田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

終戦の年の夏休みの思い出。 麻屋与志夫

2014-08-07 12:02:46 | ブログ
8月7日 木曜日
●朝から曇り。
どうやら今日は雨が降りそうだ。
雨が降れば、暑さもしのぎやすくなるだろう。
●夏休。
本来は楽しい思い出があってしかるべきなのだろうが。
GGはどうしても、小学校6年生の夏休み、敗戦の年の夏休を思い出してしまう。

●校庭の隅に直径15メートル位のすり鉢状の穴が掘られていた。
将来、霞ヶ浦の少年航空隊を志願したときに、飛行機に乗っても「めまい」がしないようにこのすり鉢状の穴を走ってぐるぐるまわる。
その穴が、なんと呼ばれていたのかわからない。

●その穴に台風の後で水がいっぱいに溜まっていた。
そして真白い水鳥が泳いでいた。
たぶん、カモメではなかったろうか。
はるか霞ヶ浦のある茨城の海岸がら風に乗ってとんできたのりだろう。
終戦の夏の思い出である。

●終戦の時の思い出の作品を再再録してみました。




蠅  (ショートショート 作品№3)
 戦争が末期をむかえようとしていた。
その切迫した空気は、幼いぼくらにはとうてい予感することはできなかった。
 昭和二十年の夏、軍隊の駐屯していたぼくらの国民学校では、ようやくそれでも空虚な日々がその無限の傷口をひろげはじめていた。
 どうしたことか、その日は運転手がキーをぬくのを忘れ、ぼくがアクセルをふみこむと、校庭に置き去りにされていた軍用トラックは筋肉のにぶいこすれあう音をたて不意にめざめた犀のように巨体をゆすって動きだした。
 予期しなかった始動にぼくはすっかり動転し、にぎりしめた黒い魔法の輪、ハンドルから手をはなすことができなくなっていた。
 フロントウインドにきりとられた光景……空ドラムやぼろ布の山積された校庭のそれは、この瞬間からいままでのぼくらの楽しい遊戯の広場とは異なった局面をみせはじめた。
 空ドラム。
 重油のしみこんだまだら模様の古材。
 すっかり原型をとどめていない軍靴や軍手、軍足、雑のう、そして焼却されるのをまつぼろ布の山。
 みひらかれた瞳の中へ収斂してくる風景のなかの品々には、もはや子供の領分における遊戯のための玩具としての属性はうしなわれていた。
 それらかずかずの物体はむしろ障害物、あるいは険悪な異次元からやってきた怪獣のようにさえみえるのだった。
 怖れのため叫び声をあげるべきであったろうが、なぜかぼくにはそれがはずかしいことのようで、どうしてもできなかった。
 極端なこの羞恥がどこからやってくるのかぼくにはまるでわかっていなかった。
 トラックはのろのろと、それでも八月の陽光と、樹木の影、廃物の累積の峡間をぬって砂ほこりをまきあげながら走りつづけていた。
 ブレーキをかけるすべをしらなかった。
 もしその技術をしっていたとしても、ぼくはブレーキをかける操作はしなかったろう。
 動きだしたトラックはガソリンの最後の一滴まで疾走しなければ、というような理屈になぜかそのころぼくはとらわれていた。
 それは……特攻隊機が確実な死むかって飛翔していくように、ぼくらも少年航空兵に応募してやがて死に直面するはずである未来がまっているという一種凛烈な感覚にささえられた日常を送っていたためだろう。 最後まで死をかけてやりぬくといった散華の思考にとらわれていたといえば誇張になるだろうか?
 ……ともあれ、ぼくはようやく動かすはことのできたトラックを停止させようとはしなかまった。
 ビー玉でも道路にうえこまれているのだろうか、きらきらした、さすような鋭い光がぼくの眼をとらえる。
 群葉の緑は夏の午後の猛だけしい光にそりかえり、それでもしたたる緑の滴のあつまりのように道の両側にあるのだった。
 手の中ににぎりしめれば濃緑色のねとねとした汁をぼくはつくりだすことができる。
 鼻孔に緑の匂いが充満する。
 それはぼくのすきな夏の芳香。
 かぎりなき自然の生命力を謳歌するかぐわしい香りが未発育なぼくの肢体を鼓舞する。
 ――セクシャルな粘液としての緑の滴。
 しかし、ぼくは自然の情感にのみひたっているわけにはいかなかった。
 戦場ではすでに敗色濃厚な日夜を兵士たちがそれでも抗戦と玉砕の陰惨なつみかさねによって過ごしていたが、ぼくら幼いものたちは、汎神論的色彩によってしか戦争というものをとらえることはできなかった。 鉛の兵士たちを狙撃してたおす遊びの中の死と、現実におこなわれている戦域での死はまったく等価であった。
 つまりぼくらはまったくのところ子供だったのだ。
 しかしぼくらの周囲でもようやく余計者や廃物である品々が凶器にかわるような変容がはじまりかけていたのだ。
 運転席は極度の緊張のためぼくの身体からながれだした汗でぬめぬめしだした。
 ぼくはとまってはけない。
 それ右折だ……あ……正面に敵兵いる。
 それ、警笛の機銃掃射をあびせるんだ。
 えい、ちくしょう、これでもか……。
 ぼくは独白をつづけ、その想像の敵にむけられた独白の鮮烈さのために一層興奮し、陽にあぶられた大地にくっきりとあざやかな車輪の跡をのこし英雄になった快楽に酔っていた。
 快楽は永遠につづきそうに思えたが、不意にあらわれた人影によってはかなくも中断されてしまった。
 男は車と平行に走っていたが、やがて運転席の扉に敏捷に飛びつく。
 ぼくの隣りへすべりこんできた。
 学校の裏側の湿地帯に居住している朝鮮人の青年に違いない。
 かわってやるからどいてろ。
 子供の領分への侵入者は異臭を口もとからただよわせていた。
 どうするのさ。
 逃げるんだ。
 逃げる。どこへ?
 わかるものか。
 化石した表情のまま彼はいった。
 トラックはすばらしいスピードで夏の埃と影と光の舗道を走りだしていた。
 きりさかれた風景が両側へ流れる。
 彼の蒼白に冴えた顔をみていると、その緊迫感が座席の動揺とあいまって、ぼくにもつたわってきた。
 樹液のように恐怖が体内にはいりこんできてぼくは顔まで青ざめるのがわかった。
 寒いわけではなかったが、軽い身震いが身体をおおった。
 彼の行動には、ぼくの容喙を拒否する、冷酷で堅牢なよろいで武装されている感じがあった。
 怖れのためとぎれとぎれにぼくは彼に問いかけた。
 沈黙の重みにとうてい耐えられそうにもなかったから。
 どこまでいくの?
 ぼくは自分のおちこんだ事態をよりよく理解しようとするのだった。
 言葉はただ、運転台のある狭い空間にこだまする。
 青蠅が足もとのほの暗い部分でちいさなうなり声をあげていた。
 そのうちの数匹が彼の胸のあたりのいまはすでに退色してもとの色がすっかりわからなくなっている(たぶん黄緑色の作業衣だったろう)にとまった。
 じっとして彼の体臭でもかいでいるように動かなくなる。
 いたずらに言葉を消耗させるだけの……言葉のむなしい散乱にあきて、ぼくは彼の胸の蠅の動きに視線をおとす。
 やがて一匹の蠅が群れを離れ(いつのまにか、蠅はきゅうげきにその数を増しているのだった)フロントウインドにとまる。
 蠅が移行したグラスの表面になにかわからないが、跡、あるいはかぼそい点線が捺印される。
 フロントウインドの中の世界では樹木とあらゆる角、あらゆる面は夏の光をあびてきらきら輝いていた。 舗道がつき、密集した家並が消え砂利道になりふたたび舗道がはじまった。
 しかし道の外の世界には建造物はない。
 緑にもえたつ樹木だけがある。
 いくさおわるね。ニホン負けだよ。
 彼がつるされた鶏の声でいう。
 いくさおわるよ。
 うそだい。
 後頭部をふいになぐりつけられたような衝撃にぼくは<ウソだい>とはげしく否定する。
 そんなことがあってたまるものか。
 ウソなもんか。
 もうじきわかるさ。
 どのくらいまてばいいの?
 もうじきだ。そのときがくればおれたちも解放されるんだ。
 カイホウ?
 自由になれるってことさ。
 ジユウってどういう意味なの? 
 自由の魅力。
 自由の定義。
 自由のイメージ。
 自由という言葉をぼくはそのときはじめて耳にした。
 ぼくの語彙には自由という言葉はなかった。
 ね、自由ってどういうこと。
 そのあとで朝鮮人の青年がどういう解釈をぼくにふきこんだか、すでにぼくは忘却している。
 かえりたいよ。
 しばらくしてぼくはいった。
 もどるわけにいかない。
 彼はふたたび暴力的にいった。
 ぼくかえりたいな。
 もどりたいよ。
 ぼくがかえらなければみんなが心配するよ。
 心配させておくさ。
 止めてよ。
 いますこしまて。                              
 いつまでまてばいいの?
 ともかくまてよ。
 まっていれば、帰してくれるの?                          
 ああ、そうだ。
 まっていれば、そのうち、おれがいいとおもう場所にきたら止めてやるからな。
 それまでまつんだ。
 ぼくは、またなければならないだろう。
 いつまでまてばいいというのだ。
 トラックは斜陽のなかへつっこむように、草原にのびた道をすばらしい速度感と充実したエンジンの轟音をひびかせて走っていた。
 ぼくは黒いハンドルをにぎる男のひからびてごつごつした魁偉な指をみつめながら、不思議と恐怖のうすらぐのを覚えた。
 ぼくはまたなければならないだろう。
 なにを……またなければならないというのか?
 草原のはてに駅がみえはじめていた。
 彼はあそこからぼくを送りかえしてくれる気なのだろうか。
 ハンドルに上半身をかぶせ、彼は低く口笛を吹きだしていた。
 しかしそれがとぎれとぎれになり彼はますますふかくハンドルのうえにかぶさり無数の蠅がその顔にまで群がっていた。
 やがて彼は蠅に全身をおおわれ、黒くうごめく蠅のレースにつつみこまれてしまう。
 トラックは、それでもなお執拗に彼の意思をのせて草原の彼方の駅へと走りつづけていた。
 ようやく窓からふきこむ夏の埃と草いきれにまじって、ぼくのかたわらに血の匂いをかぐことができた。
 彼はすっかり蠅のなかに埋葬されていた。
 ぼくは光暈の中の駅が遠ざかってしまうようないらだちにおそわれていた。





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