フィアナランツィオに向かう車中でジルス・ベド社長から以下のような話を聞いた。日本人が「キノコ」の栽培法を住民に教えて、それが収穫されるようになった。小高い赤松の林の中に「キノコ」の畑があるそうだ。私は、もしかしたら松茸ではないかと考えた。もしそうであるなら大儲けである。利益はパリサンダーと比べようもない。「赤松」と「キノコ」なら松茸以外には考えられなかった。いや、そう考えたかった。彼は「シャンピニオン」と云っていたが、英語でキノコを総称する言葉がマシュルームであるように、シャンピニオンはフランス語でのキノコの総称である。だから、松茸をシャンピニオンと云っている可能性があると期待した。
以前に、日本のある植物学者から夢のある話を聞いたことがあった。「マダガスカルには松茸の栽培が可能と思われる地域があります。マダガスカルの中央部、アンタナナリブより南に行った所に赤松が群生している山があるのです。土地は季節を問わず湿っており、土は赤黒く、辺りはひんやりとしています。松茸の最適温度は摂氏22度から25度ですが、生育可能温度範囲は摂氏5度から30度とかなり広いのです。松茸の胞子を散布してみる価値はあると思います。失敗したとしても、夢があっていいではありませんか」。その話を想い出した。此のフィアナランツィオがまさにその場所ではないか!もしかしたら、「キノコ」の栽培法を教えた日本人とは、私に夢のある話をしてくれた、あの植物学者ではないかと胸を躍らせた。

肝っ玉母さん。フィアナランツィオの山間の村で村長のような小母さんだった。ジルス・ベドに「キノコ」の事を聞いてもらうと「シャンピニオンならあるよ、欲しいのかい?」と云った。天にも昇るとはこのことだろうと感じた。これから家に取りに行くとのことだったので、私はその畑に先に行きたかった。その旨ジルス・ベドに云うと、彼は大体の場所を聞いてくれた。


云われた場所に、確かに赤松の林はあった。周囲は何となくひんやりしており、地面も湿気を持っているように感じられた。だが、松茸は一本もなかった。「今はシーズンじゃないのかもしれません」とジルス・ベドは慰めてくれた。
村に戻ると、肝っ玉母さんが「ほら、シャンピニオンだよ」と「キノコ」を手渡してくれた。確かにシャンピニオンだった。フランス料理に使われているキノコを、我々日本人が「シャンピニオン」と呼んでいる、あの「キノコ」であった。しかも、今はシーズンオフで、シャンピニオンは完全に乾いていた。




村に入ると、例によって大歓迎、と云うより興味の対象にされた。「ジャポネ、ジャポネ」(日本人)と好意的に迎えてくれたが、それはマダガスカル人特有の物見高さでもあった。
アンタナナリブのコルベール・ホテルに戻ってくると、待ちかねたようにアンセルメ・ジャオリズィキーから電話があった。「C社長の件で、是非お耳に入れたい事があります」とのことだった。内密に話したかったので、私の部屋に来て貰うことにした。ルームサービスのコーヒーとアンセルメが同時に到着した。
調査の結果を深刻な顔をして話してくれた。結論から云うと、C社長が私との取引を復活させたいと云ったのは中国人のグループに無理やり云わされたことだったらしい。非常な利益になるパリサンダーの輸出を黙って見過ごす中国人グループではない。C社長には博打の借金がまだ残っており、私とのパリサンダーの取引でそれを取り戻そうと中国人グループが画策したに違いないと調査報告書にはあったとの説明を受けた。そして、マダガスカルの北部には盗伐が頻繁に横行し、マダガスカル政府も手を焼いていると聞いた。盗伐の首謀者が中国人であり、その材木の殆どは中国に出荷されているとのことだった。その盗伐グループと、C社長を悩ませている中国人グループが同じだとの証拠はないが、中国人同士が繋がっているに違いないとアンツィラナナ(旧名はディエゴスアレス)の警察では疑っているとのことだった。警察が動き、悪質な中国人グループが逮捕されれば、C社長は救われるが、現在のC社長は経済的に相当参っていると最後に付け加えた。私は5万円をアンセルメ・ジャオリズィキーに託し、これを何とかC社長の手元に届くよう手配してほしいと依頼した。その時には、私が渡せる現金はこれが精一杯だった。而し、これを銀行で両替すれば、250万マダガスカル・フラン以上になる。物価を考えれば、日本で250万円を使うのと同じである。これで全ての借金を返すには充分ではないかもしれないが、取敢えずは何とかなるだろう。この250万マダガスカル・フランで地道に生活するか、また博打に手を出すか、それはC社長次第であり、私がそれ以上関わるべきではないだろう。だが、次回にマダガスカルに来るときはもう少し現金を持ってこようかとも考えた。
ジルス・ベド社長に頼まれた用事で、彼の義理の兄である商務官のジョセ・マリエ・ダヒー氏を麻布のマダガスカル大使館に訪ねた。用事が済むと、こんなことを云われた。現段階で(1995年4月)、不法にマダガスカルに滞在している中国人は5万人もいるとのことだった。1991か1992年の時点での不法滞在者は2万人であった。急激に増えた理由を彼は説明してくれた。外務省の金庫が破られ、新品のパスポートが大量に盗まれたのが大きな原因の一つだと云っていた。「何とか、その犯人を捕まえたいのですが、お手伝い頂けないでしょうか?」と頼まれた。手伝いたかったが、私に出来ることではなかった。盗まれたパスポートは全てフランスに依頼して作製したもので、デザインを変えて作り直すわけにはいかない。それほどの外貨がないのが理由だ。偽造パスポートでどんどん中国人が入国してくる。そのベースになったのは盗難にあった新品のパスポートである。マダガスカルに無事入国すると、それを利用して他の中国人が入国して来る。パスポートに使用されている写真にどことなく似ている中国人が入ってくるので、水際で防ぐのは非常に難しいとのことだった。同じ社会主義国なので、入国の際にビザは必要ないらしい。此のひどい現状に、ジョセ・マリエ・ダヒー氏は頭を抱えていた。
先日、阿佐ヶ谷の神明宮にバリ島の「ガムラン」を撮りに行ってきた。日本の神社がヒンドゥー教と深くかかわっている踊りの公演に手を貸すとは心が広い。此の神社はそれだけではない。冬の寒い朝、此の神社に太陽の陽がさす一瞬を撮りたくて何回か通った。神社の鳥居脇の敷地で、たき火をしながら讃美歌を歌っている一団がいた。神社の庭を掃除している神官に「いいんですか?」と伺ったところ、ニコニコしながら「かまいません」と心の広い所を見せてくれた。宗教を持っている人々がこのように広い心を持っていてくれたら、「宗教戦争」など起こらなくて済むのにと残念に思う。
此の神社には、お神楽の舞台ではなく、能舞台がある。そこでガムランの公演が毎年行われる。宮司が丹念に手入れをしている芝生に茣蓙を敷いて観覧席として提供してくれている。その外側には椅子席を用意してくれる。それでも立ち見の人たちが大勢集まる。神社とガムラン、何とも心温まる取り合わせである。






以前に、日本のある植物学者から夢のある話を聞いたことがあった。「マダガスカルには松茸の栽培が可能と思われる地域があります。マダガスカルの中央部、アンタナナリブより南に行った所に赤松が群生している山があるのです。土地は季節を問わず湿っており、土は赤黒く、辺りはひんやりとしています。松茸の最適温度は摂氏22度から25度ですが、生育可能温度範囲は摂氏5度から30度とかなり広いのです。松茸の胞子を散布してみる価値はあると思います。失敗したとしても、夢があっていいではありませんか」。その話を想い出した。此のフィアナランツィオがまさにその場所ではないか!もしかしたら、「キノコ」の栽培法を教えた日本人とは、私に夢のある話をしてくれた、あの植物学者ではないかと胸を躍らせた。

肝っ玉母さん。フィアナランツィオの山間の村で村長のような小母さんだった。ジルス・ベドに「キノコ」の事を聞いてもらうと「シャンピニオンならあるよ、欲しいのかい?」と云った。天にも昇るとはこのことだろうと感じた。これから家に取りに行くとのことだったので、私はその畑に先に行きたかった。その旨ジルス・ベドに云うと、彼は大体の場所を聞いてくれた。


云われた場所に、確かに赤松の林はあった。周囲は何となくひんやりしており、地面も湿気を持っているように感じられた。だが、松茸は一本もなかった。「今はシーズンじゃないのかもしれません」とジルス・ベドは慰めてくれた。
村に戻ると、肝っ玉母さんが「ほら、シャンピニオンだよ」と「キノコ」を手渡してくれた。確かにシャンピニオンだった。フランス料理に使われているキノコを、我々日本人が「シャンピニオン」と呼んでいる、あの「キノコ」であった。しかも、今はシーズンオフで、シャンピニオンは完全に乾いていた。




村に入ると、例によって大歓迎、と云うより興味の対象にされた。「ジャポネ、ジャポネ」(日本人)と好意的に迎えてくれたが、それはマダガスカル人特有の物見高さでもあった。
アンタナナリブのコルベール・ホテルに戻ってくると、待ちかねたようにアンセルメ・ジャオリズィキーから電話があった。「C社長の件で、是非お耳に入れたい事があります」とのことだった。内密に話したかったので、私の部屋に来て貰うことにした。ルームサービスのコーヒーとアンセルメが同時に到着した。
調査の結果を深刻な顔をして話してくれた。結論から云うと、C社長が私との取引を復活させたいと云ったのは中国人のグループに無理やり云わされたことだったらしい。非常な利益になるパリサンダーの輸出を黙って見過ごす中国人グループではない。C社長には博打の借金がまだ残っており、私とのパリサンダーの取引でそれを取り戻そうと中国人グループが画策したに違いないと調査報告書にはあったとの説明を受けた。そして、マダガスカルの北部には盗伐が頻繁に横行し、マダガスカル政府も手を焼いていると聞いた。盗伐の首謀者が中国人であり、その材木の殆どは中国に出荷されているとのことだった。その盗伐グループと、C社長を悩ませている中国人グループが同じだとの証拠はないが、中国人同士が繋がっているに違いないとアンツィラナナ(旧名はディエゴスアレス)の警察では疑っているとのことだった。警察が動き、悪質な中国人グループが逮捕されれば、C社長は救われるが、現在のC社長は経済的に相当参っていると最後に付け加えた。私は5万円をアンセルメ・ジャオリズィキーに託し、これを何とかC社長の手元に届くよう手配してほしいと依頼した。その時には、私が渡せる現金はこれが精一杯だった。而し、これを銀行で両替すれば、250万マダガスカル・フラン以上になる。物価を考えれば、日本で250万円を使うのと同じである。これで全ての借金を返すには充分ではないかもしれないが、取敢えずは何とかなるだろう。この250万マダガスカル・フランで地道に生活するか、また博打に手を出すか、それはC社長次第であり、私がそれ以上関わるべきではないだろう。だが、次回にマダガスカルに来るときはもう少し現金を持ってこようかとも考えた。
ジルス・ベド社長に頼まれた用事で、彼の義理の兄である商務官のジョセ・マリエ・ダヒー氏を麻布のマダガスカル大使館に訪ねた。用事が済むと、こんなことを云われた。現段階で(1995年4月)、不法にマダガスカルに滞在している中国人は5万人もいるとのことだった。1991か1992年の時点での不法滞在者は2万人であった。急激に増えた理由を彼は説明してくれた。外務省の金庫が破られ、新品のパスポートが大量に盗まれたのが大きな原因の一つだと云っていた。「何とか、その犯人を捕まえたいのですが、お手伝い頂けないでしょうか?」と頼まれた。手伝いたかったが、私に出来ることではなかった。盗まれたパスポートは全てフランスに依頼して作製したもので、デザインを変えて作り直すわけにはいかない。それほどの外貨がないのが理由だ。偽造パスポートでどんどん中国人が入国してくる。そのベースになったのは盗難にあった新品のパスポートである。マダガスカルに無事入国すると、それを利用して他の中国人が入国して来る。パスポートに使用されている写真にどことなく似ている中国人が入ってくるので、水際で防ぐのは非常に難しいとのことだった。同じ社会主義国なので、入国の際にビザは必要ないらしい。此のひどい現状に、ジョセ・マリエ・ダヒー氏は頭を抱えていた。
先日、阿佐ヶ谷の神明宮にバリ島の「ガムラン」を撮りに行ってきた。日本の神社がヒンドゥー教と深くかかわっている踊りの公演に手を貸すとは心が広い。此の神社はそれだけではない。冬の寒い朝、此の神社に太陽の陽がさす一瞬を撮りたくて何回か通った。神社の鳥居脇の敷地で、たき火をしながら讃美歌を歌っている一団がいた。神社の庭を掃除している神官に「いいんですか?」と伺ったところ、ニコニコしながら「かまいません」と心の広い所を見せてくれた。宗教を持っている人々がこのように広い心を持っていてくれたら、「宗教戦争」など起こらなくて済むのにと残念に思う。
此の神社には、お神楽の舞台ではなく、能舞台がある。そこでガムランの公演が毎年行われる。宮司が丹念に手入れをしている芝生に茣蓙を敷いて観覧席として提供してくれている。その外側には椅子席を用意してくれる。それでも立ち見の人たちが大勢集まる。神社とガムラン、何とも心温まる取り合わせである。






世界中で中国人の行いに手を焼いていますが、共産革命によって、あの偉大な歴史の誇りを捨ててしまったのでしょうか?
マダガスカル人は松茸を食べないでしょうから、きっと安く輸入できます。何とかならないでしょうか?
ガムランの写真、お褒め頂き恐縮です。
松茸ですが、私も残念に思っています。
阿佐ヶ谷の神明宮のガムランの写真は素晴らしいです。
日本では、宗教の違いや宗派の違いにそれほど反目し合わないのは、非常な知恵の持ち主であると考えます。日本の良さを誇りに思えることの一つです。