ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

朝日新聞への苦言と賞賛

2013-03-12 18:40:11 | 徒然の記

 2月23日の朝日の社説「民主党大会、反省を糧に、前へ」について、苦言を呈したい。

 大敗した総選挙を総括し、党として反省をしている民主党向かい、まるで寛大な父親ででもあるような暖かい励ましだ。

 「生活者の中にも、利害の対立があり、働く者の立場も様々だ。それをいかに調整するかが、統治能力であり、今回、民主党が問われたものである。」

 民主党の敗北の原因を、社説が解説している。見当違いもここまで酷くなると、返って孤高の美が感じられるから不思議だ。

 私からすれば民主党の大敗は、大層な検討や研究など何もいらない。

 「自分たちの国を蔑ろにし、中国や韓国・北朝鮮と通じた政治家の集団だったと、国民の目にハッキリ分かったこと。」

 それ以上でも、以下でもない。

 日本や一般国民が困るような事実、それもねつ造としか思えないような話を、わざわざ反日の隣国へ内通していた、議員たちの党だったと国民が知ったことだ。自分の国を憎悪する政治家や、反日の中国や韓国に大切な情報を流してしまうような、内通者たちの党に、どうして政権が渡せると言うのだろう。右翼でなくても、私のような普通の国民は、そんな人間たちを嫌悪する。

 社説を書いた朝日の記者は、「生活者の中にも利害の対立があり」と新語を造っている。

 彼はおそらく「国民」のことを、「生活者」などという奇妙な言葉で言い換えているのだろうが、何を意図してこんな造語を活字にするのか。国民という言葉には、国の文化や歴史、風土や自然といった、全てが包含されているが、生活者と言う言葉には、働いて食べて寝てと、日々を暮らすだけの人間の表現だ。

 左翼信者らしい、即物的な、低俗語であるにすぎない。社説を書いた人物も、先日退職した主筆の若宮氏同様の、左翼かぶれの人間なのだろうか。

 苦言はここまでとし、次は「賞賛」だ。

 3月5日の「声の蘭」に掲載された、東京都在の75才無職西中氏の投書だ。

「原発ゼロは、民意なのか」という表題で、誰がいつ、どこでそのような民意を決めたのかという素朴な疑問が述べられている。

 中身については割愛するが、私は西中氏の意見に心を動かされた。
激昂して「原発ゼロを即座に」というのでなく、その悪影響にも目を向け、バランスをどのようにとるのかが大切だと氏は言う。一方に偏した意見だけではいけないという、現実論である。

 これが良識と言うものであり、普通の意見だと私は考える。ではなぜ「賞賛」に値するのか・・。

 共産党か社会党の機関紙みたいな朝日が、こんな良識の声を掲載したというのだから、賞賛に値する。頑迷な左翼主義者が、庶民の声に耳を傾けたという事実にびっくりした。

 ならず者がたまに善行をすると、ひどく目立つのと同じで、朝日が稀に常識的なことをすると紙面が輝いて見える。朝日新聞は人民日報でもなく、朝鮮日報でもなく、れっきとした日本の新聞だから、日本の新聞らしく、これからも庶民の常識を大切にしてもらいたいものだ。

 苦言と賞賛のバランスが取れた、今日という日が再び来て欲しいと願いつつ、本日をもって、朝日新聞への実りの無い批判を止めることとしたい。

 今後朝日が、どんな記事を書いても、ブログには載せない。不毛な批判の繰り返しは、大切な人生の無駄使いとなるし自己嫌悪にも陥るからだ。

コメント
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