諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

08 営みとして

2019年03月27日 | エッセイ
(写真)手前が箱根の金時山、富士山と呼応しているように見えました。アイコンタクト!?。


 周産期が長い人類はアイコンタクトなどで心を通じ合わせ共同生活をしてきた。
原始、人間は非情なまでに一人では生きられなかったにちがいない。
生存への奮闘努力の一つは、心を通じ合わせることだった。


 ある恋愛小説のクライマックス。二人が見つめ合って「うまれてきてよかった」とつぶやいたりする。
 極端な例だが、他者との無垢なアイコンコンタクトは、原理的に一人では生きられない人間にとって根源的な安心感であり喜びである。
 人類種が必死で生きぬいてきた結果の結晶的感情といえるかもしれない。


「教育計画」に書かないまでも、意識せずとも子ども達と目を合わせたいし、目が合うようになることは嬉しい。
 こちらの視線の好意を感じて笑顔がでることにその子の成長を感じたりする。
 このことは視覚の弱い子や自閉傾向の子にも無意識にあてはめ視線を合わせるようなことを諦めずにしたりする。


 車いすで一人でいる子を見つけると、正面に来て膝をついて少し見上げるようにして顔を覗き込み、やさしく名前を呼びながら、子ども目の中のゲートをノックしている。
 この我々のよくやる行為は、子どもの側から自分も承認してほしいという無意識がさせているように感じたりする。

 
 教育学者 堀尾輝久は「教育は営みである」という。
 全人的な営みとして教育を考えると学校は相互の存在を確かめ合うような根源性が通奏低音として響いているように思う。



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