諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

04 定点読書

2019年03月13日 | 
 発達心理学の本を読み返しつつ。
 「母親と新生児はさまざまな感覚レベルを駆使して、お互いに密接に働きかけてあっています。相互に行動を誘発しあい、反応に報酬を与えあっています。対面すると視線を合わせあいます。子どもの泣き声は、母親を引き寄せ、母乳の分泌も促進します。また、母親が乳児への働きかけに特有なピッチの高い声で体動を伴って語りかけると、子どもは同じような微妙な体動で反応します。」
「乳児の凝視行動には、見つめる-目をそらす、というリズムがあり、母親がこのリズムを無視すると、この相互作用は終わることが示されています。」
「話し言葉の音節と新生児の手足などの身体の動きの変化点との間に相互作用の同期性がみれらます。」
 
 発達心理学は「わかってるよ」と思うことが多い気がするが、丁寧に読むと発見や再発見が多い。
 カレンダーを見ると〇〇の日があり定期的に大切なことを思い出すようになっている。こうした基礎研究を再聴取する習慣があるべきだと思ったりする。
 言わずもがなだが、教育って、発達の変数、個別性の変数、環境や地域、教育制度、社会体制や国内外の情勢、時々の文化性の変数…で、求める解はどうガンバッテも近似値だ。その中で基礎研究は定数を地道に求め続けている。
 
※定数と言ったが最近の新たな進展も随所に発見される。例えば、この部分でも新生児は一方的に「依存」する存在として、客体的な捉えだったが、母親との「相互行動」という認識でどちらの発達かわからないという。「この子の成育」といった場合、この子だけをとりあげるのではなく、子と母のいるその世界を全体で取り上げないと意味をなさないということだろう。
※ここでは、福村出版『新 乳幼児発達心理学』向田久美子ほか参照してます。


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03 「すこやか」

2019年03月10日 | エッセイ
 小学校関係の行政の会議で「子どもたちの 〝すこやかな″成長のために…」と教育長?があいさつを結んだりする。

 「すこやか」の漢字表記は「健やか」であるが、音としての「すこやか」はもっと以前から使われていたのではないか。そんな音感がある。
 学習指導要領のような散文的な文書の中では定義の曖昧なこの言葉は使われないが、時代環境を超えて子どもの成長を願う大人の心地よい言葉として「すこやか」はその響きの中に「善いもの」が含まれている。

 特別支援学校の子どもたちの中にも「すこやか」がある。子ども達と毎日接していると「すこやか」に育てられ、「すこやか」に成長していることを実感することも多い。「すこやか」を実現することを目的に教育課程は編成されているとさえ思えたりする。

 確かにいろいろな状況があり、無配慮に明言する言葉ではないのだが、医学的に健康かどうかではなく、生を受けた子どもとしてその子なりの「すこやか」を願い目指すのが教育の普遍的な立場だという気がする。
「すこやか」を願うことで腹がすわる。

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02 フレームワーク

2019年03月04日 | エッセイ
時代劇の屋外ロケの現場は、不思議な光景である。

出来上がった映像を見ると戦国時代の武士が戦闘に向かう場面そのものだが、もう少しカメラの枠(フレーム)をひくと、撮影スタッフや撮影の機材、運搬用のトラックなどが戦国時代に出現してしまう。もっとフレームを広げると遠くの送電線や山の向こう側の大型スーパーの看板が見えたりする。

このフレームから見ると戦国武士の隊列は滑稽だ。スーパーのイベントのようであり、アカデミー賞級の名優も形無しである。


逆にカメラを持って山に行くと路傍の小さな石や倒木に自生したの類、コメツガの若葉にしても接写すると人間なんかに顧みられない内容の濃い世界があることが分かる。
グッとズームアップしないと分からないともいえる。
それは、見上げた先の富士山の姿と同様の自然の生そのものである。

フレーム設定によってそれぞれの味がでる。

俳優でいうなら「仕事ができる」のである。
フレームという舞台設定をどうするかが問題だと考えているのは、訪問教育の個別教育計画を見ているからである。
特に進行性の生徒には「この枠組みでいこう」と明るく毅然とステージを示す力がいる。

 


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01 諦めない教育原理-はじめにー

2019年03月03日 | ーはじめにー
 ブログをはじめます。
  よろしくお願いします。
 

 「諦めない教育」について日夜考えてるー!、という訳ではないのですが、ストレート中心のブログをやってみることにしました。
 書きつつストライクゾーンも分かりにくいし、そもそもブログに慣れてないし、回を重ねてそれなりの形になっていけばと思っています。
 少し専門的な分野で難しいかもしれませんが、読んでいただけると嬉しいです。
 日記のように静かに進めます。「である」調で行きます。

  


【本文】

 こんな本を読んでみた。


 角幡唯介「新・冒険論」集英社

 冒険という命がけの活動をなぜ人(冒険家)はあえて行うのかについて考えている本だ。
 行動を起こす内面の必然性が書かれている。言い方を変えると冒険家の「行動原理」である。


 教育にも原理があって、大学の時に「教育原理」という講義があり教育書の古典の引用をよく読んだりした。
 しかし、実際に教育活動の場に立つと、子どもとしっかり対峙する心を育むような教育原理が必要だと思うことがある。
 尽きない課題に対応するメンタリティとでもいうのか。冒険ではないけど風雨が強い時もあり、ゴールも見えにくいこともある。
 その中で、足場をしっかり保ち子どもの視線にたった創造的な教育活動をしたいものだ。


 このブログは、子ども達への教育に対して諦めないための考え方や取り組みのに関してエッセイ風に取り上げていきたい。
 謂わば

「諦めない教育原理」

 である。





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