扇風機を押し入れに仕舞い、石油ストーブを出した。
夏の下着を冬物に入れ替え、少しばかり汗をかき、今年も衣替えの時が来た。記録的猛暑は既に過去となり、吹く風が涼しさに代えて冷気を運ぶ。確実に季節が移ろい、物思う秋となった。
政治や社会について考えると、明るい気持ちになれないが、こうして時が過ぎ、めぐる季節を肌に感じていると、さまざな思いが去来する。
平穏な暮らしへの感謝というか、有り難さと言えば良いのか、心の静まる喜びがある。憂き世からおサラバする日が近づいているという、不安な喜びもある。いつからそうなったのか、はっきりした記憶は無いが、かすかな膝の痛みが日々の友となり、体の衰えを自覚した。駆けることが難しくなり、信号が変わっても道路が渡り切れないことがある。
何てことだ、コンチクショウと、以前は不甲斐ない自分に八つ当たりしたが、今は自然の摂理と受容している。
丁度、有吉佐和子氏の『複合汚染』(上下二巻)を読み終えたところだ。40年前に、ベストセラーになった本だ。地球上の食べ物や飲み物や生活必需品が、石油化学物質から生じる毒性に汚染されていると、氏は言う。
どうして農林省は、厚生省は、政府は、学者は、マスコミは、国民の安全を真剣に考えないのかと訴えていた。
今も汚染の状況が続き、いっそう進行しているはずなのに、マスコミも学者も騒がない。有吉氏の生真面目さに敬意を表しつつ、自分を含めた世間の無関心さと、一過性の熱狂の愚かさについて考えている。
手の打ちようも無い汚染に加え、今は有吉氏が予想しなかった原発の汚染が生じている。こうした状況下で、どのようにして心の平安を保っているのか。呑気に季節の移ろいを楽しんでいるのか。それはだだ一つ、次の覚悟である。
「地球とともに、人類と共に一蓮托生、いつだって滅んでみせる。」
こんな覚悟が果たして正しいのか、子々孫々のため良いことなのか、大きな疑問だが、これが季節の節目の物思いである。