ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『憲法・新版』 - 4 ( やはり外国かぶれ )

2021-08-30 17:57:47 | 徒然の記

 学徒の身で、先生を批判するのはやめようと思いますが、芦部教授の著作は、やはり肝心の説明が足りません。

 「近代立憲主義憲法」、「立憲主義国家」、「立憲主義の展開」と、盛んに「立憲」と言う言葉が出てきますが、「立憲」についての説明がありません。せっかく難しい教科書で習っているのですから、基礎から学びたくなります。

 ネットで調べますと、次のように書かれていました。

 「立憲主義とは、単に憲法に基づいて統治がなされるべきであるというのみならず、」「政治権力が、憲法によって実質的に制限されなけれなばならないという政治理念である。」

 「 立憲主義を前提とした民主制を、立憲民主主義、立憲主義を前提とした君主制を、立憲君主制と呼ぶ。」

 ネットの説明文を書いた人物も、政治権力を制限するのが、「憲法」であると言う理解ですから、宮沢・芦部氏の流れを汲む学者だと分かります。「法の下の平等」とは、政府と国民が同じ法律に守られ、同時に拘束されることと考えている私と、氏の説明は噛み合いません。

 「法の支配の原理は、中世の法優位の思想から生まれ、」「英米法の根幹として発展した、基本原理である。」「それは、専制的な国家権力の支配を排除し、」「権力を法で拘束することによって、」「国民の権利・自由を擁護することを目的とする原理である。」

 芦部氏の意見は、西欧の社会の状況説明ですから、日本のことを述べているのではありません。

 「ジェームス一世の暴政を批判して、クックが引用したプラトンの言葉は、」「法の支配の本質を、よく表している。」

 「国王は、何人の下にもあるべきではない。」「しかし、神と法の下にあるべきである。」

 これがプラトンの言葉です。何度も言いますが、日本の歴史には、ここまで国民を苦しめた暴政の支配者はいません。八百万の神の日本には、支配者を超える一神教の絶対神もいません。プラトンの言葉は、西欧では万民に通じるのかもしれませんが、日本国民に通じるのでしょうか。

 平成30年の9月に、橋川文三氏の著書『ナショナリズム』を読みました。氏の意見が芦部氏と共通しているのは、「個人」の捉え方です。橋川氏は「ナショナリズム」と言う言葉を、「愛国心」として考え、日本人には「郷土愛」があっても、「愛国心」はないという意見を展開していました。

 愛国心に目覚められるのは、ルソーが言った近代的「個人」だけだと言うのが、氏の主張です。権利意識に目覚めない人間は、自分の住む地域への「郷土愛」が精一杯で、それを超えた国や国家への愛は知り得ない、と言う恐るべき暴論です、

 氏と芦部氏に共通する「頑迷さ」は、ルソーの言う「個人」の定義への固守 ( 信仰 ) です。もう一つ共通しているのが、日本には自立した「個人」が存在せず、自由も権利も知らない前近代的な民衆がいるだけだったという、日本人蔑視の学説です。

 『ナショナリズム』は昭和43年の出版で、東大法学部を卒業した橋川氏が、明治大学の助教授の時、世に出しています。元共産党員と聞きますから、反日・左翼の流れで、宮沢、芦部教授と繋がっているのでしょうか。

 「フランス革命は、絶対王政を倒したブルジョア革命と呼ばれていますが、」「別に、市民革命とも言われています。」「市民は現在で言う一般市民でなく、王政を倒すだけの力を持った、富裕層の市民階級です。」「ヨーロッパでは、ルソーが高く評価され、人々も信じていますが、」「そんな西欧の話が、どうして日本で語られなくてならないのかと、不思議な気がします。」

 上記は、13年前の橋川氏への書評から転記したものですが、芦部氏にもそっくり当てはまります。不思議なので、もう少し転記します。

 「当時の日本が、どういう状況であったのか、ネットで調べてみました。」「ルソーの社会契約論が出版されたとき、日本は江戸時代です。」「9代将軍徳川家重の治世で、かの有名な田沼意次が活躍していました。」「フランス革命のあった頃は、これもまた日本史で有名な松平定信が、」「奢侈に溺れる武家と町人の社会を戒めようと、〈寛政の倹約令〉を出しています。」「その頃の主な出来事を、ざっと拾い出してみました。」

 1791年   米国商船ワシントン号来航

 1792年   林子平「海国兵談」  ロシア使節来航

 1797年   イギリス船来航

 1798年   本居宣長「古事記伝」

 1800年   伊能忠敬 蝦夷地の測量

 「こうして歴史を辿りますと、氏には申し訳ないことですが、西欧と日本では違う時間が流れ、」「武士も町民も農民も、西欧とは違う形で動いております。」「氏のような学者も、私みたいな学徒も、外国を知ることは大切ですが、」「無理をして、日本に結びつける必要があるのでしょうか。」

 「外国船の度重なる来航が危機を感じさせ、ついにはペリーの武力による威嚇があり、」「日本国や天皇の存在を、嫌でも考える時が来ます。」「幕府はもちろんのこと、下級武士や豪商、豪農に至るまで、」「国の守りを考え、走り出す者も生じます。」「ルソーの定義で考えますと、「これら日本人は、真の意味での〈個人〉ではない、という話になります。」

 「橋川氏の説明によると、日本の武士や豪商や豪農は、自由と権利に目覚めている個人でなく、」「自然権という基本認識すら持っていないので、」「西欧に比べると、遅れた無知な国民に分類されます。」

 「新政府になり、指導者たちが〈攘夷〉の旗を捨て、」「〈富国強兵〉と〈文明開化〉に大きく舵を切りますので、日本より西欧諸国の方が先進国であったのは、間違いありません。」

 「だからといって、個人や愛国心までが、ヨーロッパの基準でしか語れないとは、おかしな話です。」「武士道や剣道、柔道、あるいは茶道、花道などが、日本固有のものとして続いてきたように、」「個人や愛国心も、日本固有の育ち方があるのではないでしょうか。」

 13年前の文章なので、息子たちも忘れているでしょうから、そのまま転記しました。

 両教授の意見を読みますと、間違った憲法を持つ国の不幸が改めて分かります。「立憲民主主義」とは、「憲法に基づく政治」ですから、悪法「日本国憲法」を改正しない限り、日本は独立国になれず、やがて皇室も崩壊すると言うことです。「日本国憲法」を信仰している「共産党」は言うに及ばず、「立憲民主党」にも投票できないことが分かります。

 「温故知新の読書」が、過去を教えると同時に、現在を教えくれる有り難さも分かりました。この人たちは、やはり「外国かぶれ」の学者です。こうなれば、明日もがんばります。

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『憲法・新版』 - 3  ( 憲法学界の決めごと ? )

2021-08-30 07:37:40 | 徒然の記

 「十七箇条の憲法」について、芦部氏が語らないのなら、ネットで調べてでも取り上げようと、頑固さにおいてなら、氏に負けません。元々面白くない「憲法」のブログですから、このようなことをしていると、息子たちだけでなく、「ねこ庭」を訪れる方々が減ります。

  一体日本には、古代から憲法と呼ばれるものがいくつあるのかと、思いつくままに並べてみました。憲法と呼べないものが混じるのかも知れませんが、学者でない私は、怖いもの知らずです。

  1.  604年 ( 飛鳥時代 )  「十七箇条の憲法」 推古天皇・聖徳太子

  2.  701年 ( 飛鳥時代 )   「大宝律令」    文武天皇

  3.  794年 ( 平安時代 )  「律令法」     桓武天皇

  4.      1232年  ( 鎌倉時代 )  「御成敗式目」   北条泰時

  5.   1615年 ( 江戸時代 )   「武家諸法度」「公家諸法度」  徳川家康

  6.   1868年 ( 明治元年 )   「五箇条の御誓文」 明治天皇

  7.   1889年 ( 明治22年 )   「明治憲法」    明治天皇

  8.   1946年 ( 昭和21年 )   「日本国憲法」     ( 昭和天皇 ) ?

 ネットに書かれた「十七箇条の憲法」の説明を読みながら、自分の間違いに気づきました。芦部氏が「十七箇条の憲法」について触れないのは、「西洋かぶれ」のせいでなく、どうやら憲法学界の決めごとのせいです。

 「〈十七箇条の憲法〉は、憲法の名を冠しているが、政府と国民の関係を規律する後年の近代憲法とは異なり、」「その内容は官僚や貴族に対する、道徳的な規範が示されており、」「行政法としての性格が強い。」

 日本だけでなく他国でも同じなのか、彼らが憲法と認める法律には、「政府」と「国民」の2要素が不可欠のようです。しかも「国民」は、ロックやルソーが解説する自然権に目覚めた、自立した個人でなければなりません。

 個人がどれだけ多数いても、権利意識に目覚めず、政府に反抗しない国民は、彼らの定義では「個人」ではないようです。氏は言及していませんが、ネットの説明と、かっての「読書」の知識を合わせますと、憲法学者の間ではそのような取り決めがあるように思えました。

 「十七箇条の憲法」が憲法でないとするのなら、私が上げた8つの中で憲法と呼べるのは、「日本国憲法」だけになります。憲法学者の言葉を使えば、他は全て「行政法」または「基本法」となるのでしょうか。

  1. 人間は生まれながらにして自由・平等であり、生来の権利(自然権)を持っている。

  2. この権利を確実なものとするため社会契約を結び、政府に権力の行使を委任する。

  3. 政府が権力を恣意的に行使し、人民の権利を不当に制限する場合は、人民は政府に抵抗する権利を有する。

 上記3点に目覚めた人間だけが「個人」だと定義するのなら、こうような個人は、ロックとルソー以前には存在しません。なぜなら自由・平等という自然権や、社会契約という概念は、ロックとルソーが考え出したものだからです。彼らのいう個人も、実在する人間と言うより、思索が生み出した「抽象的概念」です。

 芦部氏に限らず宮沢氏も、同様の考えでしょうから、彼らが「憲法」という場合の憲法は、ルソー以降の法律ということになります。「外国かぶれ」と不用意に批判するのは、間違いだと理解しましたが、疑問は残ります。

 欧米の憲法学がそうだからといって、日本の憲法学がそのままの模倣で良いのでしょうか。日本には奴隷制度もありませんし、壮大な宮殿を幾つも築き、自分の趣味や贅沢のため国を傾けるような散財をした、専制君主もいませんでした。ありふれた言い方になりますが、「日本には日本の文化と風土」があるのですから、日本なりの「憲法」があっても良いのではないでしょうか。

 宮沢氏や芦部氏の説明を読んでいますと、GHQの押し付け憲法を、日本国民との共同制定だと、懸命に解釈している様子があります。憲法の前文からして、不自然さが目立ちます。あの前文は、日本人の思考から生まれる文章でなく、アメリカ人のマルキストたちの文脈です。主語と述語がうまくつながらない翻訳文を、どうして日本人の文章だと強弁するのでしょう。

 ロックやルソーの思想にしても、それは西欧社会の歴史と文化から生まれたものです。そのまま日本に当てはめようと、疑いもせず移植するのは無理があります。根のない花を、花壇に植えているようなものです。明治以降の学問の主流が西欧にあったため、便利さと手軽さを優先し、そのまま取り入れているのではないのでしょうか。

 本日の私は、前回の早とちりを反省していますので、氏への失礼な批判を避けますが、一人の日本人として、日本の憲法学界には疑問を残したいと思います。

 ブログの本来の目的は、ロックやルソーの話でなく、芦部氏の『憲法・新版』の書評ですから、明日は元へ戻ります。

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