田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

日暮れて道遠し   麻屋与志夫

2016-04-23 07:17:14 | ブログ
4月23日 Sat.

●「どれくらいかかりますか?」

●目的地までの時間、どれくらいでそこまで行けるか訊くと、「10分くらいで着きますよ」という返事がもどってきた。

●ところが、歩けども、歩けども、目的地に到達できない。こんな経験をしたことがありますか? ないでしょうね。だってみなさんは車にのっていますもの――。わたしは車にはのらないで、徒歩の時間で距離をかんがえます。

●車で10分というと、歩くと1時間くらい、いやそれ以上かかります。

●若い時、隣町の宇都宮から歩いて帰って来たことがある。とぼとぼ歩いているうちに、日が暮れ、こころぼそかった。3時間ほどかかった。わたしの歩行時間に関する思考回路はこの時の経験からなりたっている。宇都宮までは三里(なんて古い)、12キロ。車で15分。歩いて三時間。徒歩では1時間に4キロ。薄暗くなった道をひたすら、鹿沼に向かって歩きつづけた。

●「日暮れて道遠し」なんて感覚はいまのひとには実感としては理解できないだろう。二足歩行がたよりだったわたしたちの世代の人間だけが、若き日の感傷とともに思い出すことだろう。

●恋人の家まで通い詰めるなどという言葉は歩行者でなければわからない。

●いまでは、二足ではなく4輪だ。

●日暮れて道遠しと言えば、「徒然草」の112段だ。白居易小伝に、「日暮れて途遠し。吾が生己に蹉跎(さだ)たり」とあるところからの引用だ。

●わたしの周囲から知り合いが消えていく。まず歩けなくなる。寝たきり病人に成る。そして――。

●幸か不幸か、わたしは車にはのらないので、むかしから二足歩行、足だけが空間移動の手段だ。いまでも、10キロくらいはリックにつめて歩いている。日暮れて道遠し、わたしの人生は思うように成らなかったことのれんぞくだった。などと考えて、とぼとぼと、10キロのお米を背負って夜道をベニマルから帰って来ることがある。

●健康だけが取り柄。それも、二足歩行をつづけてきたからなのだろう。とクルマ社会からハジキとばされているわが身を自嘲しながら歩きつづけている。

●カミサンの弟の永代供養がこの月末に宇都宮の恵光寺でとりおこなわれる。「駅から5分くらいですよ」と言われて、「ああ、車での時間だな」と理解出来たのは上のような経験があったからだ。




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