ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

東大教授・小島毅氏

2021-04-11 20:33:50 | 徒然の記

 昨日、新しい獅子身中の虫を発見しました。「武漢コロナ」による閉じこもり生活の無聊を慰めるため、ネットを検索していましたら、「哲学入門チャンネル」という動画にぶつかりました。

 「今こそ知っておきたい、保守派の歴史認識が抱える根本的な矛盾」「ゲスト企画第6弾小島毅先生インタビュー」

 挑発的な見出しが、目に止まりました。東大教授の小島氏は、文学部で教鞭をとる中国関係の専門家です。保守派の歴史認識の根本的矛盾とは、なんであるのか。氏の説明によりますと、靖国神社について、保守派が根本的な間違いをしているとのことです。

 知らないことを沢山教えてもらい、有難い話でしたので、順序を追って紹介いたします。

 〈 1. 靖国神社創建の経緯 〉

  ・ 文久2年 ( 1862 )    津和野藩士福羽美静、長州藩士世良利定ら60余名が、京都霊山の霊名舎において、安政の大獄以来の国事殉難者を祀ったのが始まりである。

  ・ 明治2年 ( 1869 )   東京招魂社鎮座祭 ・・靖国神社の創建 ( 千代田区九段北 )

  ・ 明治11年 ( 1878 )   東京招魂社を靖国神社と改称

 神社本庁が編纂した『靖国神社』をもとにした説明で、同書の作成者は元靖国神社禰宜 ( ねぎ ) 沼部順明氏だそうです。同書によりますと、靖国の名前は、漢書『春秋左氏伝』の中にある文字から取られたとのことです。

 九段北の靖国神社の発祥が、京都霊山の霊名舎だとは知りませんでした。明治時代になり祀られていた国事殉難者は、東京の招魂社へ移され、それが靖国神社と改称され、その名は漢書から来ていると、さすがに中国関係の専門家です。学徒として、耳を傾ける内容でした。

 〈 2. 靖国の起源は倒幕運動 〉

  ・靖国神社の創建の目的は、幕府から「国賊」として処刑された犠牲者を祀ることにあった。

  ・靖国神社では、彼らを天皇のために亡くなった「国事殉難者」として祀った。

 しかしこのあたりから、氏の意見は、学者というより、反日の響きがしてきます。語り口が穏やかで真摯ですから、反日左翼というより公正な学者という風貌です。普通の人なら騙されます。

 〈 3. 靖国祭祀対象は、「英霊」 〉

  ・幕末から維新にかけての主な殉難者は、吉田松陰、橋本左内、久坂玄瑞、坂本龍馬

 〈 4. 「英霊」になっていない殉難者 〉

  ・井伊直弼、佐久間象山、近藤勇、土方歳三、西郷隆盛

 〈 5. 御霊 ( みたま ) 信仰 〉

  ・死者を神として祀るのは、祟りを恐れる御霊信仰にはじまっている。( 相良親王・菅原道真 )

 非業の死を遂げた相良親王と不遇な晩年だった菅原道真は、祟りを恐れた為政者たちが神社を作り、神として祀っています。相良親王を神として祀る神社は、崇道神社という名前で、奈良と京都にあります。また菅原道真は、福岡県太宰府市にある太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)で、天神さまとして庶民の信仰を集めています。

 私がここで、氏の意見に疑問を抱いたのは、靖国神社の神道を語るについて、狭い解釈をしているところです。この解釈に従うと、靖国神社の神道が「祟りを恐れる御霊信仰」だけであると、聞こえてしまいます。

 氏は意識的に靖国神社の神道を、狭い、融通の効かない信仰として定義づけようとしています。こうすると、氏の反日左翼学説の説明がやりやすくなるからですが、学者としての良心を疑います。神道というのはいうまでもなく、西欧の一神教と異なり、八百万の神を信じるおおらかな信仰です。これといった経典もなく、厳格な教義もありませんから、色々な人が様々な解釈をしています。

 以前ブログで説明しましたが、氏と対立する立場にいる田中英道教授の意見を、もう一度紹介します。氏は、神道の特徴として三つを上げています。

  1. 自然信仰   山や木や岩など、自然そのものの中に神を見、人間もその一部であると考える。

  2. 御霊(みたま)信仰 優れた人や地域に貢献した人など、個人の魂を信仰の対象とする。

  3. 祖霊(それい)信仰 自分の祖先を神として大切にし、これが国の祖先である天皇と、無意識のうちにつながる。

  見ればわかる通り、小島氏は神道の三つの特徴の中の一つしか説明していません。なぜそのようなことをするのかは、次回以降の氏の説明で明らかになりますので、息子たちも、「ねこ庭」を訪問される方々も、お手数ながら足を運んでください。

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2 コメント

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Unknown (あやか)
2021-04-11 21:29:36
今回の靖國神社の沿革の話しは、
非常に重要なことであり、
猫様の論評を楽しみにしております。

靖國神社の起源が、幕末に徳川政権打倒運動に殉じた烈士を祭祀したものであることは、
僭越ながら、、私も存じております。
津和野藩士の福羽美静により、京都祇園社の境内に密かに設置された霊舎が、そもそもの起源ですが、
後に、、徳川政権により破壊されるのを恐れて、福羽氏の自邸に移設されましたが、
さらに後に、東京の靖國神社境内に移され【靖國神社元宮(やすくにじんじゃ・もとみや)】として奉安されております。

◆つまり靖國神社というのは、本来的には【革命烈士廟】であり、
そういう事を思いますと、私は心臓が高ぶり、思わず泣けてくるのです。

●ともあれ、靖國神社の歴史には、色々、複雑な紆余曲折もあり、反日的な者からは、
そこのところで、言いがかりをつけられやすい点もあるかも知れません。
ここで引用なさってる小島とかいう人も、そういう反日的な理屈屋だと思いますよ。

猫様の愛国ブログの論評を期待しています。
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小島氏の狭い世界 (onecat01)
2021-04-11 23:07:43
 あやかさん。

 「徳川政権により破壊されるのを恐れて、福羽氏の自邸に移設されました」

 そういうこともあったのですね。

 「本来的には【革命烈士廟】」

 そういう見方もできるのですね。

 経緯はさまざまあるとしましても、靖国神社が神道の社であることに変わりはありません。

 先日までに読みました、教育関係書の中で、反日左翼学者たちは、日本の教育を明治維新から語りました。

 列強の侵略から逃れるため、「西洋に追いつけ、追い越せ」と、国民の心を一つにし、外敵と戦う国にした、維新のご先祖さまの苦労も危機感も無視し、反日学者たちは明治政府の教育を、「天皇制絶対主義教育」「異論を許さない強権制度」と、口を極めて非難攻撃しました。

 小島氏のやり方も同じ方法で、明治政府が絶対的天皇制を確立するため、一方的に利用したのが、靖国神社だと言います。

 ここまで言いますと、結論は見えてきます。靖国神社は、「軍国主義」「天皇絶対制」「植民地主義」を宣伝するための施設だと、こんなつまらない理屈になります。

 相変わらず東大には、こういう「獅子身中の虫」が生きているのですね。立派な人物も沢山いるのに、「害虫を育成する害虫教授」も健在なのに驚かされました。

 これからもよろしく、お願いいたします。
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