今日は日本福音ルーテル大江教会の立野泰博牧師と「ほほ笑みと感謝の会」の中村純先生(パンフルート)、平田玉代さん(声楽)、三輪真理(ピアノ)というメンバーで、広島女学院中学高等学校のキリスト教強調週間で講演させてもらいました。
今回は「いのち、寄りそい、希望〜苦難の現場に身を置く」というタイトルで、立野先生がこれまで関わってこられた、パレスチナの子どもたちの支援活動、そして東日本大震災の支援活動などについてのお話でした。
イスラエルとの長く続く紛争で、パレスチナ人居住区を囲むように立てられた高さ8メートル長さ500キロにも及ぶ分離壁のせいで、一生壁の外に出られないだけでなく、命の保障もないパレスチナの子どもたちの生活。その子どもたちに希望を届けるためパレスチナで切り倒されたオリーブで作ったパンフルートとそのために作られた「Peaceful Wind」という曲のこと。
そしてその後に日本で起きた東日本大震災のこと。
被災地での支援活動で出会った人々のこと、命のこと。
人生の苦しみや困難は、誰一人望んでそうなるわけではなく、
「たまたまそういうことに遭遇してしまった」
ということがほとんど。
そういう苦難や困難に自分自身が出会った時、そして身近な誰かが出会った時、
そこにどういう気持ちで向き合い寄りそって行くのか、、それは誰にとっても簡単なことではないはず。
「他人の痛みを自分のことのように」感じる「共感力」は、本来、人に自然に備わっているものではなく、知識や経験によって身についていくもの。
まだ中学や高校生の生徒さんたちは、そんな経験もそんな話も一度も耳にしたことない人の方が多いでしょう。
今回の講演をきっかけに生徒さんたちの心に少しでもそういう「共感力」が芽生えてくれたらいいなと思います。
今回の講演は、中学生と高校生の皆さんが相手ということで、私が参加した講演会では過去一番年の若い方が対象でした。
高校生科と中学生科に分けて2回のお話でしたが、中学生にはさすがにちょっとショックの強すぎる内容については立野先生も調整しながら話されました。
被災地を訪ねる人の「どうしてお子さんたちは裏山に逃げなかったんでしょう?」という悪意のない言葉に、「それを今さら問うて何になるんでしょうね。」と目を伏せる親御さんたち。
我が子の入った棺の前で数時間泣き尽くしてそのあと自らトイレで首を吊ってしまったお母さん。
「神さまっているんでしょうか・・・?」って思わず漏らしてしまった牧師先生に「牧師さん、牧師さんがそんなこと言わないでください。もし神さまがいなかったら死んだ私の娘は救われないでしょう?」と本気で怒ったお母さん。
死んでしまった子どもに「会いたくて、会いたくて、、」と毎日のように手紙を書き続けるお母さん。
どうしようもできない苦しみを目の当たりにすると、人は本当に無力で弱いと思います。
美しい言葉やありきたりな慰めの言葉は何にも役に立たない。
話を聴きながら一緒に演奏をする私たちも、ただただ涙を堪えながらの演奏ですが、このことを忘れてはいけない、伝え続けなくてはいけないという思いで一心に演奏させていただいています。
「その時、私だったらどうするのか?」
生徒さんたちに、今回の講演を通して、すぐには答えの出ない問いをしっかりと心に刻んで欲しいと思います。
そして人の悲しみや苦しみに寄りそい、一緒に泣いて、そしてそこから一緒に希望を作り出すことのできる人になって欲しいと思います。
終了後ランチタイムを利用して立野先生の質疑応答や中村先生からパンフルート紹介など。
恒例の全員集合フォト。
立野先生の講演は毎回ほとんどスライドと音楽をセットでの講演の形を取られています。
お話だけよりも心に深く届くようで、日野原重明先生の「新老人の会」をはじめ、学校関係、保育園や幼稚園の教師会や保護者会、広島YMCA、ライオンズクラブ、ジュノー音楽祭、市民クリスマスなどこれまでいろんなところで講演をさせてもらいました。
お話を聞いてみたいと思われた方は、ぜひ立野泰博牧師まで。
先生の著書はこちら。
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