、下手な句を作ったということなのだ。( やっと現在に、到達した。)
まだ堅き 冬芽を照らす 日差しかな
爽空を 背にして高き 木々の枝
季語も無いような句を作っているのだから、きっとひどいものなのだろうが、自己満足の段階なので、これでいい。
このようにして、短歌だって作ってきたのだし、どうせ誰にも評価されず、外にも発表しないのだから、自分が楽しければ、何ということもあるまい。