ばばの気まぐれ日記

老後の暮らしというものはこういう事だったのかと思う日々
老後を迎えて初めて気が付くことも多い日々

嗚呼の続き

2016年05月13日 | 雑感

午前中ある集まりの爽快ではなくて総会に出席のために出かけていました。本日も大変良いお天気で爽快な空気です。

昨日の疲れが出てきたのでしょうか?お昼過ぎから少し寝ましょうと思いつつ3時半まで昼寝をしてしまいました。

さて妹の所へ尋ねて感じた事ですが、身体的にはあまり変化がありません。快方に向かっているかと言えば、新しい進展はなく、では後退したか?と言えばそれも特に顕著な違いは見受けられません。

難病というのはいったいどうなる事なのでしょうね。治るという見通しも立たないままに、特に変化がないならそれでよいという気持ちにもなれません。

姉妹でもどうすることも出来ません。お見舞いに行った時だけでも、タオルで顔や手足を拭いてやるとか出来る事は限られています。手足を擦ってやったり・・音楽療法と言ってみんなで集まって歌を歌ったり手拍子を叩いたりsazae3も姉と一緒に参加しました。

傍で大きな声で歌ったりすると皆様も引き込まれるのですね、妹も少し反応がありました。

施設では介護に携わる方がどんなに頑張ってみても、身の回りのお世話で忙しく、ひとりひとりと時間を掛けて会話を交わす事はなかなか出来ません。

身体的に自分で行動出来なくて不自由な方々は、一日中天井を見つめて無表情に暮らすしか方法がございません。それを見る事は辛いものがありますが、致し方がない事ですね。

老後は身の回りの介護は必要に迫られますが、精神面での支えとなるお世話はなかなか出来ることではありませんね。お話し相手等の必要性がこれからは重要な課題となるでしょうね。

自分で身動きが出来なければ何かしたいと思ってもそれが出来ないのですものね。ただ寝て天井のシミでも数えるしかする事がありませんね。毎日この様な時間の経過だったら・・・・・皆様どうしますか?

この様なことに対する何か方策はないものでしょうか?これこそ他人事ではない事です。人間は何もしないで過ごす事って苦手なんですよね。何かに依存していたり忙しさにかまけている事の方が楽な事で、何もしないで過ごさなければならない事は修行の様な難行苦行なことではないかと思います。

表情が無くなるということだって当然の事、一人居てにこにこしていたり、いろいろな表情をしたら顔の筋肉だって鍛えられて良いのではと健常者は思いますが、もし。。。。ベットで伏せっておられる方が一人でにこにこしたり、笑ったりほほ笑んだり、はたまたげらげら笑ったりしたら・・・どう思われますか?

ロボットに相手をして貰ったら如何でしょう?少しは表情筋が鍛えられて、気持にも変化が期待できるのでしょうか?

妹を見ていると流石に数時間接触していると、時折り以前の様な表情が出たりします。やはり話しかけ続けたら何か違って来るような気配です。

人間は一人で生きていたら徐々に無表情になるのでしょうね。なにも感情に訴える言葉もなければ変化がないのですからね。一人ではテレビすら付ける事も出来ないのですから・・・

これからの介護に対して、身体介護以外のケアにももっと目を向けて行かなければならないのではないかと感じて後ろ髪をひかれる思いで帰宅しました。

以前に女性のグループで施設訪問をした事がありましたが、大切なことだと改めて感じました。

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2 コメント

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ばあば312さんへ (sazae3)
2016-05-15 20:51:26
肝臓も大切な臓器で、脳へも影響が出ると困難な病気となるようですね。ネットでざっと見た限りでは原因をなくせば治りそうな病気のようでもありますが、アンモニアとか普段の生活習慣を見直したいです。早めに病気だという事を突き留めなければ大変なことになってしまうのですね。
いろいろ情報をありがとうございます。
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天井を眺める (ばあば321)
2016-05-15 09:44:07
千葉の義弟が今天井を眺める日々になっています。意識がなくなって入院したのですが、今まで認知症だとばかり思ってその道の介護でしたが、なんと緊急入院で脳以外の検査で肝性脳症と分かりました。肝臓が極度に悪くなって排泄異常や認知症状を起こすのだそうです。認知症ではないとわかって病院に入院できるだけでも気が休まると妹はいっていました。ただ命に限りはあるのかもしれない肝硬変ということもわかって複雑な気分です。病気の鍵はアンモニアだとか。もっと早くにないか診療を受けていればと悔やまれます。
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