なんだかもどかしさで疲れてしまって、基本的に眠りには困らない私が本当に久しぶりに眠りが浅くなった。
別に誰も悪くはないけれど、なんだかちょっとうまく深呼吸できずに、寝返りを打ってはうつろな状態になり結果寝ていた時間は10時間くらいにもなるのだけれど、心地よく眠った感がなかった。
そんな中で、これもまた本当に久しぶりに父の夢を見た。
夢の中で父は死との境目で長い間生きていて、その夢の中でもう一度死ぬ。
私は父の死を知らされていなくて、母に「なんで教えてくれなかったの」と泣く。
でももう死んでいるはずなのに、もう1回死んで、私はそれを周りにどうやって伝えればいいのと狼狽える。
人は二度は死ねないのに、父が夢に出てくるときはいつも死んだのか死んでいないのか分からなく、もう一度死ぬという夢を見る。
私が今現実に泣いたって、父は1回しか死んでいないし、それで終わりだ。
終われていないのは私自身だ。
真実と思えるものに触れて、もっと真実と思えるものに近づこうとすると、自分の中に大きなおおきな矛盾が存在することに気づく。
真実と思えるものに触れて、私はとても嬉しかったし、ひとつの道を見つけたような気がしている。
しかしながらその道には、どうにもしようがないこともあるのだというある種の行き止まりかブラックホールかという絶望の存在があった。
私の自意識の中には、幼さと冷酷さがたくさんあって、ただの幼さで留まれない精神的な成長を遂げてしまっている分だけ全て感情的になることはできない。
逃げようと思って逃げられるわけではないから、だったら、私が私の自意識と戦うことしか方法がない。
東京に上京してきた友人と、久しぶりに菊地成孔さんを聞きに行く。
サックス奏者の菊地さんではあるが、バンドによってはヒップホップのようなこともやる。
「これはこれで」と思って楽しんでいたのだが、その最中に2年ぶりくらいに貧血を起こしてしまう。
私は基本は身体が強い方だけれど、高校生の時に初めて貧血を起こして以来、1年に1回のペースで貧血になるようになった。
初めてのときは高校3年生で、大学の推薦入試の作文を書き終えて職員室に持って行くときに起きた。
担任の先生がおらず待っていられないほど気持ち悪くなってきたので、その辺の先生に原稿を託し、幸い近くにあった保健室にふらふらで倒れ込んだときには、視界が両脇から消えそうになったことをよく憶えていてる。
それ以来、あるときは家でシャワーを浴びた後に、あるときは学校のスロープで、あるときはサッカーのパブリックビューイングの最中に。
いろんなところでうずくまってきた。
空腹とお酒が絡んでいることは傾向としてはあるけれど、そうでないときも起こるときは起こるので怖い。
今回は確実に空腹とお酒のせいだ。
ライブ中に気分が悪くなり、手が冷たくなり冷や汗が吹き出す。
一緒にいた友人に「気分が・・」というジェスチャーだけして、立っていられないからその場にしゃがみ込み、差し出された椅子にさえ座ることもできず、うずくまる。
やっとの思いで椅子に腰かけて、目を閉じて気持ち悪いのに動けないのをじっと呼吸をしながらやり過ごす。
同じく貧血持ちの友人は、その渦中で移動ができないことや過ぎ去ることを待つしかないのを分かっているので、そっと水だけ私の側に置いておいてくれた。
しばらくして正気が戻ってきたので、まだ覚束ない身体で地下から上がってタクシーで帰る。
ごめんねと言いながら、私の家に帰ってだんだんと戻ってきたので、とりあえず喋る。
柿沼康二という書道家の話を彼女が挙げてきた。
私は作品集も持っているくらい、結構好きだったから嬉しくなって、金沢で行われる個展に行こうと約束する。
朝、用があるからと私が寝ているのを横目に、友人は帰って行った。
別に誰も悪くはないけれど、なんだかちょっとうまく深呼吸できずに、寝返りを打ってはうつろな状態になり結果寝ていた時間は10時間くらいにもなるのだけれど、心地よく眠った感がなかった。
そんな中で、これもまた本当に久しぶりに父の夢を見た。
夢の中で父は死との境目で長い間生きていて、その夢の中でもう一度死ぬ。
私は父の死を知らされていなくて、母に「なんで教えてくれなかったの」と泣く。
でももう死んでいるはずなのに、もう1回死んで、私はそれを周りにどうやって伝えればいいのと狼狽える。
人は二度は死ねないのに、父が夢に出てくるときはいつも死んだのか死んでいないのか分からなく、もう一度死ぬという夢を見る。
私が今現実に泣いたって、父は1回しか死んでいないし、それで終わりだ。
終われていないのは私自身だ。
真実と思えるものに触れて、もっと真実と思えるものに近づこうとすると、自分の中に大きなおおきな矛盾が存在することに気づく。
真実と思えるものに触れて、私はとても嬉しかったし、ひとつの道を見つけたような気がしている。
しかしながらその道には、どうにもしようがないこともあるのだというある種の行き止まりかブラックホールかという絶望の存在があった。
私の自意識の中には、幼さと冷酷さがたくさんあって、ただの幼さで留まれない精神的な成長を遂げてしまっている分だけ全て感情的になることはできない。
逃げようと思って逃げられるわけではないから、だったら、私が私の自意識と戦うことしか方法がない。
東京に上京してきた友人と、久しぶりに菊地成孔さんを聞きに行く。
サックス奏者の菊地さんではあるが、バンドによってはヒップホップのようなこともやる。
「これはこれで」と思って楽しんでいたのだが、その最中に2年ぶりくらいに貧血を起こしてしまう。
私は基本は身体が強い方だけれど、高校生の時に初めて貧血を起こして以来、1年に1回のペースで貧血になるようになった。
初めてのときは高校3年生で、大学の推薦入試の作文を書き終えて職員室に持って行くときに起きた。
担任の先生がおらず待っていられないほど気持ち悪くなってきたので、その辺の先生に原稿を託し、幸い近くにあった保健室にふらふらで倒れ込んだときには、視界が両脇から消えそうになったことをよく憶えていてる。
それ以来、あるときは家でシャワーを浴びた後に、あるときは学校のスロープで、あるときはサッカーのパブリックビューイングの最中に。
いろんなところでうずくまってきた。
空腹とお酒が絡んでいることは傾向としてはあるけれど、そうでないときも起こるときは起こるので怖い。
今回は確実に空腹とお酒のせいだ。
ライブ中に気分が悪くなり、手が冷たくなり冷や汗が吹き出す。
一緒にいた友人に「気分が・・」というジェスチャーだけして、立っていられないからその場にしゃがみ込み、差し出された椅子にさえ座ることもできず、うずくまる。
やっとの思いで椅子に腰かけて、目を閉じて気持ち悪いのに動けないのをじっと呼吸をしながらやり過ごす。
同じく貧血持ちの友人は、その渦中で移動ができないことや過ぎ去ることを待つしかないのを分かっているので、そっと水だけ私の側に置いておいてくれた。
しばらくして正気が戻ってきたので、まだ覚束ない身体で地下から上がってタクシーで帰る。
ごめんねと言いながら、私の家に帰ってだんだんと戻ってきたので、とりあえず喋る。
柿沼康二という書道家の話を彼女が挙げてきた。
私は作品集も持っているくらい、結構好きだったから嬉しくなって、金沢で行われる個展に行こうと約束する。
朝、用があるからと私が寝ているのを横目に、友人は帰って行った。