姫路大手前・岡崎外科 消化器肛門クリニック ブログ・肛門科通信

姫路城が好きで姫路在住の消化器・肛門科医によるクリニックのブログです。胃腸肛門の情報あり、気軽にお越し下さい。

姫路城石垣の雑草まで紅葉です

2010-11-22 12:59:11 | 姫路城の写真
姫路城内濠の石垣です。雑草まで紅葉してきれいですね。この石垣は毎年自衛隊の方々が、訓練をかねて「草刈り」するのが有名です。去年の草刈り軍の様子はこちらです。アクセス好評、おなか医者奮戦記はこちらです。

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おなか医者(17) Z先生の雷は麻酔をさます

2010-11-22 00:00:45 | おなか・おしり医者奮戦記
 Z先生は大層な巨漢。晩年は病気のために弱っておられましたが、当時は大変お元気で、術前カンファレンス(会議)で突然怒鳴ると、会議室の床が抜けるかと思うような衝撃がありました。同期のかやぼう君(たーさん君だったかも)がZ先生と一緒に手術に入ったときのこと。手術室ではベテラン麻酔医が全身麻酔の導入も済み、挿管後最初の血圧でも測ろうかという頃。かやぼう君の手袋をはめる操作が、不潔になりかかったその瞬間、Z先生から部屋中をふるわす雷が落ちました。その時の麻酔医が「あの時麻酔がかかった患者が、びくっと震えたんだ」と言い張るのです。そんな馬鹿な、先生がびっくりして震えたんでしょう、と言ったものです。しかし、麻酔の実績も多く、麻酔の理論派である先生が、「いーや、絶対あの瞬間びくっとした」と言いはるのです。何度聞いても同じことで、ついに真実となり、Z先生の逸話入りを果たしたという訳です。

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おなか医者(16) 名物Z先生の武勇伝?

2010-11-21 00:00:01 | おなか・おしり医者奮戦記
 当時の大学医局には名物の先生がたくさんおられました。そのうち逸話の多い、Z先生のお話を。Z先生はすごく大きな先生でした、体も頭も指も手も声も。同期のあさしゃん君が大分県N津市の当直病院の院長先生から聞いてきた話。1990年当時、「20年くらい前の話」ですから、40年も昔のことでしょうか。Z先生当直中に、まあそれはいじましい、嫌な「やくざな方」が怪我で受診されたとのこと。傷の消毒でいやがる、局所麻酔で痛がって悪態をつく、まあ今としては「普通の」患者さんのような気もしますが、Z先生は切れてしまいました。Z先生の良く通る太い声で「そんなら麻酔無しで縫います」。もちろん、十分麻酔は効いていたのでしょうが、びっくりした患者さん「やめてくれー、そんなことされたら死んでしまうー」と逃げ回る。Z先生追いかけて「死ねー」といいながら縫い上げた・・・。今となっては真偽のほどは定かでもなく、何だか良く出来た武勇伝のような気がしてきました。その当時はある程度のリアリティを持って聞いたような気もするのですが、時代の方が動いているのですね。

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おなか医者(15) 困った患者の男気(おとこぎ)スイッチ

2010-11-20 00:00:52 | おなか・おしり医者奮戦記
 ちくほう市の救急病院での話。交通事故の多発外傷、ひとまず命を取り留めたことを確認してから、傷の処置をしていました。にわかに待合室が騒がしくなって、一人の威勢の良いお兄さんが飛び込んできました。片腕に包帯をしており、血がにじんでいます。「いつまで待たせるとか」とわめき始めました。よくあることです。多発外傷がなんとかなった達成感と、ベースを流れていた若干のイライラ感と、当直救急医に少し慣れてきた余裕か、なんと「なにゆうとるか、こっちの方がひどいだろうが。軽症は待っとけ」と言ってしまったのです。言いながら、あちゃーこりゃ大変なことになったぞ、と思い、最後の語尾はやや震えたのを覚えています。さあ、殴られるか、どっちから逃げようかと考えた瞬間、威勢の良いお兄さん多発外傷を見てただちに反省したのか、「おっしゃ分かった。まだ待合にがたがたゆうとるんおるから、交通整理してくるわ。先生しっかりやってくれ」と急に良い兄貴になってしまいました。「いやいや、何もしなくて結構ですから、待合室でお待ちください」川筋気質と言われる気性の荒い人たちでしたが、男気スイッチもあったのですね。

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おなか医者(14) 困った患者・困った時代の始まり

2010-11-19 00:00:30 | おなか・おしり医者奮戦記
 困った患者もあります。交通事故や、けんかで来院し、待合室でけんかを始める例。泥酔している方。当時、はやり始めていた携帯電話での会話を診察台の上でもやめない方。色々ですねえ。何らかの医療が必要な患者さんならば、どんなに態度が普通でなくても、我々にはすることがあります。困っちゃうのは、何も医療の必要のない患者さんです。むかしは、追い返してしまうこともあったと聞いていますが、現在のように医療、医学が進歩してしまうと、「何か見逃すとあとで大変」ということになりました。普通ならば病院に来なくてよい患者さんにまで、時間をかけて診察する、そして本当に医療が必要な人を待たせてしまうというジレンマが始まりかけていたのも、この時代だったと思います。(この物語は1990年頃の駆け出し医者のお話で、フィクション+ノンフィクションです。現在の話ではありませんので、誤解のなきよう。)


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おなか医者(13) 不思議な気持ちのお見送り

2010-11-18 00:00:52 | おなか・おしり医者奮戦記
 なぜ、私は今日この日に、この方のお見送りをすることになったのだろう。当直先病院で患者さんを「お送り」する時の気持ちです。医者になって、もう数年が経ったころのことでした。大学病院の近くのいわゆる老人病院の当直を頼まれて勤務していました。外来も病棟も著変なく、ぐっすり寝ていると夜中にコール。明治末年生まれの女性、「先ほど呼吸停止、救命処置はなし、です」と。駆けつけてみると心電図モニター上まだ心臓は動いていますが、リズムもとぎれとぎれになりかかり、まさに「いまわのきわ」。この方は身寄りがなく、あらかじめ主治医とご本人の間に「臨終の際はなにもしないでください」という約束がされていました。モニターの波形が停止してから、死亡確認そして死亡時間のコールです。私は時計を見ながら、「午前◯時◯◯分」と言いました。言いながら、不思議な気持ちになっていました。もう一分ゆっくり待ってコールすればその時間が死亡時刻になりますが、そういうことではありません。病院に来られる身内もなく、明治からたった今まで生きてこられた、ついさっきまで私の知らなかったこの方の終わりの時刻を私がここでコールしている、その不思議さでした。当直室に戻ると当時総理大臣だった細川護煕さんが、真夜中に「国民福祉税を創設します」という緊急記者会見をしていました。(1990年代のフィクション+ノンフィクションです)

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姫路城西の紅葉です 岡崎外科ブログ

2010-11-17 19:24:10 | 姫路城の写真
姫路城西側の紅葉がきれいです。赤、黄、緑でとてもよく映えています。同じ場所の8月は、こんな感じでしたよ。アクセス好評、おなか医者奮戦記はこちらです。

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おなか医者(12) 当直先でのステルベン

2010-11-17 00:00:29 | おなか・おしり医者奮戦記
 たまにしか行かない当直病院での、患者のステルベン(死亡)に立ち会う事は、大変なストレスです。老人病院で長く入院されているかたは、ほぼ寿命に近い形で亡くなる事も多いので、そういう場合はまだよいです。しかし、お年寄りの場合は元気なようでも、風の吹く剣が峰を歩いているようなところがあります。そういう急変には、それ相応の対応が必要ですから大変です。あらかじめ対応が主治医とご本人、ご家族とお話が着いている様な場合はよいのですが、入院直後などまだ対応が決まっていない場合などは、出来る限りの救命処置が必要になります。手を尽くしても不幸な結果になることもあり、そういう場合はご家族の到着を待ち、説明をして、とそれこそ徹夜になってしまうこともあるのです。それでも当時1990年頃はまだご家族からは、「ありがとうございました」と頭を下げられることの方が多かった様に思います。しかし何の因果が、これまでの人生で全く触れ合うことのなかった患者さんと、当直医を引きあわせるのでしょう。不思議な気持ちでお見送りをするのも、当直病院での一コマでした。
(1990年頃の研修医の物語で、フィクション+ノンフィクションです)
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閲覧数37万回ありがとう 姫路肛門科岡崎外科

2010-11-16 19:18:21 | 医院内外の様子
11月15日に、閲覧数(PV)が37万回を越えました。ありがとうございます。これからもよろしくお願いいたします。大手前交差点に面した窓のLED電飾を今年も点灯しました。

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おなか医者(11) 寝られない「寝当直」

2010-11-16 00:00:48 | おなか・おしり医者奮戦記
 おなか医者としての奮戦記は、思い出深い当直の景色から始まりました。当直と言っても、実際は「夜勤」の病院もあります。また我々の間では「寝当直(ねとうちょく)」と言われる、本当に「寝るだけ」のことがほとんどの楽な当直もありました。もう少し当直のお話をしてみましょう。M上外科である程度の度胸がつきますと、「寝当直」も回ってくる様になります。さすがに元気な若い外科医も「夜勤」当直と大学病院の激務では体が持ちませんから、そこは配車係の助手の先生が「寝させて」くださる訳です。今回は寝当直の話。寝られる率85%の小倉中央病院(もちろん仮名)で3回連続寝られなかった話です。こういう病院には高齢者が多く入院していますから、寝られないのは患者さんが重篤な時、亡くなられる時です。亡くなることを医者の隠語で「ステルベン」と言いますので、私の場合は「小倉中央で、3回連続ステりました」と言う訳です。3回の内2回までが入浴中に、急に呼ばれて駆けつけました。呼びにきた看護婦さんは「こんなこと滅多にないので、懲りずにまたきてくださいね」と言っていました。
(1990年ころの研修医の物語です。フィクション+ノンフィクションです)
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