彫刻の街として知られるアンボイマーソァ(フィアナランツィオより直線で50キロほど北に行った所にある)に昼食のために立ち寄ったことがあった。食後、レストランの親父に「アイザ・キャビネ?」(トイレはどこですか?)と聞いた。「アイザ」とは「何処」と文字通り場所を聞くときに使うが、「アイザ・アンセルメ?」とアンセルメ・ジャオリズィキー課長に電話をするときにも使う。「アンセルメは何処ですか?」が転じて「アンセルメは居ますか?」とか「アンセルメをお願いします」の意になる。
トイレの場所を聞くと、親父はレストランの横のドアーから出て、前方を指差しながら「マイチ」(真っ直ぐだ)と云い、次いで「ハバナナ」(右だよ)と云いながら腕を右の方に振った。私は「ミソートラ」(ありがとう)と云って歩き始めた。而し、親父はまだ何か云っていた。トイレの使い方など世界共通だと考え、手を振ってそのままトイレに向った。木の重いドアーを開けると、3メートルほど先に真新しい洋式の便器があった。ドアーにはマダガスカルには珍しいノブのボタンを押すと鍵が閉まるようになっていた。終ってからゆっくりと手を洗い、ドアーを開けようとしたがドアーは開かなかった。ノブを逆に回してみてもダメだった。あいにくとマダガスカル語で助けを呼ぶ言葉を知らなかった。他に方法はないので、日本語で「開けてくれー!」と大声を出した。何回か叫ぶと急にドアーが開いた。「どうしたんですか?」とジルス・ベドが怪訝な顔をして立っていた。事情を説明していると、親父が何かを云いながら出てきた。全ての事情が分った所で親父とジルス・ベドが腰を折り曲げて笑い転げた。親父は、そのカギは壊れているから、中からボタンを押すと、内側からは絶対に開かない。外からしか開かないんだと私がトイレに入る前に云ったらしかった。私にはそんな難しいマダガスカル語はとても理解出来ない。親父は親父で、レストランで「アイザ・キャビネ?」と聞いたときの私の発音が良かったので、もう何年もマダガスカルに住んでいるタラ・シャンブー(マダガスカルに住み着いた外国人)だと勘違いしたのだそうだ。相手の云っていることを、自分勝手に解釈してしまった自分を恥じた。私が反省しているのに、二人はまだ笑い転げていた。少しは遠慮してほしいものだ。それにしても、ドアー・ノブのボタンは押した側のドアーからしか開かないのが常識である。いくら壊れているからと云って、それが反対側からしか開かないなど、どうすればそのようなものが作れるのだろう。

フィアナランツィオに向かう山中での休憩。私(筆者)の隣にいるのはBIEの運転手君。今回は長いドライブになるので、交替の運転手を同道してきた。疲れたら何時でも交替するとジルス・ベドは云っていたが、一向に疲れた様子を見せなかった。運転するのが楽しくてしょうがないらしい。





この川は、マダガスカル編の17でも触れたが、ラヌ・マファナ湖を上流とする。アトラスの地図には「ラノマファナ国立公園」となっているが、ラヌ・マファナが正しい。即ち、熱い(マファナ)水(ラヌ、ranoと書いてラヌと発音する)を意味する。日本流に云うなら温泉である。
この川にはワニが生息しているそうだ。マダガスカルには人間を傷つける生き物はいないとマダガスカル人は胸を張るが、「ワニがいるじゃないか」と反論すると、「あれは谷深い川にしかいない。そこまで降りる人間はいない。だから傷つかない」のだそうだ。その他にも、マラリアを媒介するハマダラ蚊も充分に人間を傷つけると思うが、それは刺される人間が悪いことになるのだろうか?

ワニのいる川はこの道路のすぐ下を流れているので、誰でも川に入れる。きっと、マダガスカル人は「浅い川なので、ワニは此処までは来ない」と云うのだろうか?

川の上流まで行くと、ラヌ・マファナ湖から流れてくるお湯が周囲の気温より高いときは蒸気となって立ち上がる。

夕闇が迫ると、街灯のない道路は日本では考えられないような暗闇となる。その前に目的地に着かないと山道のドライブは危険である。

市場にはまだ少し明るさが残っていたが、油断すると急激に暗闇がやってくる。

フィアナランツィオのホテルでは、此のお嬢さんが全てを手配してくれた。

材木の豊富なフィアナランツィオのホテルだけあって、建物全体に贅沢とも云えるほど大量の材木が使われていた。
マダガスカルからの帰り、香港の娘の所に寄ってから日本に帰るのが習慣になった。南半球からやっとのことで北半球に帰ってきたと云うのに、なんと蒸し暑いことか。荷物を受け取ってから娘の亭主と一緒に駐車場に行くまでに全身に汗をかいてしまうほどだ。いくら暑くても、湿度の低いマダガスカルは私にとっては天国だった。
香港から成田までは、当然ツーリストクラスで帰ってきた。全てのフライトをビジネスクラスにするほどの余裕はなかった。詐欺にあった時の借金がまだ残っており、銀行への返済を優先しなければならなかった。当時はまだタバコを吸っていたが、ツーリストクラスを利用する場合は必ず禁煙席に座ることにしていた。そして、タバコを吸うときだけ後方の喫煙席に行った。旅客機の規則で、タバコを吸うときは必ず席に座って吸わなければならない。スチュワーデスにタバコを吸いたいと云うと、辺りを見廻し、通路側の気の弱そうな客を一時的に立たせ、そこに私を座らせてくれる。而し、今回の成田行の便は、一番後ろに一席の空きがあった。アメリカ人の女子大生が窓側の席に胡坐をかいて座っていた。空いている席には彼女の本が何冊か置いてあった。私がタバコを取り出すと、本をどけて「どうぞ」と云ってくれた。次にタバコを吸いに来た時、「此の席は空いているので、引っ越していらっしゃいよ」と云われた。「喫煙席は健康に悪い」と云って断ると、呆れた顔をして、次に大きな声で笑い出した。他の乗客が一斉に振り向くほどの笑い声だった。
トイレの場所を聞くと、親父はレストランの横のドアーから出て、前方を指差しながら「マイチ」(真っ直ぐだ)と云い、次いで「ハバナナ」(右だよ)と云いながら腕を右の方に振った。私は「ミソートラ」(ありがとう)と云って歩き始めた。而し、親父はまだ何か云っていた。トイレの使い方など世界共通だと考え、手を振ってそのままトイレに向った。木の重いドアーを開けると、3メートルほど先に真新しい洋式の便器があった。ドアーにはマダガスカルには珍しいノブのボタンを押すと鍵が閉まるようになっていた。終ってからゆっくりと手を洗い、ドアーを開けようとしたがドアーは開かなかった。ノブを逆に回してみてもダメだった。あいにくとマダガスカル語で助けを呼ぶ言葉を知らなかった。他に方法はないので、日本語で「開けてくれー!」と大声を出した。何回か叫ぶと急にドアーが開いた。「どうしたんですか?」とジルス・ベドが怪訝な顔をして立っていた。事情を説明していると、親父が何かを云いながら出てきた。全ての事情が分った所で親父とジルス・ベドが腰を折り曲げて笑い転げた。親父は、そのカギは壊れているから、中からボタンを押すと、内側からは絶対に開かない。外からしか開かないんだと私がトイレに入る前に云ったらしかった。私にはそんな難しいマダガスカル語はとても理解出来ない。親父は親父で、レストランで「アイザ・キャビネ?」と聞いたときの私の発音が良かったので、もう何年もマダガスカルに住んでいるタラ・シャンブー(マダガスカルに住み着いた外国人)だと勘違いしたのだそうだ。相手の云っていることを、自分勝手に解釈してしまった自分を恥じた。私が反省しているのに、二人はまだ笑い転げていた。少しは遠慮してほしいものだ。それにしても、ドアー・ノブのボタンは押した側のドアーからしか開かないのが常識である。いくら壊れているからと云って、それが反対側からしか開かないなど、どうすればそのようなものが作れるのだろう。

フィアナランツィオに向かう山中での休憩。私(筆者)の隣にいるのはBIEの運転手君。今回は長いドライブになるので、交替の運転手を同道してきた。疲れたら何時でも交替するとジルス・ベドは云っていたが、一向に疲れた様子を見せなかった。運転するのが楽しくてしょうがないらしい。





この川は、マダガスカル編の17でも触れたが、ラヌ・マファナ湖を上流とする。アトラスの地図には「ラノマファナ国立公園」となっているが、ラヌ・マファナが正しい。即ち、熱い(マファナ)水(ラヌ、ranoと書いてラヌと発音する)を意味する。日本流に云うなら温泉である。
この川にはワニが生息しているそうだ。マダガスカルには人間を傷つける生き物はいないとマダガスカル人は胸を張るが、「ワニがいるじゃないか」と反論すると、「あれは谷深い川にしかいない。そこまで降りる人間はいない。だから傷つかない」のだそうだ。その他にも、マラリアを媒介するハマダラ蚊も充分に人間を傷つけると思うが、それは刺される人間が悪いことになるのだろうか?

ワニのいる川はこの道路のすぐ下を流れているので、誰でも川に入れる。きっと、マダガスカル人は「浅い川なので、ワニは此処までは来ない」と云うのだろうか?

川の上流まで行くと、ラヌ・マファナ湖から流れてくるお湯が周囲の気温より高いときは蒸気となって立ち上がる。

夕闇が迫ると、街灯のない道路は日本では考えられないような暗闇となる。その前に目的地に着かないと山道のドライブは危険である。

市場にはまだ少し明るさが残っていたが、油断すると急激に暗闇がやってくる。

フィアナランツィオのホテルでは、此のお嬢さんが全てを手配してくれた。

材木の豊富なフィアナランツィオのホテルだけあって、建物全体に贅沢とも云えるほど大量の材木が使われていた。
マダガスカルからの帰り、香港の娘の所に寄ってから日本に帰るのが習慣になった。南半球からやっとのことで北半球に帰ってきたと云うのに、なんと蒸し暑いことか。荷物を受け取ってから娘の亭主と一緒に駐車場に行くまでに全身に汗をかいてしまうほどだ。いくら暑くても、湿度の低いマダガスカルは私にとっては天国だった。
香港から成田までは、当然ツーリストクラスで帰ってきた。全てのフライトをビジネスクラスにするほどの余裕はなかった。詐欺にあった時の借金がまだ残っており、銀行への返済を優先しなければならなかった。当時はまだタバコを吸っていたが、ツーリストクラスを利用する場合は必ず禁煙席に座ることにしていた。そして、タバコを吸うときだけ後方の喫煙席に行った。旅客機の規則で、タバコを吸うときは必ず席に座って吸わなければならない。スチュワーデスにタバコを吸いたいと云うと、辺りを見廻し、通路側の気の弱そうな客を一時的に立たせ、そこに私を座らせてくれる。而し、今回の成田行の便は、一番後ろに一席の空きがあった。アメリカ人の女子大生が窓側の席に胡坐をかいて座っていた。空いている席には彼女の本が何冊か置いてあった。私がタバコを取り出すと、本をどけて「どうぞ」と云ってくれた。次にタバコを吸いに来た時、「此の席は空いているので、引っ越していらっしゃいよ」と云われた。「喫煙席は健康に悪い」と云って断ると、呆れた顔をして、次に大きな声で笑い出した。他の乗客が一斉に振り向くほどの笑い声だった。
マダガスカルの読み方はおおむねローマ字通りに読めばいいのですが、例外があります。それが旅好きさんご指摘の「O」の発音です。英語読み、日本語読みと色々ありますが、現地の人の発音通りに読むのが正しいと、私は考えています。
あのトイレの鍵は未だに解せません。マダガスカルじゃなければ、あのようなことは絶対に起こらないでしょう。