8月3日から8月5日のルーテルこどもキャンプ。
全国から広島に集まった約50人の小学5、6年生に、平和のことを考えてもらう3日間。
20世紀から21世紀の狭間に生まれた10歳から12歳の子どもたち。
この3日間で何を感じ取ってくれるのでしょうか。
今日は平和大通りのオリーブの木の下で、パレスチナで切り倒されたオリーブの木から作ったパンフルートと歌で演奏をしました。
広島に原爆が落ちたちょうど同じ頃、パレスチナの地に落ちたオリーブ。
そして、原爆で何もかもなくなった広島に小豆島から届けられたオリーブ。
どちらもそれぞれの場所で大きな樹になりました。
ところがパレスチナのオリーブは紛争で切り倒されてしまいました。
でも今日、そのオリーブは楽器として甦り、広島で平和の言葉を語りました。
子どもたちの心にどんな言葉が聴こえたのか、訊いてみたいなと思います。
この模様は明日(8月5日)のお昼前(11時45分~)のRCCニュースで少し流れるそうです。
もしお時間があればテレビのチャンネルを合わせて下さいね。
65年前の今日、8月4日。
2日後の運命を知らない活気で、広島は満ちていました。
それを思うと胸が苦しくなります。
戦争中とはいっても子供たちは夏休み。
学徒動員や建物疎開のない子どもたちは川で泳いだり、魚釣りをしたり、夏を満喫していたんでしょう。
原爆を落とすために(その被害がどれくらいかを正確に知るために)、8月6日まで広島には一発の空襲も落とされなかったと言います。
つまり「戦争を終わらせるために落とした」という大義名分は、ただの口実。
実は1944年の9月に英米間で、最初の原爆はヨーロッパではなく日本に投下されることが決まっていたそうです。1945年の5月、候補地は人口の多い17都市の中から京都、広島、小倉、新潟が選ばれ、ここに空襲することを禁止。そして最終目的地は7月25日に広島、小倉、新潟、長崎にしぼられ、原爆を落とす命令が出たのは8月3日。
そして広島は悪夢の8月6日を迎えます・・・。
何も知らなかった広島の人々・・。
被爆者の人たちが被爆体験を話したがらない理由は、その体験があまりにもむごいから。
私が初めて原爆の恐ろしさを知ったのは、小学校の修学旅行の長崎の原爆資料館。生まれて初めて資料館を訪れた日は、その遺品や写真を見て気分が悪くて吐きそうになりました。。
写真を見ただけでもそうなのに、それを実体験した子どもたちがどんな気持ちになるのか、想像に難くありません。
その時代の子どもたちは今65歳以上のお年寄りになり、家族を持ち、それぞれ平和な広島で生活をされています。
思い出したくない日々。
だけど忘れてはいけない日々。
どんなにか苦しかっただろうと思います。
だけど21世紀の子供たちへ伝えて欲しい。
戦争のない世界を創る尊さを。
正しい戦争なんてない。聖戦なんてない。
この地球上から無くなってもいいいのちなんて1つもない。
オリーブのパンフルートのように語って欲しい。
もう二度と私たちが間違えることのないように。