その後も5ページ読書はつづけている。
今日は《 顔 》という現象 鷲田清一
顔というものには一方通行的な顔・・・テレビやグラフィック雑誌などで見る顔・・・・これは見る相手には「見返されない」という不可逆的の関係がそこにあると・・・・
テレビの画面の顔にいちいち反応してみていることもあるかもしれませんが、表情筋も動かして反応していることはないでしょうね。
顔の表情には「うれしい」「たのしい」「かなしい」「くるしい」「おもはゆい」「はずかしい」「いらだたしい」・・・・そのような感情にぴったり対応の顔つきがある。その限りでは顔とは「記号」であるという事だ。
顔から受けるものとして顔だけではなしに体から発する表現や声も入り混じって相手にいろいろな反応が伝わっていくというものだ。いままでこんな事詳しく考えたことが無かったが、直接の顔との出会いと一方的に流されてくるテレビなどの顔では全く違っているしそれへの反応も人間は知らず知らずに区別するようになってきたのだと思う。また一方的に与えられるテレビの顔等の切迫的な顔の表情から力を感じ取ると言う経験を希薄にしてしまったという影響は知らないうちにそうなってきたのでしょうね。
直に人間との接触においては「傷つけられる」「蔑まれるまなざし」「そむけられる眼差し」「無視される」・・そこには背けられた背中にも傷つけられる」顔は体から発するものをも受け止めてそのまなざしや背中からも傷が付けられるのである。
こうして時代がどんどん変わっていくうちに、知らず知らずのうちに人間は変わって行っているのでしょう。逆らってもどうすることもできないことではありますが。
高校の教科書でこんなことも考えたり学んで大人になっていくのですね。
6ページに亘る鷲田さんの文から少し分かったようなわからなかったような・・・・
人間は体中から発するものが顔の表情だけでは無しにすべてが「顔」なんだという事。
今どき、マスクはお化粧もしないで済むし、日焼けにも良いかなと思いますが、マスクに頼る生活が続けば、ますますそれは分かりにくくなっていきますね。表現も表情筋もどうでもよいような人間の顔になって・・・
今既に私の顔はそうなりつつござりまする・・・困ったことです。マスクを外した時鏡に映った自分の顔に驚愕する毎日です。無表情でいることに慣れっこになっています。取り戻すのは大変です。
マスクでは顔の表情は分かりません。
サングラスを掛けるのは、眼の動きを読み取られない為です。
タモリさんで、実に分かり易かった。
個人的には、枇杷葉の花芽や種のエキスを、化粧水として使っております。
身体・全身にも。
枇杷湯です。
踵も膝もあらゆる箇所が、艶やかで滑々です。
枇杷葉茶を飲むのも、血管の掃除・マクロのルンバ縦横無尽で、元気そのもの。
出不精なので、外出しませんからマスクはゼロ。
スッピンでも肌は潤いが溜まっています。
この時期には、花芽が咲いていますよ。
無農薬が良いですが、ホワイトリカー35℃・必須で漬けてみられては如何でしょう?
尤も、直ぐには使えません。
1年以上がベストです。
詳しくは、拙ブログの過去ログに。