大西中将が、特攻隊を編制した直後、40名の隊員を前に、涙ながらに語った言葉を、you tubeで知った。省略せずに書くこととする。
「特攻は統率の外道である。もう、戦争は続けるべきではない。」「ただこのまま、アメリカを本土に迎えた場合、歴史にみるインディアン、ハワイ民族のように、闘魂ある者は次々に各個撃破され、日本民族の再興の機会は、永久に失われるであろう。」
「しかし特攻により、敵を追い落とすことができれば、七分三分の講和ができる。」「そのために特攻を行ってでも、フィリピンを、最後の戦場にしなければならない。」「だがこれは、九分九厘成功の見込みなど無い。では何故、見込みの無いこのような強行、愚行をするのか。」
「ここに信じてよいことがある。いかなる講和になろうとも、日本民族が、まさに滅びんとする時にあたって、身をもって防いだ若者たちがいたという歴史が残る限り、500年1000年後の世に、必ずや日本民族は再興するであろう。」
二十年くらい前に、草柳大蔵氏の「大西滝治郎伝」を読んだが、そこにこうした訓示は書かれていなかった。
草柳氏が、なぜこの大事な言葉を伝記に入れなかったのか、疑問は残るが、もしかすると、You tubeの新しい発見なのかもしれない。神風特別攻撃隊を創設したのが大西中将で、敗戦の決定した翌日に、氏が自決したことは知っていたが、訓示を述べていたのは知らなかった。
これまで私は、戦前の軍人は常に神懸かりなことを言い、神州不滅を妄信し、バカな戦争をしたとばかり思っていたので、成功の見込みの無い愚行と知りつつ、未来の国民の叡智を信じ、命を捨てた事実を知らされ、強い衝撃を受けた。
私の中にある戦前の日本国民は、戦争指導者やマスコミに、鬼畜米英、一億玉砕と煽動され、愚かな戦争遂行に突き進んだという印象が強くあった。だから二十一世紀の今日、政府の宣伝に踊らされ、一糸乱れず愚かな絶叫を繰り返す、中国や北朝鮮の国民が笑えなかった。自分の国を見るような気がするからだった。
大西中将の言葉を知ると、当時の日本人が、すべて神がかりではなかったと分かった。特攻を外道と認めた将軍と、愚行と知りつつ特攻を志願した兵士たちがいたのである。
彼らは何のために、そうしたのか。
たかだか二十歳代の若者だというのに、大切な家族を守ろうとし、国の行く末を思い、この決断をしたのだと知った。彼らはやはり、英霊と呼ぶに相応しい国民であり、自然と涙が湧いてくる。
こうした彼らを、戦争犯罪人だと同じ日本人が語ることの、なんという無慈悲さか。彼らの尊い死を無駄にしないためにも、私たちは、戦後レジームとの決別をしなければならない。長谷川三千子教授が言われるように、「日本は、敗戦を引きずったままでいいのですか。このままでいいのですか。」という問いを、本気でしなければならない。
安倍総理氏が言うからでなく、私たち国民がそう思いつつある時に、安倍総理が出現した。総理に騙されているのでなく、総理の方が正しくて、間違っているのは、反日売国の政治家と、左翼マスコミだ。これにこそ、騙されてはならない。