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ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『 最後のご奉公』 - 11 ( 幣原元首相の実像 )

2021-08-19 13:13:22 | 徒然の記

 「日本は戦争に勝って、外交に負けたのだ。」「こんなことではいけない。」「国運を打開するため、俺は外交官になるぞ。」

 日清戦争の時大学生だった氏は、ロシア、フランス、ドイツによる三国干渉を目の当たりにして、固く決心しました。その氏が、どうして国運を傾ける「日本国憲法の生みの親」と言われるのか。塩田氏の著作に惹かされた理由の一つは、その疑問を解くことでした。幣原氏は何を考え、何を志向した政治家だったのか・・

 読み終えてみると、答えがありませんでした。幣原氏に関する資料を時系列に並べ、その折々の意見を紹介していますが、塩田氏自身が捉えた人物像は、語られていません。

 ・昭和20年10月 組閣の大命を受けた時、木戸内府への意見

  「憲法改正ですか。それは全く必要ないと思います。」「今の憲法も、元々は相当、自由主義的、民主主義的な要素を持っています。」「にもかかわらず、誤って運用されたため、このような結果となった。」「改正よりも、本来の姿に戻すことが大切です。」

 ・昭和25年9月 読売新聞に掲載した『回想記』

  「戦争を放棄し、軍備を全廃して、どこまでも民主主義に徹しなければならないと言うのは、」「他の人は知らないが、私に関する限り、信念からであった。」

  「よくアメリカの人がやってきて、今度の新憲法は、日本人の意思に反して、」「総司令部から迫られたんじゃありませんか、と聞かれるが、」「私に関する限り、そうではない。」「決して、誰からも強いられたのではないのである。」

 ・昭和25年9月 金森徳次郎憲法問題担当大臣の質問に対する答え

  金森・・「最近アメリカで、総司令部の報告書が発表され、」「随分と機微にわたることが書かれていると、聞きます。」「日本側でも正確な記録を作らなければと、考えていますが、」「そうなると、あなたご自身しか知らないことも多い。」「この際、是非ともお話を伺っておきたいのですが。」

  幣原・・「それについてお話しするのは、時期尚早です。」

     (  幣原氏は何も語らず、半年後に他界した。)

 ・幣原氏の死後、氏の長男で、獨協大学名誉教授道太郎氏の意見

   「戦争放棄条項は、マッカーサーが発案して、」「日本に押し付けてきたものだ。」「父の真意は、友人である紫垣隆氏の論考『大凡荘夜話』の中で語られている。」

 ・紫垣隆氏の論考『大凡荘夜話』( 幣原喜重郎は売国奴にあらず ) から抜粋

  「幣原の遺書は、韓信が股を潜った以上の屈辱を偲んで、」「心にもないことを書いたもので、日本人としての幣原の精神を表したものでなく、」「占領軍の猜疑と弾圧の矛先を鈍らせるため、あえて筆を取ったのだと、」「昭和26年の初期、自分に告白した。」

 「今度の憲法改正も、陛下の詔勅にあるごとく、」「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、他日の再起を期して屈辱に甘んずるわけだ。」「これこそ敗者の悲しみというものだと、しみじみ語り、」「この憲法は、永久不変のものでは決してない。」

 「ポツダム宣言を忠実に履行し、日本が独立回復後、」「アメリカ側も、占領政治の過ちや行き過ぎを、」「後悔する日が来るだろうと、述べている。」

 私は原則を貫く氏の人柄と、三国干渉から始まる一連の流れからして、友人の紫垣氏に語った言葉が、幣原氏の本意だと考えます。けれども塩田氏は、やはり曖昧な結論にしてしまいます。

 「戦争放棄の発案者は、マッカーサーか幣原か、という疑問は最後まで解けなかった。」「それは日本国憲法をめぐる、最大の謎として残されたのである。」

 塩田氏の執筆姿勢に疑問を持ち、愛国心の薄さに疑問を持つ私を、息子たちと、「ねこ庭」を訪問される方々は、どのように受け止められるでしょうか。

コメント (2)
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