田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

10 尺八の音に誘われて  麻屋与志夫

2017-12-28 21:34:26 | 超短編小説
10 尺八の音に誘われて
 
妻とよく散策した黒川の河川敷、郷里鹿沼にもどったときには必ず訪れる風景のなかの点景人物にわたしはいまもなっている。
どうやらまだピテカントロプスエレクトス(直立猿人)として二足歩行は可能のようだ。変形性膝関節症のわたしには辛いことだが――。
この黒川は日光山系から小来川に流れ、途中で行川(なめがわ)と合流して鹿沼まで到達する清流である。
南朝の藤原藤房公が小来川に来た時、薬師堂の丘から眺めた景観を見て「湧き出でし 水上清き小来川 真砂も瑠璃の光をぞ添う」という和歌を詠まれました。この「小来川」の文字が地名の由来となっていう。そうした地名の由来をヤフーの検索で知ったのはいつのことだったろう。
「だからこの黒川の上流――を土地の人は、オコロガワ、と呼んでいる」
「こんなにキレイな流れなのに、どうして黒い川というの」
「それは……」といったところでわたしは言葉をのみこんだ。
妻が最初の子どもをミゴモッテいた。まだ元気だった両親にその報告がてら舞い戻った故郷――はじめての黒川河畔の遊歩道でのことだった。
日光男体山開山にあたり、勝道上人が土着の北方民族との戦いに明け暮れ、その流した血は夜になると生臭く黒い流れとなった。と古文書が伝えている。赤い血の色が月明かりでは、黒く見えたのだろう。
そうしたなまなましい血の歴史を語ることは、妊婦にはふさわしくない。――そうした配慮から言葉を紡ぐことを中断したのだった。
あれから幾たび、この河畔の遊歩道を妻と散策したことだろう。
遊歩道は流れぎりぎりのところに敷かれている。
旧帝国繊維の工場群の辺りからはじまり貝島橋の辺りで途絶える。遊歩道の行く手が、バジッと切断されたように途切れてしまうのが、いかにもこの街の土木工事らしかった。ここまで歩いて来て人は、振りかえって真逆のほうこうに戻ってください、といわれているようだ。前に進むことはできない道なのだ。
元来た方にもどらなければならない。せめて、土手に登る道でも作っておけばいいモノを――。また来た道を戻るということは、たまらない。閉塞感にさいなまれる。
「アラツ。尺八の音色よ」
わたしのかたわらを歩いていた妻がつぶやいた。低い妻の声よりも、なお、かすかな尺八の音色が嫋々と河川敷に流れていた。いままで、その音に気づかなかったのは、わたしがもの想いにふけっていたからだろう……。
川面には夕霧がながれていた。
渇水期とあって流れはゆるやかだ。
尺八のかすかな音色は川面にすいこまれていく。
川音と尺八の音が融け合い幽玄な調べとなってきこえてくる。枯れ芒があるかなしかの風にゆらいでいる。
遊歩道の縁が防波堤のように普通の縁よりも高くなっている。ちょうど、腰をおろすのにいい高さだ。そこに虚無僧が尺八を作法通りにかまえて吹き鳴らしていた。足を「く」の字に曲げた蹲踞の姿勢から女性と知れた。かたわらに、白い杖がこれもコンクートの縁にたてかけてあった。
「いまどき、本当に珍しいわね」
妻は未来のじぶんに声をかけている。
「あなたが、さきに死んだら、四国巡礼の旅にでるわ。旅の途中で、行き倒れて死ぬのがわたしの美学よ」
不吉なことをいうなとはわたしはいえなかった。
「それとも、虚無僧になって奥の細道の旅に出ようかしら」
わたしはなんとも返事ができなかった。
妻の想いとは逆に、わたしがとりのこされている。
傍らにいたはずの妻がいない。
たしかに、いままで妻の声がきこえていたのに。
妻がいない。
遠くにいってしまったのに、いまはきみをいつにもまして、身近に感じる。
妻を感じることは――できる。
リアルに感じる。
尺八の調べに誘われて、いまふり返ったなら、わたしはなにを見るだろうか。
虚無僧の姿は消えて、白い杖だけがポッンと石畳上に冬の斜陽をあびて在るだろう。
ふいに、川の表層がもりあがる。波となって寄せてくる。
波はわたしをのみこもうとする。波頭がもりあがっておしよせてくる。
濃密な生きもモノの気配が、波には潜んでいた。
波が吠えた。ズブヌレになって、波の牙に追われて、わたしはただひたすら逃げた。
膝の痛みがあるのでギクシャクとした走行だ。波がなぜ怒りくるっているのか。
わからない。波を避けて走りつづけた。
まだ、死ぬには、早過ぎる。
まだ、傑作と広言できるようなものは書いていない。
もつと、ましな、小説を書きたい。
いままで書いてきた小説はどれも気にいらない。
「もういいわよ。もう諦めて、書くのやめたら」
妻に宣告されたのはいつの日のことだったろうか。
「わたし待ちくたびれた」
妻が嘆声をもらしたのはいつだったろう。
「才能がなかったのよ」
妻のステ台詞。
そんなことは、じぶんがいちばんよくしつている。悲しいことだが――。
でも始めたことはやめられない。やめることはできない。
書きつづけることで、わたしは生きている。
書かなくなるといことは、死を意味する。書くことが命なのだ。
川辺からは遠ざかったつもりだった。まだ遊歩道でもたついていた。
背後から襲いかかる波は、蘇芳色をしていた。
血の色だ。
牙を剥いて襲いかかる波。
大波。小波。
波に翻弄される。
波頭が砕ける。
白いはずの波。牙まで血の色をしている。弧を描きながら襲いかかってくる。
波頭から飛び散る波しぶき。生臭い血の臭いまでする。
まだ、まだ――、だ。
まだ、もっとましな小説が書ける。
まだ、生きぬいて、いい小説が書きたい。
いい小説とは、どんな小説なのだ。
川の霊体よ、はわたしの脳の動きを読みとっているのなら、教えてくれ。
怒涛となって、わたしをのみこむ前に教えてくれ。
膝が痛む。もう先には進めない。教えてくれよ。
わたしと妻の会話を読みとっている川よ。
教えてくれ。
見せてくれ。
妻の姿を――。
わたしの手に杖が現れた。
いや、これは骨だ。
わたしは妻の骨を突いて、川の堤をのぼりだした。
暮れなずんでいた冬の日がようやく夜をむかえようとしている。
わたしは杖をついた。三足歩行となった。
膝はさらに痛む。
妻が河川敷を見はるかすベンチに座っている。
ベンチに座ったが妻のワイドパンツの片裾が風になびいている。
わたしを励ますように手をふっている。
妻までの距離が遠い。
わたしはついに堤の斜面を這い登りはじめた。
妻の骨を杖として、妻に助けられながら、土手を這い登る。波を逃れて土手を上る。
這いずりながら妻の手招きに、妻の期待に添うべく土手を這い進んだ。
尺八の音はいつのまにか途絶えていた。

第二稿




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