音楽の趣味が似ているということ。
またその音楽に対して思うことが似ているということ。
それにはどうにも近しい感じを抱かざるを得ない。
ここでいう「音楽」とは、「音楽」に乗せられたメッセージや精神性と言っても過言ではないようなもの。
憂歌団の話も、ローリングストーンズの話も、尾崎豊の話も、自分の仕事の話も、全ては自分に帰結するという考え方も、とてもすんなり受け入れられた、というよりかは、私の考えていることと近しかった。
もちろんそれは違う、と思うこともあって、別にそれさえも愛おしく思えたなんてことは毛頭ない。
私はついでに私の中で最も大きく巣食っていることを話してみた。
私がそれについて自分から話したり、見せたりするのは、その人に甘えている証拠でもある。
単純に、それについてどんなこと言ってくれるだろう、という試すような心があったのも確かだ。
私は勝手に話して、勝手に感極まった。
その人は、至極一般的なことを言っていた、ような気がする。
あまりにも一般的なことを言うものだから、途中から私は自分自身に感極まっていて、続きを話すのを止めた。
言われたその一般的な内容をあまり覚えていない。
でもそのあまりにも一般的なことは、その人自身の立場から言っているということはよく分かった。
それは結果的に「一般的」であったけれど、その人は自分の中で考えた自分の答えであったのだとは思う。
話した内容のことについて、私は私の中で、ある地点での、それはまだまだずっと途切れることなく死ぬまで続くけれど、答えにたどり着いているだろうと思う。
若干見て見ぬふりをしているところもある。
私はそれを誰かに正しく聞いてほしいのだと思う。
「そんなの間違ってる」とどんなに正しそうな意見を言われても、今の私はおそらく根底から覆ることはないだろう。
自分が思っているその通りに、まず話したいし、聞いてほしいし、そして受け入れて欲しいのだと思う。
決して押し付けられるもではないし、期待するものでもない。
そんなことは分かっている。
「もしかすると生まれて初めてこんなこと言ったかもしれない」
というような部類のことは、たいてい恥ずかしさを伴う。
言葉を持ってから何十年も生きてきて、今初めて口にすること。
そんな部類のことを誰かに代弁してもらうのが何かアート作品かもしれないけれど、自分が思っていることが何なのかを知って、願わくはそれを自分の言葉や何かで出せたらいい。
誤解や批判を受けても、それでも屈しない自分であるという何か。
夜電気を消してベッドに入ったら、ぱたたた、という音がした。
何かが落ちたというような唐突で勢いのある音ではなく、もっとそっとした音で、生き物の気配がした。
まさかねずみ・・・と一瞬にして凍りつく。
でも、見逃して良いことはない。
とりあえずその、ぱたたた、という音の正体を確かめねば。
と思っていると再び、ぱたた、という音がした。
携帯電話のライトを点けて恐る恐る音の方へ見に行ってみる。
あ。
ダリアの花びらが落ちた音だった。
それを見ているそのときにもまた、ぱたた、と言って花びらが散った。
確かにそれは、潔くて切ない生き物の音だった。
またその音楽に対して思うことが似ているということ。
それにはどうにも近しい感じを抱かざるを得ない。
ここでいう「音楽」とは、「音楽」に乗せられたメッセージや精神性と言っても過言ではないようなもの。
憂歌団の話も、ローリングストーンズの話も、尾崎豊の話も、自分の仕事の話も、全ては自分に帰結するという考え方も、とてもすんなり受け入れられた、というよりかは、私の考えていることと近しかった。
もちろんそれは違う、と思うこともあって、別にそれさえも愛おしく思えたなんてことは毛頭ない。
私はついでに私の中で最も大きく巣食っていることを話してみた。
私がそれについて自分から話したり、見せたりするのは、その人に甘えている証拠でもある。
単純に、それについてどんなこと言ってくれるだろう、という試すような心があったのも確かだ。
私は勝手に話して、勝手に感極まった。
その人は、至極一般的なことを言っていた、ような気がする。
あまりにも一般的なことを言うものだから、途中から私は自分自身に感極まっていて、続きを話すのを止めた。
言われたその一般的な内容をあまり覚えていない。
でもそのあまりにも一般的なことは、その人自身の立場から言っているということはよく分かった。
それは結果的に「一般的」であったけれど、その人は自分の中で考えた自分の答えであったのだとは思う。
話した内容のことについて、私は私の中で、ある地点での、それはまだまだずっと途切れることなく死ぬまで続くけれど、答えにたどり着いているだろうと思う。
若干見て見ぬふりをしているところもある。
私はそれを誰かに正しく聞いてほしいのだと思う。
「そんなの間違ってる」とどんなに正しそうな意見を言われても、今の私はおそらく根底から覆ることはないだろう。
自分が思っているその通りに、まず話したいし、聞いてほしいし、そして受け入れて欲しいのだと思う。
決して押し付けられるもではないし、期待するものでもない。
そんなことは分かっている。
「もしかすると生まれて初めてこんなこと言ったかもしれない」
というような部類のことは、たいてい恥ずかしさを伴う。
言葉を持ってから何十年も生きてきて、今初めて口にすること。
そんな部類のことを誰かに代弁してもらうのが何かアート作品かもしれないけれど、自分が思っていることが何なのかを知って、願わくはそれを自分の言葉や何かで出せたらいい。
誤解や批判を受けても、それでも屈しない自分であるという何か。
夜電気を消してベッドに入ったら、ぱたたた、という音がした。
何かが落ちたというような唐突で勢いのある音ではなく、もっとそっとした音で、生き物の気配がした。
まさかねずみ・・・と一瞬にして凍りつく。
でも、見逃して良いことはない。
とりあえずその、ぱたたた、という音の正体を確かめねば。
と思っていると再び、ぱたた、という音がした。
携帯電話のライトを点けて恐る恐る音の方へ見に行ってみる。
あ。
ダリアの花びらが落ちた音だった。
それを見ているそのときにもまた、ぱたた、と言って花びらが散った。
確かにそれは、潔くて切ない生き物の音だった。
